第三話


 誰かが歌っている。


 心地よい微睡の中で、私の頭を優しく撫でていて。


 鈴の音色のような声が降り注いでいた。


 徐々に意識が覚醒していく感覚を覚えながらも、まだこの居心地の良い微睡みに揺蕩っていたい感情が衝突し合う。


 けれど、意識は今歌っているこの声の主人へと向けられ、ゆっくりと意識を浮き上がらせていった。


「ン……んぅ……」


 何か温かい柔らかな枕から重い身体を何とか制しつつ、身体を上げ、視界を僅かに開くと、


「あっ、起きた? おはよ、りあ♪」


 眩いばかりの美少女が私に柔らかな笑みを浮かべていた。

 

「…………ぇ?」


 一瞬にして思考が停止した私の脳内に数秒経った後、凄まじい速度で記憶がフラッシュバックされる。


 綺麗なプラチナブロンドに特徴的なくしゃりと笑う人懐っこい子犬が向けるような愛らしい笑み、そして細い足腰とサイズの合わないパーカーがとても似合って—————、


「ぇ、え!? 瑠夏るかちゃん!?」

「当たり! 瑠夏ちゃんだよー! りあは変わらないなぁー」


 そこにいたのは、記憶と違い、明らかに成長した紛れもない唯一の幼馴染。


 でも、彼女は確か中学に上がる頃に親の仕事の都合で転校してしまった筈……。


 そこから、なんの音沙汰も無かったのに。


「ぇ、なんで此処に!? って、え、此処どこ!?」


 初めて気付く、私の部屋でも無ければ公園でもない。


 広々とした空間にベッドや机など、明らかな生活感は感じられるが、知らない部屋だ。


 そう考えると、すぐに思いつくのが、この部屋は私の幼馴染である瑠夏ちゃんの部屋だという事。


 そう言えば、涼香さんは一体どこに?


 私を此処に運んだのは間違いなく涼香さんの筈なんだけど。


「もう、この私と話してるのに他の事考えるなんて、りあだけだよ? 初めてを上げた仲なのにさ?」

「ご、ごめんね。ちょっと記憶が曖昧で……って、ぇ、え!?」


 は、初めて!?


 そして、私は思わず視線を下に向ける。


 私が寝ていたのはベッドの上であり、枕だと思っていたそれは、瑠夏の柔らかな白い太ももで、私はそこで爆睡を……!?


「りあ?」

「は、ひゃい!!」

「……へぇ?」


 一瞬にして整った可愛い顔が意地悪そうに笑みを浮かべ、そっと伸びた手のひらが私の頬を軽く通っていく。


 くすぐったいようなピリリとした感覚。


 味わったことのない未知の感覚がすり抜けたと思った直後、私の唇に何かが触れていた。


 ちゅくと微かな水音が耳に小さく響き、瞼を閉じた美少女の顔が目の前にあった。


「……! !? 〜〜っ!!?」


 ガタン!と音を響かせながら、思わず声にならない声を上げてベッドの端まで逃げ出し、見たのは、


「な、なっ!?」

「これで、お互い初めての認識が生まれたよね?」


 なんて、チロリと赤く艶めいた唇を舌先で舐めた小悪魔の色気を出す瑠夏の姿。


 まるで、肉食獣を相手にしたように身体が全く言う事を聞かず、瑠夏に視線が釘付けになる。


「やっと、この時が来た」


 瑠夏はそういうと、シーツの上を四つん這いになりながらゆっくりと歩いてくる。


 私の中にはそんな瑠夏に可愛い!と叫ぶ私と赤く頬を染めて戸惑う私、そして瑠夏がしたキスに恐怖する私がいる。


 だって、そうだろう。


 幼馴染とはいえ、長年会ってなかったのだ。


 その年月の中で、誰もが二度見をするぐらいの超絶美少女になっていたとしても、私にとって彼女はかけがえの無い幼馴染なわけで!


