八話 巷の辻斬り騒動(一)
闇夜に現る顔なき辻斬りの正体とは──。
そんな文句が踊るの
ところ、志乃屋の店先。
しかし、肝心の夜四郎がいない。
軽く読んでみた限り、たまと夜四郎が前の日に読んだものと内容はほとんど同じであるものの、更に詳細なことが書き連ねられていた。
「夜四郎兄さまにもお話をしたいので」
そう断ってから、昼遅く。
たまは太兵衛を連れて破れ寺へと来ていた。お決まりの「たまの兄です」「こりゃどうも」と言った挨拶を軽く済ませると、早速三人は
このところ近隣の町々を賑わせている辻斬り、
ただ、おかしなことに訴え出た人以外にはこれを見た人はいないのだ。悲鳴を聞いて駆けつけた
「あいつ、顔がなかった!」
「突然現れたんだ!」
「突然消えやがった!」
大体はこんな声であり、一部だけ、
「派手な
「似た背格好を知っているかも──」
このような具合である。
さて、この顔がないのに男或いは女の声を出す、そして顔が欲しいと言って襲ってくる化け物が、昨日とうとうこの町にも現れたらしい────。
たまは顔を青くする。
「あわわ、騒ぎになってきましたね……!」
太兵衛も顔を青くする。
「うう、そうなんだよう……詳しい容姿の話が出て来てるみたいだしさ、そンでもって全部おいらの企てってことになっちまったらよう……!」
二人は何度も瓦版に目を落とすものの、刷られた文字が変わるわけもない。挿絵として、鮮やかな羽織に柄物の着流姿で、腰には二本大小掲げた男の姿絵が添えられているのも変わらない。
「これは……」
「おいらの描いた絵に結構近いな……」
「おおう……」
二人揃って、頭を抱えるばかりである。
「たまも、太兵衛殿もそう慌てずに。瓦版とは事実も嘘もやたらめったら大袈裟に書くものです。呑み込まれたという話については心配ですが、今は慌てるよりも状況を整理しなければ」
そんな中、夜四郎だけは落ち着いたものである。
夜四郎はつと太兵衛に向き直った。
「それで、太兵衛殿。大まかなことの次第は妹より聞き及んでおりますが、改めて……。貴方の描いたこののっぺらぼう、私が斬ってしまってもよろしいのでしょうか」
既に人に危害を与えた以上、斬る気満々ではあるのだが、確認として、もう一度繰り返す。
「斬ってしまってもよろしいですね」
「え、ああ、それは兄さんの好きにしとくれよう。おいらの手にゃ負えねえもの」
「では、もうひとつ。のっぺらぼうは貴方の元へは戻ってはないのでしょうか。真っ先に貴方を呑んでもよさそうなものですが──」
「うん、来ちゃないよ。いっそ来てくれりゃあいいのにさ。うんうん、もしうちに来るってェンならさ、兄さんに夜うちに泊まってもらうのもありだなあ……」
「私としては構わないのですが……」
夜四郎は苦笑を浮かべた。
「まあ、物騒なことは私にお任せいただくとして、絵草紙屋へこの話は?」
「ううん、いや、今朝は顔を出してないからなァ。兄さんに知られたらと思うとぞっとするけどよ、こんな瓦版にもなっちまってんだし、耳聡い奴なんて山といるしで、時間の問題だよなあ」
太兵衛が大袈裟に震えて見せる。
「ああ、そうなりゃきっとおしまいさ! きっと兄さんの足を引っ張るためにやったんだって、あのおっかねえ顔で怒るんだよ……とてもじゃねえけど、おいらから言いにくいよ」
「……それでもお伝えした方が良いかと思いますよ。貴方から聞くのと、
「ううん、ソリャそうなんだけどよう、あの美成さん相手じゃあ本当に言いにくいんだよなア……」
太兵衛はこれまた大袈裟な溜息を重ねた。
そういえば、とたまは思い出す。
