第15話 告白

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 あなたはいつも正しい。

 正しさに溺れる君が見たくて、僕は愚かでいるのかもしれない。


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 いつの間にかそこにいた。

 一匹の殺人鬼。

 

 「なぁー聞いてる?お姉さーん。『ましろ』って言ったよな?」


 舞白、時野舞白。

 白塔梢と白塔呑荊棘にとってかけがえのない妹。

 確かに数秒前、白塔呑荊棘は舞白の名前を口にしていたのだが、彼女自身そのことに頭を使える状態になかった。

 いきなり現れたソレが、初木町偽恋が警戒していた協力者なのだと、瞬時に悟ったことは流石ではあるが、だからと言って自身の身体の内側から鳴り響く危険信号に逆らえるほど場数を踏んでいる訳ではないのだ。

 

 「お嬢ちゃん、気をしっかり保て。呑まれるな」

 「え?あっ、げほっ、げほっ!」


 呼吸することさえ忘れてしまう程の恐怖に包まれたのは、きっと初めてだったのだろう。

 それを咎めるというのは酷というものだ。


 「んーなんか俺嫌われるようなことしたかなぁ、無視される覚えなんてないんだけどなぁ」

 「あ、あの!さっき呑荊棘は確かにその名前を口にしたんだよ、でもそれが何だって言うのかな?」


 随分と呑気な口調のソレに、震えながら応えたのは白塔梢だった。妹をソレから守るように二人の間に割って入ったのだ。

 

 「あれ?似てる?あぁ双子かー。ふーん、まあいいや。んで、『ましろ』ってのはなんだ?」

 

 白塔梢は目の前のソレが一体何者なのかはわからない。

 だが、危険なものであり、その危険なものが妹である時野舞白のことを探っている。

 それは見過ごせない。だが自分たちに何ができると言うのだろう、この目の前のソレを相手に何かできることはあるのだろうか。


 「ちょーっとタンマ、お嬢ちゃんたちは下がってなぁ。どういうつもりだ、ここには近づかないように連絡したはずなんだがねぇ」

 「あーおっさん、でもそれ俺が従う理由ないよ。第一、俺とおっさんは協力関係にあっても雇用関係ではない訳だしな。俺は俺で好きに動くさ。それよりもさ、『ましろ』について聞かせてくれ。それを話してくれるなら今後全面的におっさんたちの言うことに従うからよ」

 「だからちょっと待てって言ってんじゃねぇか。そもそもその『ましろ』ってのはお嬢ちゃんたちの関係者だよな。今回の仕事に関係のないことだ、お前に話す義理はねぇよ」

 

 両者、砕けた口調で会話しているが、その二人の間は少しずつ殺気で満ちていく。


 「おい!!」

 

 そんな緊張状態に水を差したのは、それこそこの殺人鬼によって所属していた教団を蹂躙され、全てを失い、ここに捕らえられていた男だった。


 「お、おい!お前、うちの連中を殺して回ってたヤツだな。お前は一体何なんだ!お前が殺した人間の中には、六年前の件に関係ないヤツの方が圧倒的に多かった。だがお前は問答無用で殺した、何がしたいんだよ、お前はぁ!」


 男の叫びは倉庫内に響いた。

 先程までの淡々とした態度など微塵も残っていない、怒りに任せ声を荒げる男は、ワイヤーで縛られていなければ今にも掴み掛かっっていただろう。


 「あ?誰だよ、おっさん2号。いきなり怒鳴るなよ、俺があんたに何したって言うんだよ」


 しかし、男の怒りなど全く気にしていないのか、怒りの元凶とも言える彼はそんなふうにあしらった。

 その態度と発せられた言葉には、その場にいた彼以外の全員が絶句した。


 刹那。

 倉庫内に、ヒュンッと風を切る音が鳴った。

 そしてその直後、怒りに体を震わせていたはずの男の体から、首から上の部分が無くなっていた。


 「え?」

 「っ!」

 「はぁ!?」


 白塔梢はその光景を一瞬理解できなかった。

 白塔呑荊棘は何が起きたのかだけは把握できた。

 初木町偽恋は何故こんなことになっているのかわからなかった。


 「あ、悪りぃ。殺しちまった」


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 倉庫の中には四人。

 最初は四人で、一人増えて一人死んで、最後はやはり四人。

 

 殺し屋と双子と、殺人鬼。

 三人と一匹が睨み合う形で立っている。


 「なぁなぁ、殺したことは謝るからよぉ、そんなに警戒すんなって」


 殺人鬼は嗤(わら)う。自分がしでかしたことを悪びれることもなく。

 その光景は少なくとも、白塔梢と白塔呑荊棘にとっては異常で不気味でしかなかったが、同時にそれだけのことができるソレがこちらの手札として存在していることを示している。問題はその手札というのが、場に出してはいけない類のものだということである。

