第16話 開演
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生きたい僕は、死にたい君に花束を贈ろう。
もし君がこの終わった世界から、死んで解放される日が来た時には、最大限の拍手と称賛と喝采を。
心からの賛辞を込めて君に贈ろう。
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「ふん、そういうことが起きてたのか。まさか、れんの父親が出てきていて、しかも殺し屋っつー物騒な肩書きを拵えてたってのも十分驚愕に値するところだけれど、それよりもお前と呑荊棘が殺人鬼に会ってたってのが極めつけって感じだな。お前にこれを言うのは不謹慎になるのかもしれねーが、よく生きてたな、梢」
五年前の話を途中まで聞いて、靴谷氷花は素直に思ったことを口にした。
彼女は例の殺人鬼のことをほんの触り程度ではあるが、知っていた。仕事柄そういう話には耳聡いのだ。
そしてここで、もっと彼女の抱えているものを開示すると、靴谷氷花はその殺人鬼と会った事があったのだ。
それこそ、誰にも明かしていない事実なのだが、二年前に追っていた事件で鉢合わせてしまったことを皮切りに何度か顔を合わせている。
「ひょうか姉に相談しておけばって何度も思ったんだよ。呑荊棘がいなくなって、本当に何も見えなくなった時にね、ひだまり園のみんなのことを思い出すことで救われてたから。その殺人鬼の男の子は、どちらかというとずっと私たちを守ってくれてたんだよ。私たちが復讐を望んだことで、復讐に臨んだことで出た被害は相当のものになってしまったっていう自覚はあった。でもそれでも止まれなかったんだよ、ごめんなさい。ごめんなさい」
「いいよ、そもそもあたしに謝るもんじゃねーよ。一生背負って生きていけよ、あたしも少しくらいなら一緒に背負ってやるから」
「ふふ、ひょうか姉は相変わらず優しくて格好いいんだよ。私が女の子だったとしても、惚れちゃうくらい」
靴谷氷花は少し顔を赤らめて、小さく舌打ちをした。
それを見て、白塔梢はさらに彼女のことを好きになった。
「まあ、今日のところは一旦解散するとして、早速明日から私は動くけれど、梢はどうする?」
「うん、もちろん私もそうするんだよ。学校には申し訳ないけれど辞めることになるかな」
「だったら、今日うちに泊まるか?」
「いいの?うん!いく!」
こうして白塔梢の回想に一旦区切りをつけた二人は、靴谷氷花の家へと向かった。
途中、スーパーで必要なものを一通り揃え、家に着いた頃には日はすっかり落ちていた。
「お邪魔しまーす、わあ広ーい、綺麗なんだよ。ひょうか姉って片付けできたんだねって、痛ーーーい!なんですぐ殴るのさ!むー、暴力刑事なんだよ」
「お前がいちいち余計なことを言うからだろ、まったく。それで、早速続きを聞いてもいいか?」
靴谷氷花は乱暴にリビングのソファに腰掛け、煙草に火を付けた。
基本的には面倒くさがりな彼女ではあるが、意外にも几帳面であり、実はかなりの綺麗好きでもあった。
「でもさでもさ、ひょうか姉のお家に入ったのは初めてだけれど、こうして見るとひだまり園にいた時にはわからなかった一面がたくさんなんだよ」
「おーい、無視すんな。続きだよ続き」
「うん、それはもちろん全然構わないんだけれど、ごめんね。いろいろ思い出して少し疲れちゃって」
そう言って、申し訳なさそうに笑う白塔梢を見て靴谷氷花は短く溜息を吐いた。
「まあ、それもそうか。とりあえず飯作るか。先に風呂でも入ってこいよ、飯の支度はあたしがやっとくから」
「わぁ、ひょうか姉の嫁力が無駄に溢れてるんだよぉ!一体どこでそんなこと覚えたの?って痛いっ!待って、ごめんんさい!痛いから、無言で執拗にローキックすりのやめてよぉ」
白塔梢は逃げるように、風呂場へと向かっていった。
「ったく、見え透いた空元気だよな。あたしも流石にわざとらしかったかな。こりゃ気を遣われてんのはあたしの方か、くそ。なんであの時あたしはあいつらの側にいなかったんだよ、あいつらを守るために警察になったってのに」
靴谷氷花は一人残されたリビングで呟いた。誰に聞かせることもないであろう言葉を、守りたい誰かのことを想いながら。
そしてそれは白塔梢にしても同じだった。
