十七話 のっぺらぼう(包む)

 妖を見抜く瞳はなくとも、のっぺらぼうと人とを見間違えることなどない。


 夜四郎は町を駆け抜けている。その背中を追うは、のっぺらぼうだ。誘い出して、出来る限り人気のない方へと走っている。

 この妖がやけに佐伯美成にご執心らしいというのはすぐにわかった。だから、そこを狙って言葉を振りまいていく。妖の目が夜四郎を捉え続けるように、怒りに目が眩んで逃げ道を己自身の手で潰させる。


 この妖は愚直で、ある種純粋に出来ていた。無貌は美成のことを匂わせるとすぐに牙を剥く。太兵衛の名を出し、美成を奪うといえば、簡単に敵意を向ける。地を這うような声で、

「奪い、に来た、のか」

そう聞いてくる。

「さあてなァ」

と悪戯に鼻で笑えば、

「渡す、ものか! お前、なんぞに!」

と怒りを表す。

 のっぺらぼうは衝動のままに足を動かして、夜四郎の後を追う。


──しかし、まァ、厄介ではあるものだな……。


 夜四郎は何度か刀を手に軽く斬りかかっている。

 薄く小袖を斬って、次いで降ってきた相手の一打を跳ね返すを繰り返す。初めこそは出会い頭の一撃で仕留めるつもりであったのだが、存外、この妖は疾かった。剣を振るうことにもそれなりには慣れていた。


 のっぺらぼうは一瞬の隙で影に溶け込む。そうかと思えば背後から現れる。いつ逃げ出されるかわからないからこそ力を入れすぎても、抜きすぎてもいけない。勝ち目がないと思わせてはいけない。だからと言って、本当に負けるわけにもいかない。

 無貌はそれこそ煙のように、ぬるりぬるりと寸でのところで避ける。暗がりを上手く利用して、目の錯覚なのか、目で見た距離感よりももう少しだけ遠いところに奴はいるのだろう。その距離感を夜四郎はずっと測っている。


 突く、斬る、避ける、受ける。


 とは言え、こなれたその動きも剣豪と呼ばれるような人のそれではない。道場によくいる手合いであり、構えも軌道も読める。打つ一撃は然程の力もなく、難なく跳ね返せるのだが、距離感だけがこうも読みづらいのだ。


 鋭く風が鳴って、夜四郎は真一文字に刀を走らせた。それは身を反転して避けられ、返す刀はより深く走らせる。のっぺらぼうは衣を裂いたそれを掠めて避ける。煙を相手にしているようなそこに目を向ける。


──やりにくい相手ではあるが。


やれないことはない、とひとりごつ。

 このような手合いと長期戦をしても良いこともなく、何処かで対峙する理由がないと判じられ、逃げられでもしたらそれこそ厄介だった。

 知らぬ町で新たな人が狙われ、食われ、己は妖を斬れずに終わる。


──此処で仕留める。


 たまには破れ寺でと言ったものの、何もこの斬り合いだけが顛末ではない。太兵衛が選んだ道を、その先に続く美成が選ぶ道を、それを見届ければいいのだと、夜四郎が地を蹴る。

 間を詰める。

 のっぺらぼうは素早く構えをとるが、夜四郎の方が早かった──やや踏み込みすぎたかと思うほどに大胆に距離を詰め、下段から斬り上げ──。


「ま、待って! だめ!」


ふと、聞き慣れた声が夜闇を裂いた。すぐに目の端を飛び過ぎる黒い影がひとつあり、夜四郎は咄嗟に身を捻って避けながら、それが鳥であることを確認した。真っ直ぐにのっぺらぼうに襲いかかったそれは夜四郎に見向きもせずに飛び回る。突き、羽根を撒き、耳障りに鳴く。

 こんな夜に飛ぶ鳥など──。


──鴉?


