第8話 奮起
「新感選九」の最終選考を前にして、今回の選考委員長を務めているベテラン作家・笹原雪影さんが総評を寄せるということで、その配信を今か今かと待っている。
〔お、今日は早い入室だね、多歌人くん〕
〔あ、伊井田飯さんこんにちは。今日総評があるっていうんで早めにチェックしておきたくて。もしかしたら異世界転生ものがぶった斬られた理由が聞けるかも〕
〔その可能性は高いかもね〕
〔ということは、読まずに捨てたのは笹原さんってことになりますよね〕
〔そんなこと言ったかな?〕
とぼけている。ということは図星なんだろう。
〔総評を聞いてブチ切れないでくれよ〕
〔内容次第ですね。あちらはケンカする気満々のようですから〕
〔うーん……。このチャットルーム、いちおう『シンカン』編集部もチェックしているんだけどなあ。あまり悪目立ちしないように注意して。アカウント凍結もありうるからね〕
伊井田飯さんの一言で冷静さを取り戻した。
笹原さんに不満をぶつけたい気持ちはやまやまだが、アカウントが凍結されたら今までの苦労が水の泡だ。
冷静になって講評を聞こうじゃないか。
〔あれ? ウェブページでの発表じゃないのか。これ動画のURLだよ〕
〔本当ですね。っていうことは誰も止められずに、なにを言い出すかわからないってことですよね〕
〔荒れないといいんだけど……〕
動画共有サイトの「シンカン・チャンネル」を開いた。
もうじき審査委員長の笹原雪影さんの発表の時間である。
十九時をまわったところで動画のストリーミング再生が開始された。
まずシンカンの会社ロゴとキャッチコピーが表示される。一分を過ぎたところで司会の人がマイクの前で話し始めた。
「第九回新感覚ウェブ小説選考会にご応募いただいた皆様並びに新しい小説を読みに来られた皆様、私、シンカンの編集者で高橋と申します」
〔高橋さん、なんかいつもより固いな……〕
〔伊井田飯さん、知り合いですか?〕
〔ああ、書籍化したときの担当編集なんだよ。何度もディスカッションしたけど、こんなにガチガチになるような人じゃないだけどな〕
やはり笹原さんがなにかやってくる可能性が高い、ということか。
それを知っているから萎縮しているのかもしれないな。
「これから最終選考通過二十作を発表する前に、審査委員長の笹原雪影が皆様にお話したいことがあるとのことです。それでは笹原さん、お願い致します」
動画の画面が切り替わり、笹原雪影さんひとりだけが映っている。
「えー、私が今回審査委員長を拝命した純文学作家の笹原雪影です」
やけに「純文学」を強調したな。これはケンカを売る下準備か。
「今回最終選考を通過された二十作には、私が推さなかった作品も含まれております」
言葉だけでケンカを仕掛ける勉強になるような言いまわしだ。
「とくに、えーっと『異世界転生』なるジャンルが、小説界にあること自体不謹慎極まりない」
〔これは間違いなく荒れる……。シンカンはもっと自由な場所だろうに……〕
伊井田飯さんも危機感を漂わせている。
「最近はこんな工夫もなく判で押したような作品がひじょうに多い」
テンプレートであることは認めるが、それはより読まれるために生まれたものだ。誰も読まないジャンルがテンプレート化することはない。
「これしか書けないのなら小説なんて書くもんじゃない。プロの小説家に失礼極まりない。恥を知れ!」
チャットルームに入室のチャイムが鳴った。
〔うわー、これ言っていいんですかね? シンカンも今じゃ異世界転生で食っているところあるのに〕
〔あ、畑中さんこんばんは〕
〔おうよ。しかし異世界転生しか書けないなら小説書くんじゃねえなんてな。逆にこいつらは純文学しか書けないくせに。そうは思わないか、多歌人くん〕
〔言われてみれば笹原さんって純文学しか書いていませんよね。しかも数年に一冊くらいの緩いペースで。これでよく食いつないでいられますね〕
〔原稿料が桁違いなんだよ。俺たち小説投稿サイト出は契約金はなしで出版時の原稿料と印税だけしかもらえない。しかしこいつは書かなくても毎年契約金をもらっているって噂だ。他の出版社から新刊を出さないためにな〕
〔それで数年に一冊書けばいいわけか〕
〔そう、それも一万部も売れたら万々歳ってところだ。出版社にとってはレーベルのネームバリューを高めるために、こいつらを囲っているに過ぎないのさ〕
そんなヤツに「これしか書けないのなら小説なんて書くもんじゃない」呼ばわりされたのか。いったい何様のつもりだよ。
〔僕、必ず笹原雪影さんを超えてみせます。異世界転生ものだって立派な小説なんだ。読みたい人だって大勢いる。読み手を考えず、自分の矜持のためだけに貶めすなんて、ベテランのすることじゃないですよ〕
〔俺だって異世界ファンタジーで最終選考に残れなかったんだ。こいつ絶対許さねえ。〕
〔ふたりとも落ちついて。次の「新感選十」に挑む意気込みはわかったから。あまり不穏な発言をするとアカウント凍結になっちゃうよ〕
〔面白え。お抱え作家のご機嫌取りしかできないようなら、こっちからシンカンを見限ってやるよ〕
〔だから穏当に。穏当にって〕
畑中さんに負けないほど、僕の心に火がついた。
絶対に超えるんだ。
こんな時代錯誤な旧石器時代の作家を。
自分の妄想だけが一番だと思い込んでいる野蛮な人を。
必ず超えるんだ。
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