六話 たまと夜四郎、絵草紙屋へ(一)

 結果から言うと、絵草紙屋には太兵衛はいなかった。正確には、確かに来たことには来たらしいのだが、また別の使いで外に出ているとか。


 店の人から話を聞くなり、たまは夜四郎を見上げた。

「むむ、間が悪かったみたいですね」

「そうだなア。話は急いだ方が良かろうが、本人がいないんじゃあ、どうしようもないな」

言伝ことづてを残して戻ります?」

「いや」

地道に探すのも、と言いかけたたまの言葉に頭を振ると、夜四郎はぐるりと店先の絵に視線をやった。小僧は忙しそうに動いているものの、異様な喧騒けんそうなどは見受けられない。そっと声を落とす。

「見たところ、さっきの騒ぎはまだ伝わってないみたいだ。騒ぎになったらなったで困るしな、冷静な状態で話もしたい人もいる。もう少しだけ待ってみようか」

「なるほど」

「まア、折角だし、少しだけ絵を見て行こうぜ。そのうちに探し人が来てくれりゃあもうけもんさ」


ついでに一枚くらいなにか買ってやろうか、と言う夜四郎を、たまはきょとんと見上げる。破れ寺暮らしの風来坊にそんな余裕があるとは思えなかったのだが、聞けばそうでもないらしい。

「蒲焼きだなんだで豪遊するでもなし、ちょっとした買い物くらいなら大丈夫だよ」

「そうなのです?」

「おう。そうだな、団扇とかどうだい。まァ饅頭の礼だと思ってくれや」

「むむ、そう言うことでしたら、ありがたく甘えさせてください。ちょうど欲しかったのです」

「おう」

たまは真剣な眼差しを絵に向けた。


 そういうこともあって、二人は並べられた絵を興味深く眺めていた。夜四郎はもっぱら美人画や風景画を、たまは団扇絵を眺めるついでに怖いもの見たさで化物草紙なんかを除いて、ちょっぴり後悔して。そうやってしばらく過ごしていた。

 たまはそんな中、一枚の錦絵に目を止めた。

 新作と掲げられたそれは、それは見事な風景画だった。広く暗い色の空には赤黄の花火が一つ二つ咲き誇り、対してその下では賑やかな祭りの様子が鮮やかに描かれる──人々の騒ぎまで聞こえてきそうな楽しい一枚。たまは顔を輝かせた。

「素敵な絵ですねえ」

「ふむ。確かに見事だな。お、たまよ、こいつを描いたのは……」

「……ちょいと」

夜四郎がその画号を読み上げようとしたところ、声をかけてきた人がいた。声の高さからして太兵衛ではない。


「あんたら、長いことそうやってるけどさ、店になんの用なのさ。いつまでもそこを塞がれちゃ困るんだけど」


振りかえれば、まげ小洒落こじゃれた具合に結わえた男が背後に立っていた。

 男は垂れ目ながらも鋭い目つきで、たまと夜四郎をめ付ける。言うところによれば、ちょうど出先から戻ったところに、不審な客を見つけて観察していたのだと。

「娘一人がぶつぶつぶつぶつ、やたら目立つ独り言かと思って見てみりゃ、でっかいのに影の薄い兄さんとの妙ちくりんな取り合わせときた。そンでもって二人揃って買い物をするでもなく、延々と時間潰ししてるみたいでさ────用がないなら場所をあけてくれないかい。そう売り場をふさがれちゃあさ、こっちも商売にならないよ」

