幽霊のいたずら

岩間 孝

第1話

「心当たりのある人は手を上げなさい」

 担任の青山先生がホームルーム冒頭で切り出した。

 ぼくは、竹中たけなかかける。あくびをしながら先生の真剣な表情を見つめた。


 ことの発端は、五年一組……つまりぼくらのクラスの教室の床が水浸しになるという事件が起きたことだった。

 二日開けて教室の後の棚から、音楽で使う笛が全部床に散らばるように落ちるという事件が起きた。棚には生徒それぞれが、体操服や笛、教材などを入れているのだが、笛だけが全員分落ちていたのだ。

 そして、三日開けて今度は黒板消しとチョークが全部落ちていた。


 すぐに、幽霊のせいじゃないかという噂が広まった。言われてみれば、そんな噂があったような気もする。五年一組にいた生徒の一人が、十四、五年ほど前に自殺して亡くなり、その霊が教室に来てたまにいたずらをするんだそうだ。自分のことを思い出して欲しくて、現れるって話だったが、今のぼくらがその人のことを知ってるわけじゃないので、それもおかしな話のような気がした。


 青山先生も最初はやんわりと注意をするくらいだったのだが、その二日後、また、教室が水浸しになった。

 噂は止まらないし、被害も起きるってこともあって、どうも保護者から校長に話が行ったらしい。そして、いよいよ解決しない訳にはいかなくなり、今日のホームルームになったということだった。


 こんなので手挙げる奴とかいるのかな……

 伸びをしながらこっそり周りを見回すと、同じようにきょろきょろしている奴か、下を向いている奴、ぼうっと前を向いてる奴の三つに分けられそうな感じだった。

 ふと、隣の席にいる仲良しのヒロと目が合った。

 おま、やばいって。まえ、まえ。

 口がそんな風に動いている。

 慌てて前を向くと、青山先生がこわーい顔でこっちを睨んでた。

 ぼくは、ことさらに背中を真っ直ぐにして前を向いた。


 それからも、先生は道徳めいた話をしながら歩き回り、皆の顔を覗き込んだりしたけど、結局誰の手も上がらなかった。

 そして――

「これ以上、犯人捜しみたいなことはしないが、もしやった者がいるなら、今後こんなことはしないと約束してくれ……」

 青山先生はそう言って締めくくった。


 ――休み時間になった。

「なんか、分かんないけどさ。どうせ、クラスで目立ちたい奴が犯人なんじゃねーの……」

 ぼくは、ヒロ健二ケンジにそう話しかけた。二人は親友でいつも遊ぶ仲間だった。

「カケル。俺は幽霊だと思ってるがな」

 ヒロがぼくにニヤリと笑う。

「マジかよ。こええよ」

 ケンジが大げさにそう言って笑った。


「だけど、マジな話。反応しなきゃそのうち収まるだろ」

「まあ、そりゃ、そうだ。水浸し以外は害のない、いたずらだもんな」

「ああ」

「カケル。そう言えばさ」

「うん。なに?」

「動画サイトでさ、最近流行ってる……」

 ケンジが話を変えてきた。その一言でぼくらの興味は全く違う話題へと変わり、さっきのホームルームの話はどこかへ行ってしまっていた。


 すると、誰かが背中にぶつかるのを感じた。

 振り返ると、

「ご、ごめん……」

 と、そいつは頭を下げて自分の席へ行った。脇に大きな本を抱えている。名前は山田やまだ智文ともふみ。あだ名はともっちだ。

 ぼくらと違って、いつも大人しく本を読んでるから、あんまり話すことはない。

 自分の席について本を開くともっちを何となく見ていると、

「おい、カケル! 話聞いてないだろ?」

 ケンジが怒って言った。

「そんなことないよー」

 ぼくは頭をかきながら、ともっちから目を離し三人の輪へと戻った。

 

