恋のシャボン玉革命

Coconakid

恋のシャボン玉革命

 全校生徒が教室に入って時計が八時半を過ぎた頃、ランドセルを背負った私は少し風が吹く運動場の真ん中でひとり立ち、シャボン玉を吹いた。

 息が続く限り吹いたら、驚くほどにシャボン玉が次から次へと出てきた。

「わぉ」

 百円ショップで買ったヤクルト容器のようなピンクの入れ物が五つ入ったお徳用。それがこんなにもシャボン玉が作れるなんて。

 吹けば連続してたくさん出てくるシャボン玉は私を楽しくさせてくれる。

 風に流れていくシャボン玉には私の思いも入っている。

 もっと、もっと、シャボン玉を作ろう。

 そしてどんどん飛んでいけ。どこまでも自由に、どこまでも好きなときに弾けろ。思いをぶつけるように。

 校舎の窓から誰かが私を見ている。でも顔の下半分が四角いマスクで覆われて、離れて見るとまるでロボットみたいだ。

 三階の私の教室の窓からも、顔半分が四角いマスクで覆われた人たちが数人窓から身を乗り出して、こっちに指を差していた。そこに担任の山口先生も窓に近づいて私を見ている。

 だから私はまたシャボン玉を思いっきり吹いた。

 先生はきっとこう思っているのだろう。

 「渡辺わたなべさん、一体そこで何やってるの!?」と。

 そう聞かれたら、私はシャボン玉を吹いてますと胸を張って答えられる。

 でも山口先生はそういうことを聞きたいわけじゃない。

 教室にも入らずに、運動場の真ん中でシャボン玉を吹いているのが非常識だと呆れているのだ。

 山口先生はまだ独身で、学校の中では若い先生になるらしい。でも私の目からみたらもう十分おばさんだ。

 もし山口先生が優しくて穏やかな人だったら、私に笑いかけるたびに、ああ素敵な若い先生って思っていたかもしれない。

 だけど山口先生は私を見て眉根まゆねを寄せて気に入らない表情を平気で向ける。それはまさに昨日のことだった。

 月曜日の朝、ホームルームにやってきた山口先生が教室に入るなり私の異変に気がついた。

「渡辺さん、教室に入ったらマスクをしなさい。みんなもしているんだから、あなた一人だけしないなんて、おかしいでしょ」

 最初は、やんわりと注意する感じだったけど、私がそれに逆らっていたら段々と口調が強くなっていった。

「一体どうしたの。大人しい渡辺さんだったのに。ほら、ちゃんということ聞きなさい」

「マスク持ってません」

「なんだ、マスクを忘れたの? だったら早くいいなさい」

 山口先生は自分が持っている予備のものを私に手渡そうとする。

 もちろん私は断る。ここは踏ん張りどころだった。

 でも私はもうマスクをしたくない。頑なにいやと首を横に振る。

 そうしているうちに、山口先生は気分を害してむっとする。そのうちイライラし出して感情任せに怒鳴りそうに口をむずむずさせていた。

 らちがあかないので周りのみんなもイライラしだした。

「おい、渡辺さん、マスクしろよ」

「そうよ、渡辺さん、ちゃんと先生の言うことききなさいよ」

 私と山口先生のやり取りを見ていた一部のクラスメートたちが口を出してきた。

 でも私は耐えて拒否きょひをする。

「私はマスクしません!」

 何人かは私をにらんでいたけど、その表情はとても恐ろしい。顔半分四角いものに覆われて、本当に口のある人間なのだろうかと思ってしまった。

 私と仲のいい友達は、私の行動に戸惑って心配そうな目を向けてくれていた。

 私が目を合わせば、はっとしたように視線を逸らす。どうしていいのかわからないみたいだ。

 その中でも、中立的な人もいて私の行く末を落ち着いて見ていた。本当は自分もマスクをとりたいのだろうけど、私のように勇気がなさそうだ。

 外そうものなら山口先生に怒られると恐れている。案の定、私は本当に怒られているから益々できなさそうだ。

「だったら今日は一言も喋らないでいなさい」