「ひょうか姉変わってなかったなぁ、いつも優しくて私たちを守ろうとしてくれるんだよ。でもだからこそあの時の私たちは頼れなかったんだよ。そうなったらきっと、ひょうか姉は自分のことよりも私たちのために動くんだもん。巻き込めないよ、がっくんとひーくんを巻き込んでしまった私たちには、そんなことを思う資格なんてないかもしれないけれど。そうだよね、呑荊棘」
白塔梢は、妹である白塔呑荊棘と共に失敗した復讐の中で、巻き込み犠牲になってしまった二人の弟のことを思い出しながら、鏡に映る自分に問いかけた。それは自分とそっくりな妹に投げかけた言葉のようにも聞こえるものだった。
彼女らの復讐の中で巻き込まれ、そして命を落としてしまった二人の少年。
冬藁瓦礫(ふゆわらがれき)と矢火羽響(やかばねひびき)。
今はもう閉鎖されたひだまり園において、二人はいつも元気いっぱい走り回っていて、みんなを笑顔にしてくれる存在だった。そんな二人はもうすでに死んでいる。ただそこにいただけと言う理由で殺されてしまった。
白塔梢はその事実とこれから向き合わなくてはならない。五年前、妹である白塔呑荊棘を亡くした後、全てに絶望し恐怖した彼女は、ただひたすら逃げることを選んだ。事実の中に潜んだ真実から目を背け続けたのだ。その事が彼女の精神を守っていたかどうかは兎も角として、実際のところ社会に溶け込むことには成功していた。
高校教師として、社会の歯車になることには成功していたのだ。しかし因果というものはそんなことを忖度することはない。誰に導かれるでもなく、白塔梢はまたしても自らの運命に立ち向かい、翻弄されることになるのかもしれない。
進むと決めた先に、道があるとは限らない。
見上げた空が、何かを恵んでくれるというのは幻想に過ぎない。
そういった理不尽や不条理を多分に含んだ連続性のある時間の集合体のことを、人は「人生」と呼ぶ。
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夕飯と風呂を済ませ、二人はリビングで向き合っていた。
一人は煙草を蒸し、一人はその煙を目の端で追うように佇んでいた。
「さて、明日からのことも決めていかなきゃなんねーし、そろそろ話聞かせてくれるか、梢」
「そうだね、その前にあらためて聞いておきたい事があるんだよ。昼間にね、話をした所までで既に普通の人間の領域を逸脱してる。ここから先は、きっと五年前の件を遥かに凌駕すると思うんだよ。私はもちろん、ひょうか姉だって死ぬ可能性を大いに含んでいて、一旦踏み込んだら無関係じゃいられなくなる。事の真相がわかった時には、私たちのどちらかがもう既に殺されているかもしれないんだよ。それでも、ひょうか姉は踏み出せるの?」
関わった時点で殺害対象になってしまうかもしれない。否、関わろうとした時点で終わりなのかもしれない程に、相手はこちらの動きを把握しているのだ。
その紛れもない事実に靴谷氷花を巻き込むということは、白塔梢にとって苦痛であり、まさしく断腸の思いだった。
ここで引いて欲しい。
自分の命に未練を持って欲しい。
賢い選択をして欲しい。
しかし、白塔梢は知っている。
そんなものは、靴谷氷花にとって悩むまでもない問題であるということを。
「何言ってんだ?あーあれか、まだ殴られ足りなかったのか?あのなぁ、梢。お前はあたしの家族だ、妹なんだよ。その時点で全くもって無関係なんかじゃねぇだろ。大体なぁ、妹一人と弟二人殺されてるんだよ、こっちは。正義が何だとか説教垂れるつもりはないけれど、やられた分はきっちりやり返す。関わった時点で危険があるとか知ったこっちゃねぇよ、あたしらに関わったことを後悔させなきゃな、だろ?」
靴谷氷花はシニカルに笑い、白塔梢を睨んだ。
睨まれる覚えは全くなかった彼女だったが、靴谷氷花の言葉は少なからず背中を押してくれた気がした。
その強さに、その優しさに何度も助けられてきた。いつも支えられてきた。白塔梢にとって、靴谷氷花の存在というのは姉であると同時に、ヒーローでもあった。憧れていた。
自分の思うがままに生きていく彼女に憧れていたのだ。ひだまり園にいた子たちは全員が何かを失っていた。そして、その背景を鑑みて警察という組織によって管理、保護されていた。もちろん白塔梢も、靴谷氷花も。
理不尽に大切なものを壊された人間は「普通」に戻ってこれるのだろうか。
戻ってくるにしろ、どれだけの時間がかかるのだろう。否、時間だけの問題ではないかもしれない。