「りあ」


 そっと触れた指先が頬から顎先へ移動し、両手で私の顔を僅かに上に向かせる。


 昔から活発で、好きなものにはとことん大事にした彼女は、間近で見ると更に年相応に可愛らしく、綺麗で——————、


「っ」


 ぎゅっと結び、真っ暗になった視界の中で、額に柔らかな感触が走る。


 再び微弱な電流が身体を駆け巡る感覚が身体を支配し、瞼、鼻先、頬、耳、首元と唇を避けるようにして下に向かう程、更に強くなっていく。


「っ、んぅッ」


 そして、首元にチクリとした痛みが走った後、来ると思っていた感覚がいつまで経っても来ない事に気付き、恐る恐る瞳を開けた。


 そこには、ニヤニヤと嬉しそうに笑みを浮かべる幼馴染がいて、そこで私は『嵌められた!』と気付く。


 頬を瞬時に襲った熱と喉を鳴らした水音が脳に響き、それに合わせて首元をするりと抜けた両腕が私を捉えて視界を瑠夏で支配された時だった。


「瑠夏ー? 莉亜ちゃんは……って、なにしてるの!?」


 ガチャリと空いた扉から涼香さんが顔を出し、私に跨るようにして座る私達を見て、顔を赤くした。


 そして、それは照れ混じりの怒りへと変わり、「瑠夏! 早く莉亜ちゃんから、離れなさい!」と声を僅かに荒げる。


「ちぇ。もう、お姉ちゃんなんで入ってくるの? せっかく良いところだったのに。ね? りあ?」


 昔から人懐っこい性格で、グループの紅一点の感じではあったが、特に私と瑠夏はいつも一緒に居た。


 でも、ここまでグイグイとくる感じじゃ無かった。


 それが、今ではその性格に小悪魔を宿したなら、私には到底手に負えそうにない!


 見れば、瑠夏の頭に小さな角が生え、背中には翼、小ぶりなお尻から小さな尻尾が見えるぐらいだ。


「……可愛いかも」

「莉亜ちゃん?」

「な、何でもないです! それよりも、お姉ちゃんって、瑠夏ちゃんお姉ちゃん居たんですか!?」


 そうなのだ。


 私達が幼少期の頃、瑠夏ちゃんにお姉ちゃんがいるなんて話は聞いた事が無かった。


「あぁ、りあは初めましてだっけ? お姉ちゃん……結局、話さなかったんだね」

「うっ……」

「はぁ、我が姉ながら、どうして莉亜にだけこうなのか……」

「と、ともかく! じゃあ、改めましてね。私は来栖 涼香。瑠夏の姉です。よろしくね、莉亜ちゃん」

「は、はい!」

「莉亜ちゃんのお母様には既に連絡しておいたから安心して。それと、子猫も今は取りに行かせてるから、大丈夫。学校も良いでしょ? あとは……」


 取りに行かせてる?


 学校も大丈夫?


「ぇ、え?」

「あ、あと、バイト先が昨日事故があって潰れちゃったから、行かなくても良いからね」


 もう、何が何だか分からないまま話が進んでるような……。


 私が涼香さんの言葉で混乱していると、涼香さんの方から電話のメロディーが流れる。


「そうそう、これも言っておかないとね。はい、莉亜ちゃん」


 そうして、渡されたのは一つのスマホ。


 涼香さんのスマホなのだろうが、にしては傷一つない新品のよう。


 困惑しながらも、画面を見ると私のママから掛かってきていた。


「もしもし?」

『あっ、莉亜? 昨日、瑠夏ちゃんと涼香さんから電話があってね!』


 な、なんだが凄いテンションが高い。


 何言ったのか気になるところだが、『そうそう、莉亜。これから涼香さん達の所に住みなさい』と言われた事で、思わず「え!?」と声を出していた。


 だが、私が何かを言う前に『安心したわ。あの子達なら一人暮らしよりも安堵出来るし。じゃあ、そう言う事でよろしくね。あっ、迷惑かるんじゃないわよ?』と言うや否や、ブチリと切られてしまった。


「えぇ……」


 そうして見上げた先には小悪魔な笑みを浮かべる幼馴染とキラキラとした期待を向けるお姉さん。


「で、でも、まだ決めたわけじゃないですし……」

「さっき、アパートの解約と引っ越し荷物をこっちに運ばせてるから安心して」

「こ、子猫もいますし!」

「此処は大丈夫だよ。ペット可にから」

「あ、あとは……」


 あ、あれ?


 おかしい。私があのアパートに固執する理由ってそれだけ?


「じゃあ、他に無いなら決定だね!」

「そういえば、さっき「ペット可にした」って、言ってたけど、あれは……?」

「あれ、知らなかったっけ? 此処、私達が所有してるマンションだから、面倒臭い書類はあるけど、変更出来るんだよ」


 もう、何から言えば良いのか分からずに口を閉ざす。


 マンションを持ってるって何!?


 も、もしかして二人ってかなりのお嬢様なんじゃ……。


「という事で、」


 箱に閉じ込められた小動物のように角に追い詰められ、二人の可愛くも怖い笑みが向けられる中、


「楽しもうね、りあ!」

「よろしくね、莉亜ちゃん!」


 私は何処か新たに始まりそうな生活に期待と不安入り混じった「ひ、ひゃい……」という声を絞り出したのだった。

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彼女達は私にだけ、甘い笑みを浮かべる FuMIZucAt @FuMIZucAt

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