相江進之介、謀る(後編)

 数日後、相江進之介と佐代は胴着姿の男二人を伴って演武所(道場)を訪れた。

   

 故障なく稽古場まで通されたところをみると、事前に佐代が義父上(高木作左衛門。演武所総裁兼剣術師範)に訪問を告げていたのだろうと進之介は思ったが、佐代が詳しくは喋らないのでよくわかっていない。

 良かれと決して行動しているつもりだが、進之介は身体にも胸の内にも冷や汗をかいているのであった。


 稽古場に入場した進之介たち四名は作左衛門の前に座って低頭した。

 頭を上げると間を空けずに佐代が話しはじめる。


「この度は剣術指南の願いをお聞き届けいただき有難う存じます。先にお話し致しました二名を伴い参上いたしました」


 佐代はそう言うと旦那さま、と小声で促した。進之介はこくこくと頷くと居住まいを正しふう、と息を吐いた。


「お、お一人が隣国の佐伯ご家老がご三男、佐伯信三郎殿です。他国へも剣術修行に回っておられ、加えて修験道の修行をもなさっておられるお方です。もう一名は橘屋呉服店が三男、次郎衛門殿。霧島殿の町道場にて剣術をとおして心技の修行をする者です。宜しくご指南のほどをお願い申します」


 高木作左衛門は進之介に小さく頷くと首をわずかに回し、佐代をじっと見つめるのであった。


「話は佐代から聞いておった。立ち合いを許す。大楠おおぐす小四郎、お相手を致せ」

 

 

 作左衛門に指名された大楠小四郎は勇んでいた。腕には自信がある。皆の前で結果を出せば師範も自分の力を認めざるを得ぬであろう。小四郎はこれを好機だと思った。ただ勇んではいても冷静さは失っていなかった。


 最初に対峙した男は蹲踞そんきょの姿勢から立ち上がると、低く鋭い声で気合を発した。見上げるほど背が高い。六尺近くはありそうなうえに胸板が厚く、腕も丸太のようだった。まなじりを上げ引き結んだ口がこの立ち合いに込めた気迫を感じさせる。

 

 ――これが家老の息子だな。


 小四郎は気を引き締めた。

 その男は気合を発したあとは木刀を中段に構えたまましんとしている。その切っ先はぴたりと小四郎の眉間を捉えているようだ。

 小四郎は間合いを嫌い前後左右に足を運ぶが、男はその動きに合わせたおやかな動作で常に正対し構えを崩さない。素早く足を踏み出し仕掛けるように誘っても、男は見切っているようにたじろぐ様子もなかった。

 小四郎は静かな圧を感じ焦りはじめていた。クセのない泰然とした構えには隙が見えない。端緒がつかめなかった。


 ――これが武者修行に他国を回り修験を務めた者の強さか。


 そう思うと気力が萎えた。とても自分に敵う相手ではないのだろう。

 小四郎は打ち据えられる己の姿を想像し戦慄した。そんな無様を見られるくらいなら…。


「参りました」


 小四郎は静かに木刀を左手に持ち替えると正座し、低頭した。

 男は一瞬あっけにとられたような表情をしたのだったが、同じように正座をして頭を下げた。

 高木作左衛門は瞑目したまま次を促す。


「小四郎が続けてお相手せよ」


 小四郎ははい、と返事をすると再び蹲踞に姿勢をとった。

 もう一人の男は背丈も恰好も小四郎と同じくらいであった。いやいくぶん細いかもしれない。色白で目尻も眉も下がったその風貌には気迫が感じられない。胴着もよれよれで薄汚れて見えた。


 ――町人が慰みにやっている剣術など通用しないことを思い知らせてやる。


 小四郎は鬱憤をはらすように意気込んだ。ここでせめてもの面目を保たなければならない。

 色白の男は甲高い気合を発するとともに立ち上がり左に構えた。


 ――こいつ…


 屈辱の憤りに小四郎の目は眩んだ。格上に向かって上段の構えを取るのは侮辱でしかない。

 小四郎は気合を発するとともに鋭く踏み込み切っ先を男の胸元に突き立てた。それは目にも止まらぬ一瞬の突きであったのだが、次の瞬間、木刀を弾き飛ばされ前のめりに床へ倒れ込んだのは小四郎の方であった。

