第2話
父は満足したのか、七輪はそのままに、食器類を台所に置いて布団に入った。僕も久しぶりの日本酒で微酔いになり、とても気分が良かった。乾いた夜風も気持ち良く、いつの間にかうたた寝をしてしまっていた。
チリーン。チリリーン。チリンチリーン。
甲高い鈴の音で目を覚ましたかと思えば景色が明るい。僕は瞬時に夢の中で目が覚めたを自覚した。鈴の音はまだ止まず、まるで僕を呼んでいるように聞こえた。鈴の音を追って歩く。けれど一向に鈴の音がする場所にたどり着かない。きっと誰かに弄ばれている。僕は試しに声を出した。
「おーい。僕を呼んでいるなら、姿を見せてくれないか」
返事の代わりに鈴が鳴る。けれど姿は見せてくれなかった。待ちぼうけしても仕方ないので、歩くしかない。今度は真っ直ぐ歩いてみよう。しかし鈴の音が離れると、怒られているかのように鈴が強く鳴る。道標もないので結局鈴の音を追いかけるしかなかったが、気が付けば大きくて朽ちた鳥居が僕を待っていた。妙に現実味を帯びた景色に、夢なのか現実なのか区別が曖昧になる。
「立派な鳥居だけど、誰もいないのかな……」
「どうぞ、此方までお越しください」
今度はどこからか聞こえる風のように透き通った声が、空間を反響するエコーと相まって夢であることを確信する。
一礼して鳥居を潜ると、境内は鳥居と同じく朽ちている部分が大半を占めていた。しかし樹木はまだその生命活動を止めまいと緑が生い茂っていた。
「ようこそ、おいでくださいました」
真横の社務所には女性らしき人物が白く煌々と輝いていた。この世の者とは思えない神秘的なその人は、僕の方に近付いては別の建物へと案内する。
「あの、ここはどこなんですか?」
「貴方様の住む土地をお守りする場所に御座います。されど、遥か昔に主様は天へとお戻りになり、今は御神木より生まれし精霊が、この土地を守っておられます」
実はこの人も精霊の類なのでは、と疑問に思ったものの、その答えを聞く前に目的の場所に着いてしまった。
「
宝物殿らしき建物の扉が開いたが、そこには誰も居なかった。
「どうぞお入りください。私はこれにて」
女性は片方の腕をゆっくりと宝物殿に差し出し、僕を見送るまではその場から離れなかった。
「よくぞ参った。小僧よ」
足を踏み入れれば、今度は別の女性の声がした。先ほどの透き通った声ではなく、威厳があり背中を丸めていればピシッと叩かれそうな声。もう少し進めばその声の主は礼儀正しく正座をしていた。その人も白く煌々と輝いていて、加えてこの世とも思えない美しさを持っていた。
「あのー、なんで僕を呼んだんですか?」
「小僧が頼みの綱だからだ。この畑精霊自ら呼び出したこと、今生の慶びとして受けよ」
「はあ……。それで、何用で呼び出したんですか。こんな無力な人間を」
僕は自分を前向きに捉えられないでいる。ついこの間仕事で失敗して、人間関係を悪化させてしまったし、趣味で始めたビリヤードも店の人からキューの扱いが下手で怒られたし、何をやっても上手くいかないこの頃に嫌気が差していた。畑精霊様はゆっくりと立ち上がり僕を見ると、上から目線を実際にやって見せるように目を細めていた。
「くだらない戯れで己を卑下するのは、地獄に参ってからするのだな」
畑精霊様はネガティブな僕をバッサリ否定した。そしてすっと手を差し出し、足元に用意された座布団に座るよう指示した。
「これは小僧にしかできないことでな。心して聴け」
「僕にしか?」
「そうだ。すぐに結果は出ずとも、やり遂げた暁にはこの土地に
修学旅行で聞いた気がする名前。確か農耕の神様で稲荷神社のほとんどに祀られているんだっけ。そういえば誰も住んでいないって言ってたけど、この人たち以外本当に誰も居ないようだ。
「この土地はな、古くから都に食物を献上するために作られた土地であった。その土や水は他とは違う性質があったそうだ。しかし疫病や流行病が人間を襲い、土地を襲い、不作が続いた。でも人間というものは強くてな、何度でも知恵を絞っては田畑を再生させてきた。誠に見事な行いだった。けれど今はこの町から人が次々と去って行くのだ。人の噂では、この町が〝だむ〟に沈むと言うではないか。小僧にはこの町がその〝だむ〟とやらに沈まぬよう、尽力してほしいのだ」
畑精霊様の目は力強く僕を見ていた。相当この町を好いているのだろう。でも僕一人でどうにかできる問題じゃないのは明白で、それこそ高が知れているんだ。
「それは、無理なことですよ。だってダム建設は国や巨大事業を相手に一人で騒いでいるようなものだし、それこそ畑精霊様が力をお使いになって人間を脅かせばいいじゃないですか」
「否だ。我は自然の恩恵から生まれし魂ゆえ、都合良く自然を動かすことは破壊に繋がりかねない。人間の問題は人間が解決すべきことであり、我等自然界に住まう者が手を出すことは門違いというものだ」
「それはまあ、そう、なんですけれども……」
反論の言葉が見つからない。でもこの問題を解決したところで後生に何が残るのかも分からない。
「仮に僕がこの問題を解決できたとして、メリットはあるんですか?」
「見返りを求めるか。貪欲な小僧だ」
畑精霊様はそれ以上言わず、僕を見下すよう見ていた。
「はあ……分かりました。けど期待はしないでくださいよ」
「この地を頼んだぞ」
畑精霊様が立ち上がると、宝物殿に強い風が吹いて姿を眩ました。そしてまた鈴の音が聞こえると、風が地肌を滑る感覚は現実であることを示していた。
チリンチリーン。チリリーン。チリーン。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます