tres

「ヘスス……。キャッチャーの方か」

 ……俺はくたびれたソファに座って、いかにも胡散臭そうな、メキシコ人の話を聞いた。そいつは英語もスペイン語も達者で、アメリカのとある組織に雇われていると言った。

「本当は、サウスポーの方が……。いや、双子まとめての方が良かったが、まぁいい」

 そいつは自分のことを、「アンヘル」だと言った。俺のような亡命選手を匿うことが、彼の親元のビジネスらしい。

「……頼む、教えてくれ。俺の兄は、どこへ行ったんだ?」

「さぁ? 知らないな。お国に捕まったんじゃないかね」

 必死の逃亡劇の末、俺は極度の緊張で、気を失ってしまったらしい。気づいたときにはここにいて、アンヘルが葉巻を吸っていた。俺が最後に覚えているのは、泣き叫ぶ兄の表情だけだった。

「で、だ。命からがらのおまえにとって、スペシャルな話があるんだよ」

 茶色い髪を掻き上げて、やつは厭らしそうに笑った。映画の名脇役のような顔立ちだと、俺は思った。

「実はだな、俺たちのバックが、ちょいと豪華なやつらでね。メジャーの人間に掛け合って、おまえをプロ入りさせてやってもいい」

 アンヘルはそう言うと、俺の身体を舐め回すように見つめた。俺はきっと、いいカモなのだろう。

「条件はもちろん、金だ。契約金や年俸のいくらかを、俺たちに回してもらうことになる。……なに、大した額でもない。なんと、たったの二十五パーセントだ」

 ――これが、マフィアと言うやつだろうか。俺のような亡命者を囲い込んで、懐に上手く金を収めるのだ。

「……もし、断ると言ったら?」

「断る? 断るだと? ははっ、こりゃ傑作だ!」

 アンヘルは大げさな笑い声をあげ、濃い顔をずいと近づけた。煙草くさい臭いがして、俺は思わず、顔をそむけた。

「こんな状況になっても、おまえはまだ、断れる気でいるのか? それ相応の所に、売り飛ばしてやってもいいんだぜ?」

 ちょうど今、おまえのような「いい男」を、欲しがっているやつがいる。……俺はそれを聞いただけで、背筋が凍りつくような思いがした。この場における最高の選択は、彼の条件を全面的に呑むだけだった。

「俺たちがバックについていりゃあ、おまえはアメリカでも、怖いものなしだ。ただ、野球のことだけを考えていればいい」

 それは、悪魔の囁きだった。野球のことしか知らない俺への、最高で最悪の罰だった。

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