ばさりと仄かな灯りに影が浮かび、黒い羽が舞い落ちる。その思いがけない客人にのっぺらぼうが怯んで、切っ先を慌てて鴉に向けたが、難なく鴉はそれを躱していた。鴉が守るように戻る先──そこにいたのは、やはり。


「夜四郎さま! 待ってください!」


駆けてくるたまだった。酷く慌てて、のっぺらぼうがいると言うのに、真っ直ぐに夜四郎に叫ぶ。ぐるりとのっぺらぼうの顔がそちらに向く。

 夜四郎は眉間に皺を寄せて、すかさず刀を峰に返した。隙があったのっぺらぼうは避けきれない──横薙ぎの一閃をその胴体にめり込ませると、よろけた身体をすかさず空いた脚で蹴り飛ばした。転がったのっぺらぼうから離れるようにその場から離れる。


 鴉を伴ったたまの側まで大きく退がるなり、

「どうした」

一言だけ、低く発した。待てと言うのが、他ならぬたまなのだ──そこには確実に理由がある。この少女は何かを視たのだとはわかっていた。

「す、すみませぬ、夜四郎さま」

「いい。それより、何を視た?」

たまは肩で息をする。

「のっぺらぼうの影が、何か、おかしいのです。その、さっきお寺に行ったらカラ太が、こっちに来いって引っ張ってきて、追いかけて、そしたら、あの子が視えて、お腹が変なのです」

「腹に?」

夜四郎が睨む先──転がるのっぺらぼうが身を起こすところであった。夜四郎は少しずつ、そちらに進みながら、また問うた。

「端的に教えてくれ」

「ま、饅頭みたいな……妖が餡子なにかを包んでるんです!」

「おたま、饅頭じゃわからん!」

「のっぺらぼうのお腹だけ、視え方が違うんです! 他に誰かが──此方こなたの人が、そこにいるようなんです!」

夜四郎は眉根を寄せた。


 確かに人を丸呑みにしたのだと、瓦版は報じていた。それが大袈裟な誇張ではなく、真実だったなら。生きた此方の人が其処にいるならば──。


「ええい、そりゃ厄介だなッ!」


 夜四郎は忌々しげに呟いた。ただ斬ればいいだけではない。決して逃してもならない。中身を取り出さねばならない。けれど、相手は当然、それを拒むだろう。


 たまの目はものを透視するものではない。

 此方こなた彼方かなたの景色を重ねて視ているだけ──故に見間違えもあるのだが、夜四郎にはその飲み込まれたであろう人の当たりはついていた。ならば、一太刀に斬り捨ててはならないことも理解していた。それは誰の望むことでもなく。


「たま、離れていろ。……鴉なんぞに頼むのはしゃくだが、お前もたまの側を離れるな!」

「あ、あい! カラ太、こっち!」

「ガァ!」

たまとカラ太を尻目に、夜四郎は一歩、二歩とのっぺらぼうに詰め寄った。起き上がったのっぺらぼうは、やはり少しだけ迷った末に逃亡に転じかけている。その背中に、


「美成殿は返してもらうと言ったはずだ!」

「渡す、ものかッ!」


夜四郎が斬りかかればすぐに応戦した。やはり、と確信する。見えない瞳がぎらぎらと燃えているのを感じる。叫ぶ声に力が込められる。


るな! るな!」


 夜四郎は踏み込んで刀をおもむろに突き出した。のっぺらぼうがそれを受けるために姿勢をとった瞬間、それを手放して、すかさず脇差を抜き放つ。膝を折っての低い一閃。

 侍が刀を捨てるなど──たたらを踏んだのっぺらぼうの腹に薄く真一文字の線が走っていた。殺すためではなく、確認するための一太刀。

 無論、致命傷にもならないばかりか、すぐに塞がりそうなその隙間から、煙があがる。そこに薄らと見えた顔に、夜四郎は顔をしかめた。

 背後でたまが小さく叫んだ声が聞こえる。やはり、そこに囚われていたのは。


「美成さま!」

「見るな見るな見るな見るな見るな──ッ!」


 のっぺらぼうの雄叫びが夜闇を揺らした。斬られた箇所から煙が広がり、底なしのような深さを見せる。ごくりごくりと、のっぺらぼうはまたそれを仕舞い込む。

 これまでにない怒りを孕んだそれが、辺りを染める。無貌は闇に溶け込みながら、呪詛を吐く。


「見るな、盗るな、傷つけるな──! 許さぬ、許さぬ、これはおれの、おれだけの……ッ!」


闇に溶け込みながら、のっぺらぼうは腹の中に大事な友を飲み込んだ。憎々しげな声を吐き出して、夜四郎とたまを睨んだ。


「この無貌から、美成を奪うな──ッ!」


暗闇に溶けて、のっぺらぼうが夜四郎の視界から消える。音すらしない──夜四郎はまたひとつ舌打ちをすると、転身、たまの元へと駆け出した。

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