七話 たまと夜四郎、絵草紙屋へ(二)

「佐伯美成さま!」

たまは覿面てきめんに笑顔になった。ぴょん、と声も身体も跳ねると、やっぱりでした、と笑顔で男に向き直る。

「佐伯さまだったのですね! お噂は聞いております! お会いできて嬉しいです!」

「……ま、確かに私は佐伯さまだけど」

男──美成は面白くなさそうに肩をすくめた。眉間の皺は深く深く刻まれる。

「ただの佐伯美成だよ、私は。まーた太兵衛の奴、あることないこと人に吹き込んだのかい? やめろと言ってんのに……残念ながらね期待しているようなものは何もない。私は佐伯の家からも追い出された一介の絵師の端くれだよ」

「え?」

たまはきょとん、と美成を見た。それがまたつまらなかったのか、美成は更にため息を重ねる。

「……まったく、どいつもこいつも佐伯の家がなんだってんだい。私はとうにあの家から出たんだからもう関係がないって言ってんのにさ。嫁だの奉公の口利きだのなんだの聞き飽きたよ」

「はあ」

「あいつから何を聞いたのかは知らないけどね、私はただの絵描きなんだ。見も知らない人に何を期待されても何も出せやしないのさ」

「はあ……」

たまはぽかんと口を開けるばかりである。あまりにとぼけたその顔に、美成は動きを止めた。ついでその視線は夜四郎に向けられる。


 夜四郎は微笑を返した。

「高名な絵師にお会いできて嬉しいだけですよ、私もたまも。太兵衛殿から素晴らしい絵を描く方だとお聞きしておりましたのでね」

「……ふん、そうかい」

「流石は佐伯の──いえ、佐伯美成殿だ。店先の絵はあなたの筆によるものでしょう。あれは素晴らしかった」

「買う気もないのによく言うよ、全く……。それに、その褒め方は嫌味じゃないならやめてくんな。何を描いたって流石は佐伯屋のせがれ、流石は佐伯屋ってそうやって褒める奴が多くてさ──佐伯屋が描いたんじゃないのに」

「ええ、そうでしょう。先は失言でした……。素晴らしい絵というのは本心ですよ。妹も気に入ってましたし」

夜四郎はたまに目配せをする。たまも慌てて、

「あい、たまも素敵な絵だと思います。太兵衛さんからはとてもすごい絵を描く、怒ると怖い兄弟子さんがいるとしか美成さまのことは聞いてませぬ! 太兵衛さんの憧れの絵師で、ええっと、とても怖いけど天下の絵師で」

しどろもどろに力説した。佐伯家が云々という情報は、少なくても太兵衛からは聞いた覚えがない。少しだけ、美成の肩の力が抜ける。

「……怖いってのは余計なお世話だけど」

「あっ」

「……まあ、なんだ。あんた、とんと嘘がつけないんだね」

「そうでもありませぬ」

「……そこは否定しな」


 しばしの間、沈黙が降りる。相変わらず気難しそうな色を目にたたえたまま、ふふ、と小さく美成が笑んだ。

「な、夜四郎さん。失礼なことを言うけどさ、あんたの妹って結構んだろ」

「ええ、かなり」

「むう!」

たまは頬を膨らませるが、男二人は気に留めずに語り合う。

「そんで、あんたはうちのこと知ってるんだろ?」

「無論存じておりますよ。佐伯屋さんはあの辺りでも大きいですからね。私の主人も何度か世話になりましたし」

「……ふうん?」

「ただ、先ほどは失言をしましたが、家の話とあなたとは別の話でしょう。それは理解しているつもりです。私もたまも、ただひとり、絵師としてあなたとお会いしています」

夜四郎が真面目な顔を美成に向けると、美成はゆるりと口角を緩めた。

「……ふん、まあ大目に見よう。夜四郎さんとやっと目があったんだ」

「そうでしょうか」

「そうだよ、あんたらが来てから、やっとだ。自覚がなかったのかい?」

「さて……」

夜四郎は誤魔化すように苦笑を浮かべた。


 美成はしばらくはつまらなさそうに二人の様子を眺めていたが、そのうちくつくつと肩を揺らして笑い始めた。次第に笑い声まで漏れてきて、指先で目尻を拭い始める。

 これにはたまも夜四郎もぎょっとした。

「あははは、ああ、本当に馬鹿らしいや──ああ、誤解しないでおくれ、これは私のことさ」

美成は笑いながら、だってさ、と続ける。

「あんたら相手に身構えていたのが馬鹿馬鹿しくてさァ。最近来た客の中では一番愉快だよ。嘘のつけないぽやぽやした娘さんに、胡散うさん臭いがこれまた嘘の下手そうなお侍と来たもんだ──そんな人相手にさ、つんけんしてたってどうにもならないじゃない。まあ、怪しいけどさ。私の警戒する相手じゃないのに変に警戒して、要らんことまで口走った私の滑稽こっけいさたらないじゃないか」

「はあ……」

たまと夜四郎は揃って変な顔のまま曖昧あいまいに頷いた。それがまた笑いのツボを突いたのか、もう少し笑ってから、美成はおもむろに頭を下げた。


「すまなかったね、おたまさんも、夜四郎さんも。無礼を許しとくれ」

「無礼、です?」

「最初から私の態度が良くなかったろう。元より愛想なんて持ち合わせちゃないが、流石に無愛想が過ぎたよ。ここのところ、名前が売れるようになってから周りが途端にうるさくなったもんでさ──」

