九話 巷の辻斬り騒動(二)

 のっぺらぼうの話は既に絵草紙屋まで伝わっていたらしい。

 美成は夜四郎が勧めた煎餅座布団せんべいざぶとん一瞥いちべつすると、ゆっくりと頭を振った。長居する気はない、と最初に断って三人と向き合う形で形ばかりの庭に立つ。


 ぎろりとその視線が太兵衛を射抜いた。

「やい、太兵衛。随分と探したよ」

「よ、美成さん!」

「立ち聞きしてすまないけどさ、やっぱりあんただったんだね、この騒ぎの仕掛け人は。こいつァどういうことだい」

彼が放り投げたのは、太兵衛が持ち込んだのと同じ瓦版である。覿面てきめん、太兵衛は顔色を失った。ぱくぱくとあえぐ魚のように口を開閉させて、言葉を探している。完全に縮こまる太兵衛に、

「太兵衛さん、説明しませんと」

たまが慌ててささやいたのを見て、美成はつまらなさそうに片眉を持ち上げた。


「……太兵衛」

「へ、へぇ」

「あんたさ、変な騒ぎを起こすのは、まあ目をつむろう。私も品行方正な性質でもないしね、困ってンなら店もあんたのためにひと肌脱ぐくらいはしてやるのにさ────けど、聞いてりゃ随分と前から騒ぎの種を知ってたみたいじゃないか。何ですぐに店に言わなかったんだい。私が嫌なら、せめて田中先生に言えばよかったんだ」

「ち、違うよ、美成さん! おいらは嫌ってわけじゃなくて……でも、言ったら兄さん怒るし、おいらはその前に解決しようと思って……」

「へえ? そンで手早く解決してくれそうな兄妹をとっ捕まえて、面倒ごとだけ押し付けてたってわけ?」

「そ、そうなっちまったけどさ……」

しどろもどろに言いながら、

「でも兄さんは、兄さんなら、すぐに信じてくれたんですか。お、おいらの描いた絵から、化け物が抜け出したんだって言って!」

きっと信じてくれなかったろう、と太兵衛は小さな声をこぼす。美成は眉間にしわを寄せた。


「──絵? そりゃなんの話だい?」

「なんのって──」

太兵衛が助けを求めるようにたまと夜四郎を見た。夜四郎は静かにその視線を受け取ると、軽く首を傾げた。

「──あなたの姿を模した侍の絵の話ですよ、佐伯美成殿。昨日我々が貴方にお話しした例の絵です……さて、お二人とも肩に力が入っていてはできる話もできなくなります。ここは私からお話ししてもよろしいでしょうか」

「……ふん、まァ誰でもいいや。些細しさい聞かせてよ」

「それでは──」


 夜四郎は手短に事の次第を伝えた。事の起こりは七日ほど前の晩、抜け出した侍の絵、その捜索をたまが依頼されたこと。時を同じくして、謎の顔のない妖が、辻斬りの如く現れたこと。

 終始つまらなさそうに聞いていた美成は、ふん、とひとつ鼻を鳴らす。

「なるほどねえ、事情はまあ、そういうことにしとこうか。それにしてもなんで私の姿なんて描いたんだよ」

嫌がらせか、と言わんばかりににらむ美成に、太兵衛は震えながら頭を振った。

「まさか! な、何でおいらが兄さんに!」

「あんた、私のこと嫌いなんだろ」

「嫌いなんて、まさか!」

「ふん、話も聞こうとしない、目も合わせないんじゃあそう思われても仕方ないだろ。……そンじゃあ、嫌がらせでもなくさ、なんだって化け物絵を私の姿にしたんだい」

「そ、それは……」

太兵衛は一度言い淀んでから、肩を丸めたまま言いにくそうにつぶやいた。

「……兄さんがおいらの、憧れだったからでさァ。なんでも描いていいってなって、そンなら普段描かねェような粋な侍の絵でもって思ったンだよ。洒落てて天才で、おいら、美成さんみてェな絵師になりたくて……それに描きかけの絵が化け物になって抜け出すなんて思わなかったんだよう」