しかし、あのひだまり園という空間において、皆のことを支え続けた存在のうち、一人は間違いなく靴谷氷花だろう。本人に自覚があったのかは定かではないが、彼女の言動は少なくとも誉められるものでも、模範となるものでもなかったが、それでも心の在り方は周囲に安心を齎した。
「ありがとね、ひょうか姉。うん、じゃあ話すよ。あの後私たちに何が起きたのかを」
白塔梢は語った。
五年前、自分と妹と殺し屋、そして殺人鬼の四人が何を成し遂げたのかを。
五年前、自分と妹と殺し屋、そして殺人鬼の四人が何も成し遂げられなかったことを。
殺し屋であり、初木町鎌(はつきまちれん)の父親であった彼の死。
自らを殺人鬼と称し、異常な殺人技術を持っていた少年の離脱。
二人だけになった双子に残されたのは、全てにケリを付けるため前に進むことのみ。
それが、彼女らの復讐の掟なのだ。
それが、彼女らの復讐に巻き込まれた人たちへの償いだった。
靴谷氷花はずっと黙って聞いていた。
時折、相槌などは入れるが、基本的には黙っていた。
何かを思いやるような表情で、何かを慮るような表情で。
そして、話を聞きながら、頭の中ではこれからのことを思案していた。
ここから先は、白塔梢の言う通り、自身の命を守り抜くことすら困難なのだろう。
しかし引けない、靴谷氷花は静かに決意する。
決して独りにはさせない。
目の前の妹も、無邪気な殺人鬼も、そして行方を眩ましたままの妹も。
全部まとめて何とかするのだと、彼女は前を向いた。
そして同時刻、靴谷氷花と白塔梢が語り合っているマンションの屋上に二つの影があった。
その二人は特に隠れているつもりはないのか、堂々と話していた。
「あーあ、あの梢ってお姉さん、せっかく生き残ったってのに。また殺されにいくのかねぇ、懲りないというか諦めが悪いというか。しかも今度はあの暴力刑事まで連れて行くってんだから笑えるよな、シロ」
「ひょうか姉もこずえ姉も変わってなくてよかった。これ以上皆からは何も奪わせない。だから力を貸して、クロ」
「くはは、手を貸すって言っても、そもそも俺たちにできることなんかあるか?殺人鬼である俺と、殺人姫(さつじんき)であるお前のコンビに何が出来るってんだよ。せいぜい殺すことだけだろ」
「その呼び方やめてよ。でも、うん、それでもいいの。私はあの場所で過ごした時間を、これ以上汚されたくない。みっちーものばら姉もがっくんも、ひーくんもじゅんちゃんも、簡単に殺された。暴力で殺し、権威力で殺し、財力で殺し、属人的勢力で殺された。私はね、クロに遭った日に決めたの。もう何も奪わせない、私の家族は私が守る」
「はいはい、その誓いは何度も聞いてる。まぁ俺もあの二人には世話になったこともあるしな、梢っつーお姉さんは確か五年前だったかな、んであの暴力刑事はー、三年くらい前からちょいちょい顔合わせてはいたしな。そうそう!俺とシロを会わせてくれたのが、その暴力刑事だったな。それに呑荊棘ってお姉さんに頼まれてることもあるしな」
「クロってさ、何気に私の家族と面識あるよね。変な偶然というか、因果というか。私はもう皆に会うことは出来ないけれど、声を掛けて安心させることも出来ないけれど、それでもこれからも家族でいてくれるのかな。時野舞白の名前を捨てちゃった私なんかを」
「くはは、相変わらずよくわかんねーところでネガティブ思考だよな、シロ。お前がどう思っていようと、あのお人好し共はお前のことを忘れてはくれねぇだろうし、諦めてもくれないだろうよ。その証拠に、お前のこと探ってる奴もいるんだろ?ひだまり園の生き残りなんだろ、そいつらも」
「うん、そうだね。ありがと、クロ。確かにれん兄とよっちゃんには油断できないけれど、でもあの二人ならいつか私の所まで辿り着くんだろうな。ふふっ、それはそれで嬉しかったりするのかも」
二人はその後、再び姿を消した。
「クロ」と呼ばれていた殺人鬼。
「シロ」と呼ばれていた殺人姫。
人の成り損ないの二人。
一匹の鬼と、一人の姫。
童話のような組み合わせではあるが、それらの物語を語れるものはいない。
それらが歩けば屍一つ、踊り笑えば死屍累々、縁も奇縁も狂い死ぬ。
序章は終わり、物語が本格的に狂い出す。
これまでの事件も出来事も、全てが序章に過ぎず、時野舞白の覚醒のための伏線でしかなかったのだと言っても過言ではないのかもしれない。
幕は既に開いている。
舞台に立つは誰なのか。最後に笑うのは誰なのか。
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