三話 たま、破れ寺へ(二)

 身体を妖に奪われた夜四郎が特殊な存在であるとするならば、たまもまた特殊な存在である。


 たまも夜四郎と同じく半死半生はんしはんしょうの身──なんてことは全くないのだが、ひとつ、たまは不思議な目を持っていた。


 すなわち、妖たちの彼方かなたの世界を映しとる目。


 通常人の目には映らないはずの彼方かなたの景色を、たまの右目は映すのだ。故に普通の人と見ている景色がまるで違う。人の世──此方こなたに紛れ込むような妖がいた場合、一目でそれと分かるようになっていた。

 彼方かなたにいる妖も視ることができるし、人に紛れて暮らす此方こなたに棲み着くようになった妖の姿も視ることができる。


 生まれた時から、たまは彼方かなたの景色と此方こなたの景色を重ねて、世界を捉えていた。


 その事実は誰にも隠すようにと物心ついたばかりの頃に父と約束していた────のだが、たまは生来せいらいのうっかり者であった。策などろうす必要すらないくらいに嘘が下手で、表情もころころ変わって隠し事にはとんと向かない。信頼している人相手だとポロリと重要なことをこぼす、稀代のうっかりもの。

「おたま、おまえさんはもう少し嘘が上手にならないといかんな……今までどう隠しおおせていたんだか……」

夜四郎はため息をついた。夜四郎はたまのその目のことも、そんなたまの性質も当然知っている。

「俺は色々と心配だぞ、おたま。……そンでおまえさんの目にはその鴉、どう視えてるんだい」

「ええと、そのう……」

たまは口籠くちごもって、すぐに小さく続けた。

「歪むというか、背後に大きい赤い影を背負っているみたいな……」

「ははあ、そンじゃ、志乃屋さんのお得意様は化け鴉だったと」

「あう」

たまは顔をおおう。


 で、でも、とたまは立ち上がって鴉の前に躍り出た。夜四郎は面食らったように目を丸くして、まばたきを繰り返す。

「や、夜四郎さま、たまは、この子を斬るのは反対します! 妖ですけど、から太はとってもいい子なんです」

「おっと……ン? から太?」

「この子の名前です」

「ガア⁈」

鴉が勝手な命名に抗議の声をあげた。

「……鳥助とりすけは気に入ってないようだが……」

「ガア!」

またもや抗議の──今度は体当たりである。夜四郎は覿面てきめん顔をしかめた。

「あ、こら、痛えな! 本当にコイツがいいこなのか⁈」

「あ、あい。そのはずですが……団子屋うちではお行儀がいいし、他の人にもあまり視えないみたいだし、たまに視える人がいても攻撃なんて……。夜四郎さま以外に、この子がやんちゃな悪戯をしているのを視たことはありませぬ!」

「俺にだけかよ……」

「そ、それはほら、お二人が似ているからではないです? 兄のようにしたっているんですよ、きっと」

いつもお腹を空かせているところだとか、頭頂部付近のボウボウとした様子、ぴょんと跳ねた髪、全体的に黒色なところも、どこか気怠けだるそうなところも似ているとたまは思ったのだが──。

 しかし、一羽と一人は不服そうにたまに

「ガア!」

「んなわけねえよ」

抗議した。ほら、似ている、とたまは喉元のどもとまで来ていた言葉を飲み込んだ。


「夜四郎さまが妖を斬らねばならぬのは重々存じております……が、この子は人を食べたり、怪我をさせたりする子じゃないんです。多分迷子になっちゃって心細いだけなのです」

「まあ、そうだろうな。することがいかにも子供の悪戯程度……ッてェな、いちいち突くな、化け鴉! 安心しろよ、おたま」

夜四郎は鴉をつかむと、庭の方にポンと放った。鴉は慣れたもので、すぐに羽を広げてゆるやかに着地する。

「おまえさんはそういう妖を助けたいんだろう」

「あい」

「そンなら、そうすりゃあいい。何も、彼方かなたへの送り方なんざ斬るだけじゃあねえだろう。おまえさんの可愛がっている奴をわざわざ斬ったりなどせんよ」

たまはほっと胸を撫で下ろしたのだが、

「ただし、悪い奴だとわかったらすぐに斬る。とん、と真っ二つだぜ、鴉」

続いた言葉にあんぐり口を開けた。慌てて鴉に呼びかける。

「か、から太! あんまり悪戯すると夜四郎さまに食べられちゃうよ!」

「いや食わねえよ」

「ガア」

たまばかりが顔色をころころ変えて慌てている。



+++



 さて、腹もくちくなれば夜四郎も鴉も落ち着くようで、今は二人と一匹、濡縁に並んで湯でのどを潤している。ふたのない急須に、ふちの欠けた湯呑みに、五枚ばかり積まれた煎餅座布団せんべいざぶとん、流石に水甕みずがめだけはほとんど新品のきれいにされたものがひとつ──たまが遊びにくるたびに、こまめに掃除して整えているので、最初こそは廃屋そのものだったこの破れ寺にも多少は生活感が出て来ていた。