「す、すみませぬ」

たまは慌てて頭を下げるが、男はなおのこと腕を組んだまま次の文句を口にしかけた──ところ。


 すかさず、夜四郎が

「失礼、太兵衛殿のことはご存知でしょうか」

と口を挟んだ。

「妹と私は太兵衛殿を探しにきておりまして」

「太兵衛かい?」

そこで、虚を突かれたように一瞬だけ男の雰囲気が緩んだ。

「へえ、あいつの客なんてこりゃ珍しい。娘さんはまだ小さいけどあいつのい人とか?」

「ち、違います! ええっと、太兵衛さんに絵について聞きたいことがあるのです」

「ふぅん、そう」

男はちらと夜四郎の方にも目を向けた。


「私は太兵衛の知り合いはそれなりに知ってるけどね、あんたらは見ない顔だねぇ。あんたら、一体何処から来たんだい」

「あっ、志乃屋から来ました、たまと申します。…………こちらはたまの兄さまです」

「たまの兄の夜四郎です」

男は二人の自己紹介にああ、とひとつ頷いた。

「志乃屋さんか。確かに太兵衛の部屋から近かったねぇ。うちの連中があんたのところの饅頭やら団子やらが好物でさ、そこならよく知ってるよ」

「わあ、本当ですか!」

たまは顔を輝かせる。

「たまもうちのお饅頭が好きなんです! 気に入っていただけてとても嬉しいです!」

飛び跳ねるたまを男はにこりともせず見る。


 男の態度は終始固いものだったが、二人を邪険に追い払うつもりはないらしい。

「……まあ、太兵衛の客って言うんなら、少しだけなら中で待ったらどうだい。そんな場所に立たれても邪魔だしさ。片づいちゃないが茶の一杯くらいなら出せるよ」

それからつと店番をしていた少年の方を向いて、

「太兵衛のやつが戻って来たら、志乃屋からおたまさんと夜四郎さんが訪ねてきたって伝えな」

それだけ言うと、さっさと店の方へと入って行ってしまった。

 この男、中々自由にできる立場らしい。たまと夜四郎も慌てて後に続いた。



+++



 余計な場所を触らないどくれよ、と男は言いながら、振り返りもせずさっさと先を歩いていく。少しだけ空いた距離を確認して、たまはそっと夜四郎に囁いた。

「あの方、夜四郎さまに気がつかれましたね」

たまとしては拍子抜けである。どうやって夜四郎を目立たさせようかと考えていたのに。夜四郎は夜四郎で、気がつかないなら好き勝手に店の中を見てまわる心算こころづもりだったのだが。

「まあ、ある種敏感な方なのかな──」

腕を組んで呟いた。


 通されたのは、小さな部屋だった。客が来た時に使う部屋らしく、ここはそれなりに片付いている。座るなり、男は夜四郎を見た。

「……それで、太兵衛の客ってことはわかったけどさ、妙ちくりんな客だねえ、本当に。団子屋の娘に兄はお侍と来たんだから。夜四郎さんは志乃屋さんで働いてるんじゃないの」

「ええ。私は別で仕えている身になります」

「ふうん? ついでに気になってたけどさ、あんたお侍なのに絵師なんぞにそうへりくだる必要はないんじゃない」

「私は元々こういった性分ですから」

「まあ、あんたがそれでいいなら私は何も言わないけどさ。……要するに、太兵衛の客は訳あり兄妹ってわけね」

「ええ。とても訳ありなのです」

たまは真面目な顔で、深く頷いてみせた。夜四郎も苦笑しつつもならって頷いてみせる。

「物語みたいで面白いね。珍しい客に、珍しい取り合わせ──好奇心がうずくね」

男はちっとも面白さを感じていなさそうな口ぶりである。


 遅れて運ばれてきた茶で口を湿らせる。

 店の中はばたばたと人の動く気配はあるものの、誰かが戻ってきたような気配はない。男は特に立ち去る様子もなく、のんびりと二人の前で湯呑みを傾けていた。一瞬だけ緩んだ剣呑な雰囲気は戻ってきてしまっている。警戒されているなとは、たまにもわかる。

 何気なくそんな男の様子を眺めていると、ばちりとたまと男の目が合った。

「なんだい、じろじろと」

「す、すみませぬ」

「ま……怒るつもりはないよ。私の方もあんたらにあれやこれやと聞いてるからね、おあいこさ。で、なんか私の顔についてたのかい?」

「いいえ。太兵衛さんをよくご存知なんだなと思いまして」

たまは正直に伝えた。

「ヘンテコな客が訪ねてきた太兵衛さんのことを、心配されてるんだろうなあと……。たまはどうやったら怪しく見えないか、安心していただけるかはあんまりわからないのですが……」

