五話 太兵衛を訪ねて方々へ(二)

 たまは夜四郎の顔に浮かんだその感情の色を読み取れなかった。寂しいのか、悲しいのか、辛いのか、はたまた他の何かなのか。


「夜四郎さま……」

どう声をかけたものか答えを出しあぐねるうちにまた眉間みけんしわを寄せていたらしい。とん、と軽く押された。

 見上げれば、いつもの人好きのする笑みを浮かべた夜四郎がいる。

「言葉が足りなかったかな。心配は不要だぜ、おたま。あいつは俺の自慢の弟だし、あいつも俺なんかを兄だと慕ってくれてるよ」

「自慢の……弟さんですか」

いいなあ、と単純に言っていいものかわからないたまは、鸚鵡おうむ返しに呟く。


「そう。俺とは正反対な奴だよ。落ち着いていて、体の方も丈夫で、少しばかり気が優しいがちゃんと人の上に立つ器もある。剣の腕も学問も努力家だったしな、今じゃあ文句なしに修めているくせ、威張ったことはまるでしない。見目だってかなり良くてなア、そんじょそこらの役者じゃ太刀打ちできねえほどなんだぜ」

夜四郎は夜四郎で、そんな具合でやたらと褒めた。その声は取りつくろうようなそれではなく、ひどく柔らかく優しいものだったので、たまは少しだけほっとした。

「お優しい方なのですね」

「おう。おたまと似ているところがあるからな、会ってみりゃ、気が合うかもしれねえな」

冗談めかして笑う。

「でも、そのお話だと夜四郎さまとそれなりに似ていらっしゃるような……」

「まさかよ。まるで似てない兄弟だって話題だったんだぜ。まるで正反対だからさ、二人してよく笑ってたよ」

「仲良しで、素敵なご兄弟です。お二人とも、お互いに大切にし合っているんですね」

「……そうだな」

呟く夜四郎は、気がつけば少しだけ歩幅が大きくなって、その表情はたまからは見えなかった。


 それでも、距離が開きすぎないようにはしてくれているらしい。少しだけ前を歩いている。

「何のことはない、俺もこう見えて結構な寂しがり屋なモンでね。こんな身体になって以来会えてないのさ。賑やかな毎日だったからさ、こうも穏やかで……知ってるやつと誰とも会わない毎日となると、余計にポッカリとするもんなのさ」

たまはハッと気がついた。

「……あの、もしや、お家の方々は、夜四郎さまが視えないのです?」

「視えない。不思議だよな、町の人ならさ、いくら視えにくくても根気よく粘ればいつかは視えンのに。一度あの家に入ると、誰も俺の姿を視えないんだよ」

「……」

「そら、おたま。まぁた皺が刻まれた。おまえさんの人に寄り添おうとする心は好ましいけどな、あんまり気にしすぎても良くないよ。そう悲観するようなことばかりでもないんだしさ。──それ、兄さまがシワを伸ばしてやろうか」

途端に悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべた夜四郎に、たまはぷうと膨れて閉口してみせた。

「むう!」


 突いてくる夜四郎から少しだけおどけておでこを守りながら、たまはちらりと夜四郎を伺い見た。たまの知らない夜四郎はまだまだたくさんあって、語れないこともたくさんあって。何も知らないうちに余計なことを言えば、また夜四郎の表情が曇ってしまうのならと、今はあれこれ聞きたい言葉を飲み込んだ。

 そもそもたまも、自分のことはほとんど話していないのだから、仕方あるまい。

 折角、偽りとは言え兄妹なのだ。たまのことを伝えて、夜四郎のことを知って、それから妖退治の他でも力になれればなあと、たまはほんのりと心に抱いた。

 

 ふと、目の前の夜四郎が立ち止まる。たまはぶつかるようにして足を止めた。

「へぶっ」

「あ、すまん」

「平気ですが、一体……」

たまは道の先をじっと見た。夜四郎が止まったわけを聞く前に理解した。

 道の先で、読売よみうりの男が声高らかにこんなことを言っていたのである。


「さあさ、そこ行く兄さん、姉さん、ちょいと止まってくれな! 損はさせねェ、大事件! 隣の町で化け物騒動、辻の妖の再来か? これに備えるンなら事件を知らなきゃ話にならン! 風より早い情報が売りの瓦版かわらばん、風来堂の瓦版を買っとくれ!」


読売の男は手に持つ瓦版それをこれ見よがしに掲げてあおる。たまと夜四郎は顔を見合わせた。

「夜四郎さま、化け物騒動です」

「隣町か」

「のっぺらぼうでしょうか?」

「さてな……人も集まってるしひとつ読んでみるか。おたま、一枚買ってきてくれるかい」

「あい、お任せください」

たまは夜四郎から四文銭を受け取ると、一枚買って戻ってくる。二人して顔を突き合わせて読むことには────。


「闇夜に踊る、顔なきの妖の怪──」


 いわく、隣町に辻斬りまがいの行為を働く正体不明の男が現れたのだという。目撃した人によれば、顔は紙を貼り付けたようにまっさらで、何もなかったと。身体は枯れ木のようでもあって、それでいて大柄にも見えたのだと。声は男のように低いという声もあれば、女のように甲高いという声もある。


 数人の人がそれぞれ別々に訴え出ており、

『口もないのに人を丸呑みしたのを見た』

『顔が欲しいと言って辻斬りに及んでいた』

『自分はなんとか逃げ切ったが、突然声もかけられずに襲われた』

と口々に主張するらしいのだが、明確な証拠などはどこにもない。

 ただ、ここ数日で行方知れずの人もちらほらと出ており、人気のない夜道でぱったりと消えることから、人智を超えたものの仕業、妖の仕業を疑うほかないと────そう言った具合で締められていた。


 たまはあんぐりと口を開けた。

「や、夜四郎さま、これはやっぱり太兵衛さんのです」

「だろうな。いよいよ騒ぎになってきたか」

「あわわ! 早いところ捕まえねばなりませぬ!」

「異論はないよ。しかし、おたま、そういや聞き忘れていたが、捕まえてどうする?」

「ええと」

たまは少しだけ、考える。


 今回、相手は既に誰かを丸呑みにして、誰かを斬りつけている疑いがあるのだ。たまとしては優しい妖については無闇に斬るのは嫌なのだが、そうも言ってられなさそうな気配である。

「最初は、太兵衛さんのところに連れて帰って、そこで格好いい顔を描いてあげれば、満足して彼方かなたに帰るかなって思ったのです」

「ふむ……」

「けれど、今回はそれで満足するかもたまには分かりませぬ。どんな妖かも分かりませぬ。もしも本当に人を襲っているなら……夜四郎さまの判ずる形で退治するのがいいかと思います」

「まア、今回はそれが良いだろうな」

人に害なす妖は斬る、それが夜四郎の役目だ。

「斬るほかあるまい」

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