「……まったく大莫迦者おおばかものだよ、あんたは」

美成はぷいと顔を背けると、やや大袈裟にため息をついた。

「私になんかなってどうすんだ。あんたの方がよっぽど……」

呟いた声は風にさらわれて、掻き消える。太兵衛も小さくため息を吐いた。



 そんな二人を交互に眺めていた夜四郎は、

「時に、美成殿──」

今度はまっすぐに美成を見た。

「何故、此度の騒動が太兵衛殿に関するものと思ったのでしょう。この瓦版には絵のことも、貴方の姿の話も一切なかったはずですが……」

「今朝に妙な話を聞いたのさ。私によく似た奴が夜に町を歩いてたってさ────その時間は別の仕事があったから、当然、私じゃあないけどね。そンでもってそいつが刀振り回してさ、町で暴れてるって噂じゃないか。その場の疑いは晴らしたけどね、まあそんな話を聞かされちゃあ気になるよねェ。それで少し考えてみたんだけどさ、そういや太兵衛のやつがこのところ落ち着かない様子だし、その太兵衛について聞き回る妙な客も来たし。第一私の姿を模して面倒を起こすとなると怪しい奴は限られるだろ」

美成はちらりと太兵衛の方に視線を投げる。

「ま、酔っぱらったあいつが私の格好でもして悪戯いたずらして騒ぎになったか、それか兄さんに変装でも頼んだか、とにかく太兵衛の悪ふざけだと思って来たんだけどねぇ。……絵が抜け出したってのは流石に予想外だったよ」


太兵衛はぱっと顔を上げた。

「兄さん、ま、まさかおいらの話を信じてくれるんで……?」

荒唐無稽こうとうむけいな話だが、そうなんだろ」

「へ、へい! 嘘じゃねェよ!」

「はあ……まったく厄介なことになったねぇ。変に人に目をつけられてる私がさ、絵が抜け出したの何だの、言ったところで信じてもらえっこないじゃないか。化け物が人攫ひとさらいに人斬りなんて絵草紙じゃあるまいし……。ま、やっこさん捕まえて縛り上げてお上に差し出しゃ話はまた別だろうけどねえ────ああ、それで、あんたらか」

ここでようやく美成の眉間の皺が少しだけ解けた。


 美成はたまと夜四郎をまじまじと見て、ふうん、と変に納得したように頷いて見せる。

「あんたはに慣れてンだろう? 間抜けの太兵衛の奴が泣きつくくらいだ、それなりに名のある妖怪退治人とでも言ったようなもんかい? あんたら訳あり兄妹とも言っていたしねえ、本当に御伽話おとぎばなしのようじゃないか、夜四郎さん」

「ははは、名などありませんが、退治を依頼されたのは確かですね」

「へえ? なんだか胡散臭うさんくさいお侍だとは思ってたけどさ、まさかそんな絵空事みたいなことを仕事にする人だとはねえ……」

不躾ぶしつけな言葉に、夜四郎は苦笑を返した。

「まあ、信じ難いでしょうが」

「当然だろ。でも、それが真実ってンならさ、単純に信じられないの一言で捨てるわけにもいかないじゃない」

と美成も薄く苦笑する。


 たまは物心ついた頃から妖を見て育ち、彼方かなたの存在を身近に感じて生きていたのだが、当然他の人は皆が皆、そういうわけにもいかない。

 不思議なことがあればその存在が囁かれることはあっても、平和に日々を送る人ならば、絵草紙の中のものとして捉えるほうが自然なのだ。

「まあさ、私の知らない事象なんて山ほどあるだろうしね。よってたかって私を揶揄からかってンじゃないなら、ここは信じとくよ」

美成はふん、と鼻を鳴らした。


「……まあ、なんとなく、あんたらの話はわかったよ。おたまさん、ウチのが面倒に巻き込んでごめんよ。あんたは厄介なことは兄さんに任せときな──それにしても困らせることにかけちゃあ、他に類を見ない奴だね、太兵衛は」

「お、おいらは困らせるつもりなんて……」

「ふん、あんたは自分の尻拭いに躍起やっきになって気づかなかったろうけどさ、もう随分な大事なんだよ。ここに来るまでに町の噂、聞かなかったのかい」

「えっ」

「帰りに聞いて歩きゃいいのさ。例の件は実のところ誘拐事件って人は言うんだ。どうも多少は名の知れた絵師が絡んでいるらしい、その絵師は佐伯屋の倅に似てるらしい、姿の似てるってェ噂がある私が下手人なんてこともあるだろうって具合にさ────はん、とんだ御伽話だよ。好き勝手噂してくれてねぇ、まぁた皆揃いも揃って手のひらを返しやがるんだから頭にくる」