      *


 夜九時。ぼくらは学校に集まった。

 ヒロが絶対に誰かが、いたずらしてるんだって言い張ったからだった。

 親にはヒロの家に遊びに行くといって出てきたから、そんなに長い時間は無理だった。


「でもさ、誰かがいたずらしてるとしても、この時間にいるかどうかは、わかんないじゃん」

「そりゃそうだけど、こんな時間に学校に忍び込むのが楽しいんだよ!」

 ぼくのツッコミにヒロが笑って返す。

「それに幽霊かもしれないだろ!?」

 ケンジが真剣な顔で言って、すぐに吹き出す。

 すると、生温い風が吹いてきて、ぼくらの髪を巻き上げた。

「ほらあ、幽霊が来たぞー!!」

 ぼくはそう叫び、手の甲を前に向け指を下に垂らしながら、二人を追いかけた。


 三人で笑いながら、教室の前まで来ると、教室の中を光が動いているのが見えた。

「ひとだま!?」

 ケンジが囁くような声で言い、ヒロの顔が一瞬恐怖に染まった。

「ばか。そんなわけ無いだろ……」

 ぼくは小さな声で言って、人差し指を口に当てた。二人とも唾を飲み込んで、口を閉じる。

 ぼくは少しずつ頭を窓の下から出していって、慎重に教室の中を覗き込んだ。


 懐中電灯の灯りが、動いている。

 教室は暗くて分かりにくかったが、一瞬懐中電灯の灯りが顔に当たった。

 ――持っている人間はともっちだった。

 よく見ると、後の棚から教材セットを抜き出して、下に落としていっている。


「俺の言ったとおりじゃん。幽霊のわけないんだよ」

 ヒロが小さな声でぼくに言った。

 ぼくは、頷きながら教室の窓に指をかけた。

 あいつ。ぼくの背中にぶつかったとき、話を聞いてたのかな? それならしばらく大人しくしてそうな気もするけど。

 ぼくはそう思いながら、教室の窓を横に引いた。このときのために、帰る前に、一カ所だけ鍵を開けて帰っていたのだ。


「おい。ともっち!」

 ぼくはいきなり、声をかけた。

 声に気づいたともっちはこっちを見て驚いた顔で逃げだそうとした。

「こら、待て。逃げたら青山先生に言うぞ!」

 ヒロが言ったのを聞いて、ともっちは立ち止まった。

「別にさ。怒ってるとかないし、このことでお前をどうこうするつもりはないから、安心しろ」

 ぼくはそう言って、中に入った。ヒロとケンジも続けて入る。


「何してたのか話せよ」

 ぼくは言った。

「最初は偶然だったんだ。クラスで飼ってる金魚の水槽の水替えを失敗してさ。水を大量にこぼしちゃって……」

 ともっちは観念したような顔で話し出した。

「ふうん」

「それで水を拭こうにも大量すぎて、途中まではぞうきんをかけたんだけど、結構残ってしまって」

「うん、うん」

「そのままほったらかして帰って、次の日来たら、水はまだ残ってて……」

「それが、あの最初の事件か?」


「そう。自分が犯人だってばれるのが怖くて、昔、亡くなった生徒の噂を立てることを思いついたんだ」

「じゃあ、あれは作り話か?」

「うーん。作り話って言うか、元々、噂はあっただろ? だから、それを上手くアレンジしたんだ。ちょうど読んでいる本にそんな話があってさ……」

 教室でも、ともっちがしょっちゅう本を読んでいたことを思い出す。

「結構、皆怖がって、それが何か面白いというか……、皆が反応するのが快感みたいになっちゃってさ」

「それで、今度は本当にいたずらを続けたってわけか?」

「うん。でも、カケルくんたちが犯人は人間だって言ってたのを聞いて……」

「あ。それで、今日も来たのか!」

 ぼくは、疑問が解けたことにすっきりした気分になっていた。


「うん。なんかせっかく広まった噂が消えるのが少し悔しくて」

 肩を落とすともっちの背中を、ヒロが思いっきりはたいて、

「元気出せ!」と言った。

 ぼくも、

「そうそう。これはもう止めた方がいいけど、お前結構、度胸あるっていうか、面白いから仲間になろうぜ」と言った。

 ケンジも笑顔で頷いている。

「ありがとう。でも、一つだけ気になってることがあってさ……」

「何だ?」

「実は、最後の水はぼくじゃないんだ」

「え!?」

 ぼくらは絶句した。いい感じに解決して終わりそうだったのに、最後に大きな謎が残っていたのだ。


 この教室で起きた事件は、

1 床が水浸しになる。

2 笛が床に散らばる。

3 黒板消しとチョークが落ちる。

4 昨日、また床が水浸しになる。

の順番で起きていた。


 四番目の水がともっちのせいじゃないんだったら誰がやったんだ? 他の別人が同じようないたずらをしたのか?

