十八話 のっぺらぼう(解く)

 のっぺらぼうが美成を飲み込んだまま、夜に溶ける。すでにこの場にはいなくとも、まだそう遠くには行ってなかろうが──と夜四郎は周りの気配を窺う。

「たま、今近くに奴はいるのか」

「い、いいえ、近くにはもうおりませぬ」

たまはふるりと頭を振った。

「何処へ行ったかわかるか」

「のっぺらぼうはあちらの方です!」

「……まさか美成殿が食われるとはな」

夜四郎はぽつりと呟いた。たまはあわあわと落ち着きがない。

「あ、あの、や、夜四郎さま……」

「俺だってこのまま見逃すつもりはないからさ、そう慌てるなよ」

その視線はすぐにたまの指差す方角、絵草紙屋の方に向けられた。のっぺらぼうは太兵衛を喰らいに来たはずだが、なによりも優先するのはきっと己の腹の中を守る方だ。


 たまは鴉を抱えたまま、歩き始めた夜四郎の後ろに続く。

「しかし、鴉と来たのにゃ驚いたぞ」

「す、すみませぬ」

「いい。来るなとも言ってないしな──想定外だっただけで。そいつがおまえさんを呼んだのか?」

「……あんまりつついてくるので、たまも驚きました。こんなことってなかったで、何かあったのかなって」


だから、たまは待っているはずの破れ寺を抜け出した。鴉に誘われて、のっぺらぼうの歪みを捉え、夜四郎を止めるに至った。


「……おい、鴉。お前、妖だろうよ」

夜四郎が鴉を見やる。ぷい、と顔が背けられるが、構わずに続けた。

「鴉、奴を視て、そンでもって追えるかい」

「……?」

「奴を逃したくないんだ。美成殿も取り戻したい。……だから、危なくない程度でいい、一瞬だけ引き留めておいてくれるか」

「……」

「か、カラ太」

「……ガァア」

鴉は仕方ないなとばかりにひと鳴き、夜四郎に顔を向けてから、そのまま黒塗りの空に飛び立った。

 目を凝らせば空を進む姿が見える。微かに見えるそれを、二人追う形になる。


 たまは早足で歩きながら傍を見上げる。

「あの、のっぺらぼうは強いのですか」

「……まァ、すばしっこいやつではあるな。それに、存外此方に馴染んでいるようでな、中々に厄介だが」

「馴染む、ですか」

たまは瞬きを繰り返す。夜四郎はうん、とひとつ頷いた。

「所謂、縁ってやつさ。この世に存在する為に、ふわふわと魂が飛んでいかないように、この世と縁を結んで己を繋ぎ止める糸のような、な。俺たちは人として生まれた時点で此方と強く結びついている。逆に、妖は妖で彼方と縁を結ぶもんだろうが……時折例外は生まれるんだろうよ」

「はあ……」

「人は死したら彼方へ流されていくもんだが、時折此方との縁が強すぎて残っちまうこともある。それが妖と為ることもある──妖が人の世に紛れて人と縁を結ぶこともある──そんな具合にさ、あののっぺら某も此方と、佐伯美成という男と強い縁を結んだんだろう」

「縁……」

ぽつりと反芻する。のっぺらぼうは佐伯美成を飲み込んで、それでいて渡すまいとしていた。奪うなと、己のものであるのだと。


 そこで、たまはふと耳の奥に残る声を思い出した。ある日、佐伯美成を訪ねた日。

「──むぼう」

たまは聞こえてきた音を呟いた。ひらりと思いつきが舞い降りる。思い出す。アレは、名前? 無謀だよ、と諭すのではなく。むぼう、と呼んだのか。そう言えば、と更に思い返す。