 山口先生は私が口を開かないことで妥協だきょうした。そこに意地悪さもあったように思う。

 周りのみんなは白い目で私の様子を見ていた。だから私もこの日、一言も話さなかった。

 みんなマスクする事に疑問を持たないようになっている。

 私も先週まではそうだったのだけど――でも、今は違う。

 だから今日は教室に入らずにシャボン玉を吹いている。私が吸った息で膨らませたシャボン玉。

 息を吸って吐いて、次から次へと出てくる虹色に輝く透明のバブル。

 きれいだな。

 空は青く、初夏の爽やかな風が吹いて、外はとっても気持ちがいい。

 たくさんのシャボン玉が私の周りをファンタジーに包んでくれる。すぐに消えてしまうから、私は何度も何度もシャボン玉を作っていた。

 そのうち、山口先生が運動場に現れた。私の方へと近づいてきている。大きめのマスクは顔をほとんど包んで、斜めにつりあがった目がとても強調されていた。

 私たちの様子をクラスの皆は窓際に集まって行く末を見ていた。窓際付近に座っている他のクラスの生徒もこっちを見ていた。とにかく注目を浴びていた。

 山口先生は私の前まで来るとかなりおかんむりだ。

「渡辺さん、授業が始まるでしょ。悪ふざけもいい加減にしなさい」

「ふざけてなんていません」

「ほら、シャボン玉を貸しなさい」

 先生はシャボン玉の液体が入っていた容器を取り上げようとしたから、私は身をかわした。

「一体、どうしたの。昨日から何をそう反抗しているの」

「私は――」

 その時、あの人の顔が浮かんだ。

 あの時、駅前で道行く人たちに必死に訴えていたお兄さんだ。周りの人は見て見ぬ振りして素通りしていく。それでもお兄さんはこの世の中がおかしいとサインを持ちながら声を荒げていた。

 先週、駅前を歩いていたときに、私が見かけた人だ。

 私も自分には関係ないと素通りしようとしていた。そしたら声を掛けられた。

「お嬢さん。マスクして苦しくないの?」

「えっ?」

 もちろん蒸れるし苦しかった。でもそれが当たり前だと思いすぎて、仕方なくそうしていた。だから、大人の人からこんな風に面と向かって聞かれたことがなかったからとても驚いた。

「これから夏になってくるのに、マスクしたままでいいの? もっともっと苦しくなるよ」

「でもはずせないし」

「外せるよ。自分が外したいと思ったら、いつだって外していいんだよ。マスクは強制じゃないんだよ」

 お兄さんは私ににこっと微笑んでくれた。その笑顔に思わずドキッとしてしまった。

 そのままドキドキとしていたら、動けなくなって、そしてそのお兄さんの話をじっと聞いた。

 お兄さんの額から汗が垂れると、ふっと息を吐いてそれを拭った何気ない仕草。それがなんだかかっこよく見えてしまう。一度そう思うと、声もかっこよく聞こえてくる。一生懸命に訴えるその姿に見とれていたら、お兄さんは私の視線に照れたのか、「はははは」と笑い出した。

「お嬢さんだけだよ。僕の話を真剣に聞いてくれるのは。ありがとうね」

「お兄さんは政治家なの?」

「違うよ、ただの大学生。お嬢さんは中学生?」

 首を横に振り、「小学六年」と答えたけど、中学生って言われて私は嬉しかった。つい背筋が伸びて大人っぽく振舞おうとしてしまう。それと同時にお兄さんに益々興味が出てきた。

 「お兄さんの名前は……」と聞こうとしたとき、邪魔をするように変なおじさんがマスクから鼻を出した状態で絡んできた。

「さっきから大きな声だして、目障りなんだよ。それにマスクしろよ、兄ちゃん。皆に迷惑だろうが」

 お兄さんはそれを無視する。無視されたおじさんは腹いせにしつこくマスクしろとそればかり言っている。でもマスクをしているおじさんの鼻は隠れてない。

 それってマスクしている意味がないのではないのだろうか。それなのにマスクしろってどういうことなのだろう。その時、おじさんのしているマスクはただの飾りのように見えてしまった。

