第二話
「うぁぁぁあああ〜っ……」
私は先程の事を思い出しては公園のベンチで頭を抱えていた。
子猫自体は特に大きな致命傷も無く、一ヶ月も経てば元気になるだろうとの事で、一安心付いたが、目先の問題が消えるとまた次の問題が出てきて……。
それが自分が引き起こした引き返せない問題なのだから、これ以上悩ましくも辛い事はない。
「あんな事言ってバイトを飛び出しちゃったし、クビだろうなぁ……はぁ、また新しいバイト探さないと」
スマホの画面には先程の子猫の寝顔が表示されており、思わず暗い仏頂面は笑みを浮かべる。
そして、画面が暗くなると自分のニヤけた顔がスマホに映し出されては、げんなりとした。
「どうにか今週中にバイトとペット可の新しい引越し先を探さないと……」
何か飲み物をと自動販売機の前に立つ。そして、財布を開けて思い出す。
「そうだった……さっきの子猫の治療費でほぼ消えたんだったぁ……」
特に大きな怪我は無かったとはいえ、元野良猫だからか、預かりの精密検査を頼み込んだのだ。
無論、それで数人の諭吉先生が天に召されたのは言うまでもない。
だからって、此処で思い出さなくても良いじゃない!
「って、自動販売機に言ってもしょうがないよね……はぁ〜、あっ!」
ポケットに入れていたスマホが手に引っ掛かり、スローモーションになったかのように地面へ落ちていく。
そして、重い音を立てて、アスファルトへと衝突した。
「ぁ、あぁ……」
嫌な予感はしていたのだ。
その予感は見事に的中し、スマホの画面は蜘蛛の巣を張り巡らせたかの如く罅割れ、電源を付けても映るのは僅かに色付いた砂嵐のみ。
パッと消えた画面の向こうに映るのは、泣き出しそうな私の酷い顔で。
雨粒が真っ黒に染まった液晶画面へと水滴を垂らす。
「はぁ……駄目だなぁ、私」
ペタリと付けた背中がほんの僅かに熱を帯びる。
思えば、東京に来たのだってあの狭苦しくて息が詰まりそうな田舎から抜け出すためだ。
だけど、今の自分はどうなのだろう。
有名な女子校に入ったとはいえ、入学当初から半年経った今ではバイトに明け暮れ、友人一人すら居ない。
加えて、これといって勉強が出来るどころか、このままじゃ次のテストで痛い目を見る。
家に帰ったところで真っ暗な部屋だけが私を待っているのだろう。
暖かな声もパパとママの声もしない。
妹達のちょっかいにも関わることもない。
それを望んだ筈なのに、私の胸の中に巣作ったこのモヤモヤは一層増すばかりだ。
「これじゃ、出た意味がないじゃん……」
ぼんやりと歪んだ視線の先、星の見えない月明かりだけをぼんやりと眺めていた。
「あれ? り……コンビニの店員さん?」
その時、僅かに離れた場所から何か驚いたような声が聞こえてきた。
「ぇ?」
「っ! あっ! やっぱり! 貴女、今朝の店員さんよね?」
見れば、朝に接客をしたあの女性がいて。
一瞬、何かに驚いたような顔をしたのも束の間、何か返事を返す前に、思いっきり抱きつかれた。
「ひゃぁっ!? え、えっ!?」
「きゃー! こんなとこで出会えるなんて、やっぱり運命感じちゃうわね!」
「う、運命? どういう事ですか? というより……もしかして、酔ってます?」
抱きつかれた女性があまりに今朝の雰囲気とは違うものだから、別人かと疑ってしまいそうになる。
でも、背格好は一緒だし、なんなら顔と匂いも一緒。
朝の印象が強かったし、間違いなく同一人物だと分かるんだけど……。
「よ、酔ってない! 私、酔ってないわよ? ほんとうよ? そうだ! ねぇ、店員さん? 貴女の名前はなんて言うのかしら?」
モデル級に美人な女性がちょこんと首を傾げる姿に思わず、「かわっ、!」と言いそうになったが、内で必死に耐え。
そう言えば、バイト先の名札って苗字だけだったっけ?と思い出す。
「わ、私は、
「よろしく〜、莉亜ちゃん♪」
「莉亜ちゃん!?」
び、ビックリした……こ、これが都会の人の距離の縮め方なのだろうか? それとも、彼女のコミュニケーションの能力なのか。
どちらにしろ、都会って恐ろしい……。
「あっ、そうそう、私の紹介もしないとね」
彼女はそういうと、抱きついていた腕を緩め、少し離れる。
微かに吹いた風に靡く黒髪。
「私の名前は、
街頭の灯りと月明かりが彼女に柔らかな光を浴びせる光景は、言葉にし難く、いつの間にかごくりと息を呑んでいた。