「へえ、そう見えた?」

意外そうに男は目を瞬かせた。

「ま、同じ師匠に習ってるんだし、弟分だからね。心配のひとつや二つ、するもんだろ。しかし自分でヘンテコなって、ねえ」

自覚があるのかい、と少しだけ声に愉快そうな響きを含ませた。

「そんじゃ、聞かせてくれるかい、ヘンテコなおたまさん。太兵衛のやつに絵の何を描きにきたんだい」

「ええと、あの、た、たまは太兵衛さんが最近面白い絵を描いたと聞きまして……お侍の絵なんですが、それでそのう」

「ん? それは初耳だけどさ、侍……ってことは兄さんの絵かな」

「ああ、いえ、そういうわけではありませんよ」

夜四郎は微笑した。


 流石に、のっぺらぼう云々とは初手で切り出す訳にもいかない。太兵衛からは騒ぎになる前にどうにかしてくれとの頼みでもあるのだ。

 夜四郎は人好きのする笑みを浮かべると、つらつらと語り始めた。

「実のところ、私は太兵衛殿とはお会いしたことがないのです。常から妹が世話になっていましてね、それで太兵衛殿の絵の話をよく聞くのですよ」

「へえ、それで?」

「妹とも馴染みのある方ですし、せっかくなので兄妹二人の姿絵でも頼んでみようかという気になったんです。聞けば最近侍の絵を描いていたこともあったようですしね、これは天が太兵衛殿に絵を依頼するよう囁いてるのだと思いまして」

「ふうん、その絵は人に頼まれでもしたのかな。侍の絵ってのは知らないけどさ」

男は別段、疑う風もなく考えるそぶりを見せた。

「頼むって言うけどさ、あんたら、太兵衛の絵は見たことはあるのかい」

「あ、たまはあります。素敵な絵師さんです」

と、たまが言うのに

「私はありませんね」

と、夜四郎が続く。


「そうそう、私がわざわざここに来たのは太兵衛殿の絵を拝見したくもありまして」

「絵も見たことがない絵師に絵を頼むなんてさ、夜四郎さんもいい加減なひとだねえ」

「た、たまが太兵衛さんの絵を気に入ってますから! たた、たまがそれなら太兵衛さんをと!」

「……ふうん、そういうことにしとくか。ま、店にある分ならいいけどさ……。ちょいと待ちなよ」

そう言って男は部屋の外に声をかけると、近くにいた小僧に数枚の絵を持ってこさせた。美人を描いた錦絵と、風景を描いた肉筆画と、あとは紙に様々な物を描き散らした一枚。

「こんな感じだよ。売り物じゃあないけどね」

男は夜四郎を見つめた。夜四郎はうやうやしく受け取ると、手元の絵に視線を走らせる。たまも覗き込んだ。

「さて、妹さんは気に入ったようだけど、兄さんはどう思う? ああ、斟酌は要らないからね」

「……そうは言いましても、私は絵に関しては素人ですから。味のあるいい絵だと思いますよ。これなら安心して任せられそうだ」

「……どこまで本気なのかわからん目をしてるからねえ、あんたも……」


 男は胡散臭そうに夜四郎を見て、そらから絵に視線を落とした。人に向けるよりは、随分と柔らかな視線。

「では、絵師から見て、はどうでしょう?」

夜四郎は静かに尋ねる。

「こちらはいい絵でしょうか」

「……感じるものなんて人それぞれだよ。自分が美しいと思ったならそれで良いんじゃない。事実さ、私も太兵衛の絵は素直で好きなんだよ────ただまあ、だからこそ、ほんの少しだけ物足りない。あくまで意地の悪い兄弟子のぼやきさ」


──兄弟子。


 たまはハッとして目の前の男を見た。太兵衛の言っていた、無愛想で小洒落た兄弟子。

 夜四郎を見上げると、たまの言いたいことを察したのだろう、ゆっくりと頷いた。

 男は溜息混じりに呟いた。

「あんたら、あいつの知り合いだろう。もう少し周りの心に気を配るように言っておいておくれ。そうすりゃあ良くなるんだから──兄弟子が言ったってきかないんだ、友人の言葉ならもう少しは響くだろ」

「あ、あのう、太兵衛さんの、兄弟子さまです?」

「そうだけど……おや、あんた私を知らないのかい」

男はまた意外そうにたまを見た。たまとしては太兵衛の兄弟子が一人なのかもっといるのか分からないので、なんと答えたものか口籠くちごもる。そんなたまを見て、

「……失礼、名乗りが遅れていたね」

男は無感情に名乗りをあげた。

「私は佐伯さえき美成よしなり──あんたらの探し人の、兄弟子さ」

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