 夜四郎はそこでふと、思い出したかのように首を傾げた。

「そういや、おまえさんはなんぞこの俺に用があって来たんじゃないのかい。差し入れついでに掃除に来たってわけじゃあねえんだろう」

「あ、そうでした。夜四郎さまのお耳に入れておきたいことがありまして」

「ほう? まァ、饅頭ももらっていることだしな、なんだって聞くぜ」

「そう言ってくれると思ってました!」

「モノで釣れると思われてンのは一寸ちとしゃくだがな……」

ううむ、と悩ましげに悩む夜四郎の顔も、続くたまの言葉でころりと変わる。

「絵師の太兵衛さんから、絵から抜け出したのっぺらぼうを──顔のない侍を探してくれと、頼まれたのです」

「のっぺらぼう?」


 たまは頷くと、太兵衛から聞いた話を覚えている限り夜四郎に伝える。夜四郎はあごを撫でながらそれを聞いていた。

「……へえ、兄弟子殿の姿をわざわざね。そンで、そいつが刀ひっさげて逃げたきり戻らないと……。これまた安請け合いしたな、おたま」

「あう」

「いや、責めてるんじゃないよ。そういった案件は大歓迎だぜ」

夜四郎は軽くたまの頭をぽん、と叩くといそいそと支度を始めた。

「のっぺらぼうなら、都合がいい。俺にも視えるだろうしさ、二本差しというのも気に入った。ちょうど稽古けいこ相手がいなかったからな」

「のっぺらぼうは夜四郎さまも視えるのです?」

「明らかに違う形ならそりゃア視えるさ。似たようなモンは前に斬ったことがある」

夜四郎はニッと笑った。

「なんたって俺は──」

「妖斬りの夜四郎さまですものね」

たまも神妙に頷いた。


 たまが夜四郎の元にすっとんできた理由が、これである。夜四郎は失った身体を取り戻す為、此方こなたに紛れ込んだ百八の妖を彼方かなたへと還さなくてはならないのだと。夜四郎曰く、それがくだんの妖との約束だと──。


 しかし、困ったことに、夜四郎は妖を見抜く目を持たなかったのである。 


 もとは妖を見る機会は一度もなかった夜四郎も、今となっては彼方かなたのモノに近い状態になっているためか、妖の存在自体は感知できる。ただ、異形としての姿そのままで在ってくれればまだ見分けがつくのだが、人や動物に擬態された途端、それが此方こなたのモノなのか彼方かなたのモノなのか判別ができなくなるのだ。


 さあ、困った困った──そんな時、夜四郎とたまは出会ったのである。


 妖を視ることはできても、視るほかはできないたま。妖を判別できずとも、それを断ち斬る力を持つ夜四郎。

 大切な人が妖になって、それでも自分一人の力ではどうしようもできなかったたまは、夜四郎に助けを求めるついでにこんな約束をしたのである。


 たまが妖を探して夜四郎に知らせる。夜四郎はその妖を斬る。ただし、悪い妖以外は、その心を助ける為に、たまに力を貸すこと──そういう約束。


 そんなわけで、たまは話を聞くなりここへやってきたのだ。

「これからどうします?」

たまは菓子箱を片付けながら首を傾げた。雲間の日差しはまだ落ちそうにない。

「そうさな、まずは件の絵を見せて貰いたい。ついでに話を聞けたら文句なしだな」

「では、たまと参りましょう」

「ン、たまとかい」

「あい。たまも今日はもう自由ですし、それに」

たまはじっと夜四郎を見上げた。

「……聞いたところによれば、たまの兄さまなのでしょう、夜四郎さまは」

「ははは、こりゃ参った! そうだったな」

悪びれもせず夜四郎は楽しそうに笑った。

「そンじゃあ、早速行こうぜ、妹よ」

「まずは何方どちらへ?」

「太兵衛殿の長屋かな。案内頼むぜ」

「あい」

たまはしっかり頷いた。

「帰りにお蕎麦そばでも食べましょうか」

「お、いいな。蕎麦代くらいは持たせてくれよ」

「ガァ」

鴉を留守番にして、二人はまず、太兵衛の長屋へと足を向けた。

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