ぽんぽん出てくる話に、太兵衛はさらに色を失った。

「す、すまねぇ、おいらが今から言い回ってくる! 兄さんがそんなことするわけねぇ、そんなの全部嘘だって言い回ってくるよ!」

「……噂話ってのは風よりも速いんだ。あんたなんぞの足で追いつけるものか」

「で、でもよう」

「天才と持てはやされた絵師の黒い一面、なんてさ好奇心を刺激するにゃ十分だもんね。佐伯屋の倅だからどうだろう、あの人の弟だからこうだろうとかさ、そういった噂話にも飽き飽きしてたけどね。こんな形で噂を上塗りしてもらいたかったわけじゃないよ」

どこまでいっても、そこにあるのは虚像の『佐伯美成』でしかないのだと顔を歪めた。


 大店おおだなに生まれた天才絵師の佐伯屋の三男坊か。

 天才に胡座あぐらをかいて非道に手を染めた悪党の絵師か。


 褒めた口で容易くけなし、貶した口で嬉々として褒める。拳を握りしめて、何度か深呼吸を繰り返して、美成は顔を上げた。

「太兵衛」

「へ、へい」

「……店の方にはうまく私の方から言っとくからさ、困らせたくないって言葉が嘘じゃないなら、こんな場所で呑気にしてないでもっと真面目に町をさがしなよ。相手がどこにいンのかわかんねェなら、こンなところで油売らずにとにかく動かにゃ話にならないだろうが」

「わ、わかりやした! 兄さん、おいら、すぐに騒ぎを収めてみせるんで!」

太兵衛は転がるように走っていった。門のところで一瞬だけ振り返って、夜四郎とたまに向けて手を合わせて小さく頭を下げると、また慌しく駆けていく。


 太兵衛を見送ると、美成も用は済んだとばかりに背を向けた。そのまま背中越しに、

「──夜四郎さん、このふざけた状況をとっととどうにかしてもらう旨、私からも依頼させてもらうよ」

そう言った。

「……おけいたします」

夜四郎は丁寧に返した。

「行方が分かり次第、斬りましょう」

「はん、莫迦者の勝手で生み出されて、手前の勝手で斬られるなんざ、のっぺらぼうも可哀想な星の下に生まれたもんだねぇ、まったく」

ため息をついた美成は、そろそろ行かないとと呟いた。たまは小さく首を傾げる。


「美成さま、これからまた出掛けられるのです?」

「なに、ちょっくら自身番だよ。ここに来るまでにね、知り合いの同心に呼ばれちまってさ。ま、やましいこともなし、私にゃ立派に顔もある。ここのところ忙しかったしねぇ、濡れ衣だって証拠なんていくらでもあるからさ、しっかり調べてくれって文句だけ言ってくるよ」

ほら、と竹刀胼胝しないだこのない掌を見せてきた。指に筆胼胝ふでだこはくっきりとあるが、剣士の掌ではないのはたまにもわかる。

「……まったく、つまんないことばかり起きるねぇ、太兵衛にも、私にも」

そうやって呟いて、今度こそ美成は破れ寺を後にした。



+++



 さて、この晩にものっぺらぼうは町に現れた。

 翌朝。

 志乃屋の二階で朝ご飯を食べていたところ、おかみさんからその話を聞いてたまはびっくり仰天、文字通り跳び上がったものである。現場はこの団子屋からも、その先の方にある太兵衛の長屋からも近い川沿いの辻。


 せかけたたまは白湯でご飯を飲み込んで、

「だ、誰か斬られたの?」

と恐る恐る聞く。

「いンや、転けたときに腕は痛めたみたいだけど、とりあえず無事だってさ」

ほっと息を吐いたのも束の間、おかみさんの続く言葉にまた咽せた。

「けどねえ、絵師先生も災難だよね。これからだってのに、腕をやられたんじゃあね」

「え、絵師?」

嫌な予感がした。当たって欲しくない──祈る気持ちで思った時ほど、的中してしまう。

「その絵師って──」

「あら、あんたこの間会って来たんでしょ。佐伯屋さんのところの坊ちゃんさ」

「よ、美成さま!」

「そうそう、その名前だ。なんか噂じゃ、その人が連日の騒ぎの嫌疑をかけられてたんだってサ。それが一転、当の辻斬りに斬られたんだもの──まあ、今日は客の誰もかれもそんな話をするんじゃないかしらねぇ」

 たまはくらりと目眩めまいを覚えた。顔から色が失せる気がする。


 昨晩襲われたのは、絵師・佐伯美成。


 そして不思議なことに、これ以降ぱたりと騒ぎは起きなくなり、消えた人が続々と見つかったのである──。

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