 二人がもめていると、周りの人も気になってじろじろとみていく。みんなほとんどマスクをしていて、まるでロボットだ。言われた事を何も疑問を持たずに当たり前のようにマスクする。それが苦しくても、自らその苦しみに耐えてまで、無理にマスクする。そして自分もそうだった。

 やっぱり世の中おかしいんだ。そう思うと、私は自分のマスクを外した。

 一気に外の空気に触れて汗で湿った鼻や口の周りを冷たくすっきりとさせてくれた。気持ちいい。

「あっ、お嬢さん、すごくかわいいね。マスク無しの方がずっといいよ」

 お兄さんに言われて私は嬉しくて自然と笑顔になっていた。

 私がマスクを取ったからなのか、からんできたおじさんは「チッ」と舌打ちをすると、ふんと不機嫌のままどこかへ行った。

 その去っていくおじさんを見届けた後、お兄さんと私は顔を見合わせて笑い出した。

「ハイタッチしようっか」

 お兄さんが手を広げて私に向ける、私はそこに目掛けて自分の広げた手をパンとぶつけた。

 よくやったって気分になって、とても清々しい。私の中の何かがパチンとはじけた。まるでシャボン玉が弾けるように。

「お嬢さん、学校でもその調子でね」

「うん」

「それじゃ、気をつけて帰るんだよ。さっきみたいな変なおじさんにマスクしろって言われても相手せずに逃げるんだよ」

「うん、そうする」

 もっとお兄さんと話していたかったのに、この雰囲気では帰らざるを得ない。名残り惜しいながらも、私は潔く手を振った。

 また会えるかな。

 そう願いながら、何度も振り返って手を振った。

 お兄さんと約束したように、私はもうマスクをしない。マスクをしてしまったらお兄さんとの約束を破ってしまう。そうしたらお兄さんと二度と会えないかもしれない。だから益々つけたくない。

 あの時のお兄さんの顔を思い出しながら、私は先生に自分の意見を主張する。

「――マスクはもうしません」

 変わりに私はシャボン玉を吹いた。

「渡辺さん、いい加減にしなさい。なぜシャボン玉を吹くの。一体何があったの?」

 山口先生は途方にくれていた。無理に私を捕まえようとしたけど、私は逃げた。逃げながらシャボン玉を吹いた。

 シャボン玉は私が息を吸って吐いて出来上がるもの。堂々と呼吸している証拠なの。そして、私のお兄さんへの思いが詰まっている。

 いつかまたお兄さんに会えますように。それは私の願い。その思いいっぱい飛んでいけ。

 そして私の気持ちはシャボン玉だけが知っている。

「わかったから、とにかく教室に入りなさい」

 山口先生はとうとう折れた。

 そして教室に戻れば、みんなにじろじろ見つめられた。

「お前、何してんだよ」

「勝手なことしていいと思ってるの?」

 優等生ぶってるのだろう。なんの疑問も抱かずにマスクする事が正義だと思っている。

「はいはい、みんな静かに」

 山口先生はクラスを静めようとする。

 その時、クラスでも人気者の尾崎君が突然マスクを外した。

「おい、尾崎、なんでお前までマスク外してんだよ」

 誰かが指摘する。

 尾崎君は私と目を合わせ、にこっと微笑んだ。ドキッとしてまた私の心臓がドキドキ高鳴ってしまった。

 教室の中はまた騒ぎ始め、山口先生が「静かに」と声を上げている。

 その中で私と尾崎君は心が通じ合ったようにお互い歯をみせて笑った。

 それだけで尾崎君と仲良くなれた気分だった。

 あのお兄さんもかっこよかったけど、尾崎君もなんかいいな。

 すぐ惚れやすい私の恋。

 それはきっとマスク無しの笑顔を私に向けるからだ。これが本来の姿であって、笑い合うから楽しくなって気持ちが通じ合う。

 私は嬉しくなって教室の中でもシャボン玉を吹く。

 山口先生には怒られ、他のクラスメートには呆れられたけど、尾崎君は笑って面白がってくれた。

 急に尾崎君の事が気になりだすと、言葉の変わりに私はまた尾崎君目掛けてシャボン玉を吹いてしまった。

 シャボン玉は言葉にできない私の気持ちを包んで、教室の中でふわふわとしばらく漂っていた。


 了

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