昨日も感じたのだが、美成に対するたまの印象と、太兵衛の印象とにかなり差があるのだ。確かに不器用な印象はあるものの、怖い怖いと言う割には穏やかな印象だったなと思い返す。
「……太兵衛さん、太兵衛さん。美成さまはそう怖い方ではないかと思うのです。ちゃんとお話ししようとすれば、きっと聞いてくださるかと……」
少なくとも、自分の非を頑なに認めないだとか、人を必要以上に詰るだとか、そう言ったことはまるでなかったように、たまは感じていた。
たまの言葉に、太兵衛はさらに
「そういや、二人は昨日店に来てくれた時に会ったんだっけか」
「あい」
「ううん、そうは言ってもさ、ソリャ、相手がおたまちゃんだから優しかったのさ。絵師のおいらと志乃屋のかわいい看板娘とじゃ話は違うだろ?」
「そういうものでしょうか?」
「そういうもんさ! 第一な、おいらが対等に話せる相手じゃあねえのさ! 美成さんみてェな天才とおいらみたいな凡才、まず立ってる土俵が違うからさ、見えてるモンも違うんだよな。そもそも話が合うわきゃねえってのはさ、きっとそうなんだよ」
だなんて、一人で納得し始めたのである。
「まあさ、結局いつもおいらの話は兄さんには届かないんだよなァ。何を言っても、結論の前に怒られちまうんだもの! だから言いにくいよな……」
それでも、と夜四郎が口を挟んだ。
「お伝えしないわけにもいきますまい。手違いに美成殿が
「ソリャ、そうさ!」
「話し辛いのであれば、たまをお供につけましょう。この子がいれば多少は穏やかにお話もできましょうし──たま、行ってくれるかい」
夜四郎が小さく首を傾げたので、慌ててたまは頷き返した。
「ええと、それは良いのですが……」
「二人で会話できりゃあそれが一番いいンだが、今回は迅速に、可能な限り冷静な状態で聞いてもらいたいんだ。太兵衛殿も今は心中落ち着かないだろうし、ここで下手に事態を混乱をさせてもいかんだろう」
「むむ……そう言うことでしたら……」
たまが重く頷くと、太兵衛は少しだけホッとしたような表情になる。
「本当かい? 助かるよ、おたまちゃん」
「でも、一度はちゃんと、お二人でお話しした方が良いかと思います! お二人とも同じようにお話ができないって思われてるんじゃあ、せっかくのご縁が勿体無いです。苦手でも、お話しすれば分かるってこともありますもの!」
「そ、それはわかってるよう。別においらだって、怖いからって、あの人が嫌いとかめちゃくちゃに苦手ってわけじゃないんだもん。尊敬してるわけだしさ……」
太兵衛は眉尻を下げた。
「頑張ってはみるけど、今回は、な? この通り頼むよう」
「あい、わかりました。たまも今回は頑張ります」
夜四郎も軽い調子で
「当然、私も行きますよ。妹一人では不安ですしね。道中町の様子も見て回りたいですし、帰りが夕刻あたりになれば、のっぺらぼうが舞い戻るやもしれません。──今日は美成殿は店の方に?」
「うーん、今日は……どうだったかなあ。店の裏に兄さんの家があるんだけど、そこにいるンじゃねェかな?」
「それはよかった。それでは太兵衛殿、案内願えますね?」
「えっ」
「これから行きましょう」
「い、今からかい?」
「早くしないと、噂話に先を越されますよ」
中々立ち上がらない太兵衛を、先に立ったたまが引っ張るようにして出掛けようとしたところ。
「そうぞろぞろとウチに来られても困るんだけどね」
聞こえた声に、三者三様に振り返る。寂れた破れ寺にそぐわない派手な身形の男が一人、険しい顔で腕を組んでいた。
「年若い娘がいるのに、なんてところに
佐伯美成が破れ寺までやってきたのである。
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