第3話
「こんなところで寝てると、風邪ひくよ?」
外はうっすら明るくなっていた。まだ太陽が昇り切らないうちに母が起きてきた。いつもこの時間に起きているのだろうか?
「んあー……。ふぁあ……」
大きく伸びをすると肩や背中が鳴った。それもそうだ、布団に入らず縁側で寝ていたのだから、体がとても硬い。
「お風呂入ってないんだったら、今にうちに入りなさい」
うん、と一言返事をして風呂場に向かう。母がすでに追い焚きをしてくれたのか、湯船からは湯気が立っていた。少し熱めの湯はすぐに汗をかいて気持ちがいい。ささっと頭、顔、体の順に洗い、最後にもう一度湯船に浸かる。その時違和感があった。風呂場の鏡で顔を確認すると、額に瓜のような模様が赤い痣となって付いていた。
「え、なにこれ……」
きっと変な夢を見たせいだ。夢といってもはっきり覚えている。畑精霊様と会話して、この町を守ってほしいと頼まれたこと。
「僕なんて……」
期待されることに慣れていない。仕事も趣味も、何もかも上手くいかなくて、部屋に篭もっては動画を見たりゲームしたりする毎日。嫌なことを忘れたくて実家に一度帰ってきたはずなのに、逃げる場所なんてどこにも無かった。
風呂上がりの牛乳で熱った体を冷ましていると、外が妙に騒がしいと思ったから縁側から外を見る。父が鉢巻きをして町の数十人を呼び集め、会議を開いていた。
「おう結志、おめーもこっち来て参加しろ」
「何やってんの?」
「デモだよ、デモ。今日も奴らが視察に来るらしいからな、この町に入れないようにするんだ」
「はあ……」
とりあえず着替えて表に出る支度をする。馬鹿馬鹿しいと思いながらも、平和的にこの町を守る方法はないものかと考える。玄関を出れば、母もいつの間にか群衆の中に紛れていた。
「よーし、揃ったな。行くぞー!」
まるでこれから合戦場に行く武士のような気合いの入れようだ。目的地までの道中は、ご近所の様子話やら世間話やらで盛り上がった。
「母さん、いつからこんなことになったんだ?」
「半年くらい前からよ。町長自ら一人一人のお宅に回られてね、それはもう残念そうな顔をしていたわ。だって町長は大学時代もずっとここから通っていたほど、この町が好きらしいし。だから町長や自分たちのためにも、この町を壊してほしくないわ」
「そうなんだ」
おそらく視察に来る人たちが訪ねる度にこんなことをしているのだろう。どうにか折り合いをつけられないものか。
目的地は僕が通った小学校だった。今は子供の人口が少なく、建物の老朽化もあって廃校となっている。校庭には数台の車がすでに停まっていて、数人のスーツを着た人たちが町長であろう人に何か話している様子だった。
「……ですから、この町はまだ再生可能で、農林業事業者に提供すればダムなんて作らなくていいじゃないですか。何故ダムに拘るんですか」
「あなたは何度も言い聞かせないと分からない子供ですか? 少しはこちらの事情を理解してもらいたいものですね」
「俺らはあんたらのことを敵としか思ってねーからな、あんたらを理解するよりも町を守ることに必死なんだよ!」
突然父が声を上げると、群衆も続いて怒号を鳴らす。各々の思いを、スーツを着た人たちにぶつける。いつもこんな小競り合いをやっているのかと、数歩後ろから眺めていた。町長は突っ立っている僕を見つけて向かってくる。
「結志くん、久しぶりだね」
「あ、ああ、どうも……」
どこかで会ったことあるかな。覚えていない。
「覚えてるかな? 小学校の校長だった
「あ、お久しぶりです。先生もお元気そうで」
小豆畑先生は野菜嫌いだった僕に勉強以外もいろんなことを教えてくれた先生で、先生がいなかったらきっと野菜嫌いは克服しなかっただろう。
「せっかく帰ってきたのに、こんな無様を見せてしまって申し訳ないね」
「無様だなんて……。両親から大まかな事情は聞きましたが、町の要望は聞き入れてくれないみたいですね」
「ああ、どうしたものかな……」
先生は途方に暮れた顔つきで、半ば諦めている様子だった。
「君のお父さんを筆頭に、町の皆さんもこうやって止めてくださってるのに、僕は情けないよ」
「そんなことないですよ、先生。国相手に戦ってるんですから立派ですよ」
「ははは、ありがとう」
乾いた笑いの目は徐々に光を失っていく。それに、もう諦め時だ、とでも言いたげに溜め息が溢れていく。
悲哀と怒声に満ちたこの町を見てきた畑精霊様だからこそ、しばらく町を離れていた僕に助けを求めたのだろう。きっと僕だけじゃなく、この町で育つ生物たちが嫌に思っているだろう。僕は意を決して、上司に電話を掛けてみることにした。
「……お疲れ様です。園田です。お休みのところ申し訳ありません、実はお願いしたいことがありまして」
僕はこの時に限って自分の立場を気にしなかった。自分の生まれ育った町を守るための手段を、会社に助けてもらおうと懇願するだけだった。僕はこの時だけ自分が今勤める会社でどうにかできそうなことに幸運を感じていた。
「できれば今週中に……はい、ありがとうございます。失礼します」
「誰と話していたんだ?」
「僕の勤め先です。農業と提携して食を中心とした商品を提供する会社なんですけど、前にお世話になった営業部の上司にツテを当たってみたんです。そしたら明日にでも視察に来るって言ってましたので、まだ希望はありますよ」
「それは本当か!? ありがとう結志くん!」
先生は僕の片手を両手で取って、何度も上下に振る。
「でも、僕の力でどうにかなるのか……」
「その行動を取ってくれただけでも十分だよ」
なんだか照れくさくて、その時は言葉が出なかった。
昼前になってようやくスーツを着た人たちは去っていき、住民も散り散りに帰っていく。嘘のように静かになったと思えば、強風が草木をざわつかせた。
家に帰ると手洗いの序でに顔を洗う。思い出したかのように額に付いていた瓜のような模様を確認する。今朝と変わらずまだ残っていたけど、他の人には見えてないのだろうか。
「結志、ご飯できたよ。……熱でもあるの?」
咄嗟に額を隠して母を見る。
「いや、別に、ちょっと傷みたいなものがあって……」
「見せて」
母は無理やり僕の手を退かし、額をまじまじと観察した。
「んー? 別に何もないよ。気になるなら絆創膏でも貼っておきなさい」
模様は他の人に見えてないみたいで一安心した。けれどこの模様は消えるのか、いや、消えてくれないと困る。
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