 呆然と床に手をついた小四郎の傍らで、色白の男は木刀を左に置き静かに正座をした。


「佐伯殿、お見事」


 高木作左衛門が叫んだ。


「えっ、佐伯…殿? 次郎衛門では…」


 小四郎は呆けたように進之介を見、佐代を見、そして作左衛門を見た。


「師範はご存じだったのですか、こちらが佐伯殿であったのを。そのうえで私を騙して立ち合わせた」

「知らぬ。佐代が指南を願ってきたので許したまでだ」

「納得しかねます、ではなぜこちらが佐伯殿と」

「わかったか、か。構えたときの目を見れば一目瞭然であった。小四郎、おぬしの目は何を見ておる。容貌で判断を見誤り、その肩書に怯え、侮った。本来であれば次郎衛門殿に負けるはずはないし、佐伯殿はおぬしが無闇に突きかかって敵う相手でもない。おぬしは見えるものを見ようとせず、見えないものを見たように思っているようだ」


 作左衛門は佐伯信三郎と次郎衛門に低頭すると客間にご案内を、と門下生に申し付け案内をさせた。その後しばらく端座していたがゆっくりと小四郎に向き直った。


「小四郎、おぬしが強いのはこの演武所の中だけだ。確かに非凡な伎倆ぎりょうを持ってはいるが逆にそれが故におぬしは他を侮るようになってしまった。相手を見なくなった。おぬしは他の門下生の弱点は知るも長所は知るまい。見ておらんからな。しかし相手はおぬしの長所を嫌というほど知った上で弱点を見抜こうと必死で見ておるのだ。おぬしは遠からずこの演武所でも負けるようになるであろう」


 小四郎は垂れていた首を起こし真っ直ぐに作左衛門を見た。


「見えぬものに惑わされるな。その目で見るのだ。この庭もいつも変わらぬ風景のようで実は季節の移ろいとともに見える景色は違っている。床の間の掛け軸も活花も季節に応じて変えておるのだがおぬしには見えていないようだ。その様なことは剣術と関係がない、かどうかは今、おぬしが証明したのではないかな。小四郎、目を覚ますがよい」


 進之介は漸く胸を撫で下ろした。先ほど小四郎は私を騙して、と言ったがそのとおりであろう。この策を考えた佐代は彼を騙したのだ。

 これを事前に義父上が知れば立ち合いは叶わなかったろうから、佐代としても賭けではあったはずだが、さすが親子と言うべきか不本意ながらも義父上は佐代の意を察し、これに乗じたというわけだ。正道ではないが即効性はあった。終わりよければといったところか。


* * *


「お前の行状というのはどうも芳しくない。今回のことも相手が大楠殿と作左衛門だから良かったものの、一歩間違えれば大事になっていたぞ。家老としては遺憾である、とそう言っておこう。しかしオレ個人の見解としてはお前を否定し切れない。手法に品はないがともかくお前は結果を得た。上品に問題を長引かせるより品がなくとも速やかに解決する方が実利にかなうとオレも思う。お前は自分の正義に覚悟をもって進むがよい。ただし間違ったと思ったら潔く退け。退くは勇気のいることだがしかし恥ではない。まぁ歳を取るにつれそれが難しくなるのだがな…。時は移ろうもの、そしてその時を担うべきは若者でなくてはならない。いつまでも頑迷固陋な老人が幅を利かせていてはならんだろう」


 進之介は畏まって頭を下げた。父の進右衛門にここまで肯定的な言葉をかけられたことは今までなかった。進之介は感動していた。


「まぁ、それはそれとして」


 進右衛門はこほんと咳ばらいをしてから後を続けた。


「今回の件について沙汰を申し付ける。相江進之介、明日より一カ月のあいだ演武所の世話役を任ずる」

「世話役?」

「まぁ、有り体にいえば雑用だ。朝は誰よりも早く出仕し掃除、床磨き、備品の管理等の諸々を行い、あとは作左衛門の命に従え。ついでにお前のなまくらな剣術を鍛え直してもらってこい」

「へ? だって父上はいま…」

「いまも床の間もない。もう作左衛門の了解はとってある。楽しみにしておる、と言っておった」

「いやいやいや…父上も否定はしないとそう…」

「最初に家老として遺憾だと言ったはずだ。否も応もない。これは戒め、罰である」


* * *


「言ってることがあべこべだよ」


 居間に戻った進之介は愚痴をこぼしたが、佐代は笑みでそれを受け流した。


「私も一緒にまいりますから」

「え、なんで? 佐代はいいんだよ、私が言い付かったことだ」

「いいえ、私もです。増長しそうになるおのが心を戒めよと義父上は仰せなのです、きっと。それに演武所に関わりのない我らが起こしたこの一件を、必ずしも快く思われていない方が所内にはおられるでしょう。我らが誠心誠意お世話に努めることで、少しでもその方々のわだかまりを解くようにとの義父上様の優しさでもあるのではないのでしょうか」


 進之介はううむ、と唸って佐代を見つめた。


「なんですの?」

「いや、いつもよく見ているつもりだったけど、あらためて佐代はつくづく綺麗だなと思ってね」


(おわり)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

相江進之介、走る 乃々沢亮 @ettsugu361

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