 呆然としていると、

「ともっち。また、俺たちを怖がらせようとしてるだろ?」

 ケンジが言った。


 その途端、

「冷たっ!!」と、ヒロが叫んだ。

 ヒロの方を見ると床に水が盛大に拡がっていた。ぼくたちは靴下だったので、水の冷たさを直接感じたのだ。 

 水はゆるゆると生きているかのように拡がり、すぐにぼくの靴下も濡らした。

 ぼくは教室の向こう側に赤く光る光りが、漂っているのを見つけた。

「……お、まえ、ら………おれ、の……こと、で、いた、ずら、した、な……うら、み、はら……さ、ずに……おく、べき、か……」

 微かに、しかし、しっかりと、その声は廊下から響いてきた。


「マジか!! 逃げろ!!」

 ケンジが叫んだ。

 ぼくも、震え上がった。ともっちの作り話だった幽霊の話が、昔から噂されている本物を呼んだのかもしれない――。

 ぼくらは慌てて窓に走り寄ると、すぐに皆で逃げ出した。途中何度も転けそうになりながら、やっとのことで校門の外へと逃げ出した。


 教室に、その姿を見送る影が二つ立っていた。


      *


「全く……これに懲りて、もういたずらも止むだろう。な。ケイタ」

 青山が廊下の水道の蛇口を閉めながら言うと、

「本当だな。青山センセ……」と傍らの小さな人影が答えた。

「だけど、あの声……お前、怖がらせるの上手いな!?」

「そうだろ」

 青山がケイタと呼んだ人影は笑いながら答えた。


 その様子を別の人間が見たら、奇妙なことに気づいたはずだ。

 いや、そもそも青山以外の人間に見えたか、どうか……だが、ともかく青山に見えているその姿は、半透明の子どもの姿だった。

「あの噂が出たときはびっくりしたが、本当にお前がここにいたなんてな」

 あの二回目の水浸しになった日――。夜に見回りをしていて青山はかつての親友のケイタの幽霊に再会したのだった。


「ああ。ぼくは自殺したわけじゃなくて病気だったんだけどな……」

「そうだな。そこがあいつらに伝わってないことは惜しいな」

 青山は笑って言った。

 ケイタは自分の間違った噂が出回っていたことに少しだけ腹を立て、教室を水浸しにしたのだった。

「何か、でも、久しぶりに楽しかったよ。学校の子どもたちの雰囲気も楽しめたし、あの頃、友だちだった君にも会えたしね」

 ケイタは笑顔で言った。体が徐々に薄くなっていく。


「お父さんやお母さんには会わなくていいのか?」

「お墓や仏壇ではしょっちゅう会ってるんだよ。でも、ぼくのことが見えないらしくてね。青山はなんかそういう見える才能があるのかな……まあ、しばらくしたら向こうで会えると思うから待っとくよ」

 外で、旋風つむじかぜの吹く音がした。


「そうか。寂しいが、何十年か後にまた会えるかな」

「ああ。きっと。今度は向こうの世界かもしれないけどね」

 ケイタは頷き、手を差し出した。

 青山がその手を掴んだ。

 体が光の粒子となり、上へと向かって消えていく。

 ケイタが完全に消えた後、青山はしばらく呆然としていたが、目から溢れる涙を拭って我に返った。


「あ。掃除……」

 床には教材セットが散らばり、水が盛大に拡がっている。

「マジか……」

 青山はそう呟くと、倉庫にあるモップを取りに行った。

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