「……あの妖の名前は、のっぺらぼうじゃないです」

たまはハッキリと呟いた。

「むぼう、そういう名前なのです」

「なに?」

夜四郎がたまを見つめた。

「前にお見舞いに行った時、美成さまは誰かをと呼ばれてたのです。その時はわかってなかったのですが──のっぺらぼうも、さっきはそう名乗ってたのです」

──顔がない、故に無貌か。そのまんまだな。ああ、しかし、そうか」

夜四郎か苦虫を噛み潰したような顔になる。

「美成殿は彼奴に名をつけていたのか。……そりゃあ執着もされるだろうよ」

「名前をつけるのはやはりいけないことなのですか?」


たまは首を傾げた。(受け入れられているかは別としても)すでに妖鴉に名をつけてしまった、と言うのもある。夜四郎はうん、と頷いた。

「名は一つの縛りだよ、おたま」

「縛り?」

「そう。この世に存在するために、そこに在ることを証明する一つの鎖さ。さっき言った縁のようなものだ。此方に揺蕩たゆたう存在だったのっぺらぼうが、美成殿の友として、『無貌』と呼ばれる存在として定義され、故に此方に強く縛られることとなる──」


太兵衛が生み出し、美成が此方に縛り付ける為の名をつけた存在、それが無貌なのだと、夜四郎は言う。

「名があると、斬れないのでしょうか」

「……名のある人同士でも斬り合ってるだろう。名のある妖退治譚も山とあるしな」

「では、斬れるのですね」

「斬れる」

「それなら」

「美成殿が呑まれてるとな、そのまま斬るわけにも行くまいよ」

夜四郎は前を見る。先から、鴉の声が聞こえる。バサバサと羽根の音、その隙間に鋭い風切り音。──夜四郎の歩幅が大きくなる。

「たま、俺が言うまでは、隠れていろよ」

「あ、あい! その、美成さまは……」

「おまえさんは逃げる奴を視ただろう。何処なら斬れる? 美成殿が妖になったのではないのだろう」

こくりとひとつ。そうは視えなかった。

「ならば奴の内にあるその境目を教えてくれ。奴を斬る、その前に美成殿を此方に引き摺り出す」

「そ、それなら、たまが引っ張ります!」

「それには及ばんよ。斬り合いの場に出るなんざ無謀だし──溶け合っていたら切り離せない。奪われるくらいならとヤケを起こすこともあり得るだろうしな」

夜四郎は横目でたまに視線をくべた。

「これから先、美成殿の身の如何はただ俺の腕と奴の気分次第だ」

「……たまは……」

言うだけで力はない。足手纏い。それはたまとしても重々理解している。力になりたい、何かをしたいと──それが相当な、いま言うべきではない我儘だと言うことも。


「しかしな、おまえさんの戦うべき時は今じゃない。そこは見誤ってはいけねェよ。この時間も、この機会も、俺は逃してはやれない」

相手はたまが相手だろうが容赦はないだろう。刀を持つ夜四郎、その背後にいるだけの力を持たないたま。そうなれば、まず先に狙うのはたまだ。たまには、相手の太刀筋を避ける術もないのだから。


「──なにより俺はだな、たま。おまえさんに見届けても良いとは言ったが、少しは心に矛盾もあってさ、お前に斬ったり斬られたりの沙汰を見て欲しくはないんだよ。美成殿を助けたい、それは俺にも理解できる。目の前に手を伸ばしたいのもだ。だけどそれでお前さんが不要な危険に遭うくらいなら、それは理解してやれないよ」


 たまもそれは見たくはない。

 それが妖であれなんであれ、命が絶たれる瞬間など見ようものなら、きっと、後悔する。それでも、と。たまはまっすぐに夜四郎を見た。

「……いさせてください」

「まったく、とんだ我儘娘だよなァ、お前さんも」

夜四郎は呆れたような、何処か残念そうにたまを見遣るが、彼はもう一度問うた。

「……境目は何処にあるんだい、たま」

「背中、腰の辺りなら、ハッキリと美成さまの影が見えます」

「さっきも言ったが、隠れているんだ。目を閉じろと言えば閉じる、声も出さない。俺が斬られても、鴉が斬られても、例え美成殿を引っ張り出せなくてもだぜ、おたま──」

強く呟くその声。たまは目を逸らさない。

「何が起こっても、のっぺらぼうの騒ぎは今夜で終わりにする」

「わかり、ました」

「なら良い」


音が近い。賢い鴉はなんとか、上手くやったらしい。夜四郎は息を吐いて、音の方へと駆け出す。




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