つい警戒してしまったのだと、そうこぼした。

「いえ、そういうこともあるでしょうし、我々も全く気にしておりませんよ。なにより、先触れも出さずに店に押しかけたのはこちらです」

「たまと兄さまは怪しい組み合わせですもの」

たまと夜四郎はまた揃って頭を振った。


 夜四郎はやんわりと呟いた。

「成果のないうちには声もかけず、光明が差した瞬間からてのひらを返されるとなれば、そういった心持ちになるのは理解できます」

「……へえ、わかってくれるのか。本当に困るよねえ、出涸でがらしだのなんだの言っておいてさ、売れ出した途端『流石は佐伯屋さん』だの、『自慢の倅』だの。それだけならまだしもさ、会ったこともない娘さんからさ突然『長いことお慕いしてました、佐伯家に嫁として、無理なら奉公人として入れてください』ってね。どこへ行っても佐伯屋の三男坊としか言われないからさ、上方あたりなんかに引っ越しも考えるくらいにゃ散々なのさ」

美成はため息をひとつ。

「でも、先入観で物事を語られるのに辟易へきえきとしてた私がさ、勝手な思い込みで人を邪険にしちゃあいけないよね」

「人間、そんなことはよくあるものですよ」

夜四郎はゆったりと応えた。


 もとより町の偏屈な人なんてもっといるものだし、たまも志乃屋の店先に出ているのだから慣れたものである。

 美成の警戒が解けたところで、あれ、と首を傾げたのはたまである。佐伯美成という男、確かに無愛想だが太兵衛から聞いた話とは随分乖離かいりしているのだ。怒らせると怖いのはそうなのだろうが、たまとしてはおかみさんも怒らせると怖いので、誰しもそうなのではと思わなくもないのである。


 とは言え、確かに美成は太兵衛の話になると声が尖り気味になるのも事実だった。

「私も周りもそれなりにあいつのことを認めてるのにさ、人の話なんてこれっぽちも聞きやしないんだ」

ふん、と鼻を鳴らす。確かに、先ほども物足りないとは言いつつも、味があって好きだとも言っていたのだ。太兵衛は褒められないと言っていたが。

「あのう、たまは太兵衛さんの絵はとても上手だと思うのですが、美成さまはどこが物足りないと思うのでしょう?」

たまは小さく首を傾げた。

「そりゃ、あいつだって小さな頃から描いてるからねぇ、技量はある。ちょいと癖はあるが、あれも突き詰めれば他に類のない画風になるだろうしね、筆の走りが若いのだって経験を積めばいいだけなのさ────私が足りないって言うのは、色だよ」

「色?」

たまは鸚鵡返おうむがえしに呟いた。少なくても、絵の具は色々と使われていたはず、と。苦虫を噛み潰したような顔で、美成は頭を振った。

「違う違う、私の言い方が悪かった。なんと言うんだろうな、あいつはもう少し周りをよく観察するべきなんだよ。人の評論で絵を描くんじゃなくてさ、実物を見て、何がどう揺れ動いて、物事が変わるかを考える──太兵衛の絵に足りないのはそう言う色だ」

「むむう、わかるような、難しいような……」

「これは単なる怖い兄弟子の独り言みたいなもんだよ。これが正解なわけじゃない、おたまさんが気にすることはないよ。先も言ったけど、味がある絵を描くのは確かなんだから、あんたが綺麗だった思うもんを大事にすればいいだけさ」

「なるほど……?」

「ま、私の言葉はあいつにゃ響かないみたいだしね、おたまさんと夜四郎さんからも周りをよく見ろと言っておいてくんな。そしたら助かるよ」

「あい、お伝えします」

たまはやっぱり安請け合いした。夜四郎は困ったようにこめかみを抑えた。


 それから少し世間話をしたところで、美成が小僧に呼ばれた。どうやら得意の客らしい。

「太兵衛のやつ、来なかったね。私の話し相手をさせただけになっちまった」

「いえ、お話しできてよかった。お茶もご馳走になりました」

夜四郎は笑みを浮かべてから、たまに向く。

「それじゃあ、たま、一度帰ろうか。太兵衛殿もいつ戻られるかわからないしな」

「あい」

「太兵衛は隣町の版元に行かせたんだけど、どっかで道草でも食ってるかもねぇ──いいよ、戻ったらあんたらを訪ねるように伝えとくよ」

「そのようにお願いいたします」

立ち上がってから、夜四郎は軽く会釈をした。


 たまも慌てて頭を下げてから後に続こうとしたところで、

「ちょいと、おたまさん」

こちらもまた立ち上がっていた美成に呼び止められた。彼がどこぞから持ってきたのは、辻でよく売られているような飴である。それをたまに差し出した。

「これ、おあがり。戻りがけに買ったが──疲れたろうしね、ま、あんたの方がこういうのは好きだろう」

「わわ、よろしいのです?」

たまは聞きながら、ありがとうございますと受け取る。安請け合いするのと同じくらいの勢いである。

「……あんたみたいな子は見ていて嫌な気はしないからね。あの兄さんも結構な曲者に見える、振り回されて苦労してんじゃない?」

「どちらかと言えば、たまがぶんぶんと振り回しているかもしれませぬ」

「それはいいのさ」

くすくすと悪戯っぽく笑いを浮かべる美成は、最初よりも、太兵衛の話に聞いたよりも、ずっと優しい雰囲気である。

──誤解されやすい方なのかしら。優しい方なのに。

たまはまずは太兵衛の誤解を解かねば、とこれまた勝手な使命感に燃えつつ、美成に促されるようにして部屋から出た。

「さ、とっととお帰り。あんまり引き止めちゃああんたのおっかない兄さんに怒られちまいそうだからねえ。くわばらくわばら」


 廊下の先の方で、夜四郎が待っている。

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