「それはそうと。莉亜ちゃんは、一人で何やってたの?」
「うぐっ」
確かに公園の自動販売機の前で一人、あんな暗い雰囲気を出しながらぶつぶつと呟いていたらそりゃ、聞きたくもなる。
私もきっと知り合いだったら、逃げたくなる気持ちを必死に抑え込んで、「どうしたの? ついに馬鹿になった?」ぐらいは聞く。
かと言って、此処で涼夏さ……いやいや、来栖さんに話して良いものか。
何せ、子猫を病院に連れて行くかで店長と揉めて、バイトを飛び出してきたなんて——————。
かと言って、今朝とは違い、僅かに明るんだ頬を緩め、私と視線が合うとにへらと笑う彼女なら、なんて思っている自分がいる。
普段は絶対にそんな事なんて思わない筈なのに、そう思ってしまうのは、きっと今の私がこのモヤモヤとした気持ちと背中をピタリと追い掛ける不安だったり恐怖心を誰かに話したいんだ。
それも、誰でも良いわけじゃない。
何処か、私に向ける優しさがあの子に似てる涼香さんだからこそ…………でも、これは私が引き起こした事。
そこに来栖さんも巻き込むわけには—————、
「なんてね? そこまで深刻そうな顔をするなんて思わなくて」
……そう。これで良いんだ。
「ごめ—————」
どこか、自分だけが足元の暗闇に引き込まれた感覚が身体を蝕んでいく。
そうだ。来栖さんに言ってどうすんだ。
凹んだ時に、私を励ましてくれた彼女にいったい私は何を……。
「!?」
視線が私の足元を映していたその時、急に腕を引かれた。
まるで、作られた蛍光の光源の中から引っ張り出すみたいに。
「あぷっ!」
柔らかな感触が顔に当たり、離れようとした。
だが、
「よしよし〜♪ 辛い事があったんだね? でも、大丈夫だよ。此処には私と莉亜ちゃんしか居ないんだから」
優しく抱き締められ、久しぶりに感じた人の体温。
鼻をくすぐる爽やかな柑橘系の香りに混じった少量の彼女の汗の匂いも不思議と不快ではなく、
「りあちゃんは、強い子だね」
『りあ! りあは優しい女の子なんだから、もっと笑顔で居ないと! そうした方が可愛いよ! ほら、にぃって、笑って! にぃ、って! えへへっ、楽しいことなんて、この世には両手に収まらないぐらい山程あるんだよ! だから—————、』
「そして、他者を思いやれる、とっても優しい女の子。莉亜ちゃんは、笑顔が一番似合う。だからね、」
『「笑って! 私は莉亜(ちゃん)の笑ってる笑みが好きなんだから!」』
私は、あっさりと限界を迎えた。
「〜~っ………………引きません……?」
甘く蕩ける思考の中、何を口に出せば良いのか分からないぐちゃぐちゃとした固まりを吐き出そうとして、そんな言葉を呟いていた。
自分がしっかりしなくちゃ、パパとママにも迷惑をかけるし、笑顔で送り出してくれた家族になんて言えばいいのかも分からない。
けれど、そんな我慢もここまでだった。
「引かないよ、大丈夫。私は莉亜ちゃんの味方だから」
ぽすっと触れた手のひらが私の頭を撫でる。
「ずるい」
「そうだよ? 大人はずるい生き物だからね。子供は我慢なんてしなくて良いの。ずる賢く生きなくちゃいけなくなった大人はそうしなくちゃ生きられなかった被害者なんだから」
「来栖さ——————」
「あっ、もう。涼香って呼んでって言ったのに」
「ごめんなさい。まだ慣れなくて」
「じゃあ、ゆっくり慣らしていこうね」
「うっ……」
美人の笑顔は綺麗でもあり、怖い。
それに、彼女はなんで私をそんなに心配してくれるのか。
でも、今はこの甘く優しい暖かさに身体を預けても良いのかもしれない。
「…………怒らないで、ください」
「うん、怒らないよ」
「頭」
「ん?」
「頭、撫でて……ください」
「ふふっ、うん」
「………………く……りょ、涼香さん。私は――――」
力が抜けたように、涼香さんの背中に恐る恐る手を回すと、私は降り出した雨ように、今日あった事を全て彼女に話していた。
彼女はそんな不甲斐ない私の頭を優しく撫でながら、「うんうん、頑張ったね」と言葉を紡いでいく。
ゴポゴポと水の音が耳を塞ぎ、身体が鉛を得たように動かない。
まるで、心地良い水中にいるかのように柔らかく、私の意識はゆっくりと深くに落ちていった。
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