 そして、どちらかというと目の前の殺人鬼に近い立場にある殺し屋としての初木町偽恋は、今後のことに頭を抱え込んでいた。


 「梢、下がって。コレは私たちがどうこうできるような存在じゃない」

 「え?じゃあ呑荊棘も下がるんだよ。なんで私だけ守ろうとするの?」

 「お嬢ちゃんたちは二人とも漏れなく下がりなよぉ。このヤンチャな少年とは俺が話すからよぉ」


 この瞬間またしても誰かの首が飛んでいても何の不思議でもないのだが、そうならなかったのは殺人鬼にそうしないだけの理由があったからであろう。理由なく殺人する彼は、理由があっても殺人する鬼は、この時はそれを意図的に封じ込めていたのだろう。「ましろ」と呼ばれた存在について、詳しく聞きたいという彼女らを生かす理由を盾に、自分の中の名称すら不明の殺意を完璧に抑え込んだのだ。まあ、既に一人犠牲にはなっているのだけれど。その一人はこの鬼にとって、もう役目を終えた物体でしかなかったし、終わったことを怒鳴り上げてくる鬱陶しい存在でしかなかったので、殺したことをどうとも思ってすらいないのだが。


 「えー、俺はおっさんと話したいことなんかねぇぞ?そっちのかわいいお姉さんと話がしたいんだけどなぁ」

 「わかったから、とりあえずは俺で我慢してくれ。お前がお嬢ちゃんたちに危害を加えないという確証がねぇ以上、お嬢ちゃんたちをお前と関わらせる訳にゃいかんのよ。依頼主を守るのも仕事だからよぉ」

 「ふーん、仕事、ねぇ。まあいいや、わかった。じゃあどうしたら俺はその確証ってのを提示できる?お姉さんたちとの会話に花を咲かすには、俺は何をしたらいい?」

 

 この二人が会話をする度に場に殺気が溢れてくる。常人なら既に意識を手放してしまっているかもしれない。現に白塔呑荊棘は心の中では、さっさと気絶してしまいたいと思っているのだが、彼女の後ろに控えた姉を守るためには、ここは踏ん張りどころだった。そう奮い立ち、後ろに控えている姉に目をやると、そこには誰もいなかった。


 「••••••ちょ、ちょっと待って。さっきから舞白ちゃんのことを知りたいみたいだけど、理由を聞かせて欲しいんだよ」

 「ばか!梢!」


 白塔呑荊棘が気がついた瞬間には、もう遅かった。

 殺人鬼と殺し屋の間に、白塔梢は何を臆することもなく入っていったのだ。

 その行為に、殺人鬼も殺し屋も一瞬呆気にとられていた。

 

 「お、お嬢ちゃん、何で出てきた?」

 「かはっ。いいね、お姉さん。お姉さんの方が話が早くて助かるよ」


 対応はそれぞれだったが、殺人鬼は本当に危害を加える気がないようで、普通に話を進めようとしてきた。その様子に、初木町偽恋は深い溜息を吐き、その場にしゃがみこんだ。

 

 「安心してくれ、俺はおっさんのこともお姉さんたちのことも殺さない。それは約束する。だから教えてくれ、その『ましろ』ってのは何だ?」

 「えっと、何だって聞かれても答えに困るんだよ。そもそも何で舞白ちゃんのことを知ってるのかな?」

 「あー、ついこの間すれ違ったんだよ、たまたま偶然ってやつ。俺は自分の性質上、個人を判別する機会ってのはあまりないんだけれど、それでもその『ましろ』と呼ばれたそいつだけははっきり認識できた。わかりやすく言うなら、釘付けになった、一目惚れしたと言ってもいいかもしれないなぁ、くはは」

 「一目惚れぇ?むー、何から聞けばいいのかわからなくなってきたんだよ。でも、そうだね。一つ絶対に聞いておかなくちゃいけないことがあるんだよ。君は舞白ちゃんを傷つけるの?」


 その遣り取りは、この状況に全くそぐわないほどに気の抜けたものであったが、最後の質問を受けた瞬間、殺人鬼は笑みを消した。「君は舞白ちゃんを傷つけるの?」と聞いた白塔梢にしても、この時点では、ただただ妹に危険人物が近づくのは防いでおきたいくらいにしか思っていなかったであろうし、その会話を聞いていた白塔呑荊棘と初木町偽恋も似たようなことを想像していただろう。たまたま偶然すれ違った女の子に一目惚れしたなどと言う言葉を、そこまで信用しているわけではなかったが、ただ単に興味を持ったくらいにしか思っていなかったのだ。

 その思い違い自体は、そこまで致命的なものではなく、結果だけ見ると多少迂闊だったと言うだけで、物語において重要な分岐でもなければ、転機でもない。その程度の遣り取りになるはずだった。


 「あぁ、殺すつもりはないな。つか、アレは俺じゃ殺せねぇ。そうだな、目的って聞かれると困るんだけどな、強いて言うなら、話がしてみたい、かな。おっと、これじゃぁ本当に一目惚れしちゃってるみたいだな、笑えねぇ。まぁ、お姉さんたちの口ぶりからして、その『ましろ』ってのとは、それなりに近しい関係なんだろ?ならこっちも隠しとけない情報もあるってもんだ。じゃあまず何から話そうかな」

 

 いつの間にか蚊帳の外になっていた白塔呑荊棘だったが、不思議とここで目の前の少年の形をしたソレの話を遮る気にはなれなかった。それは残る二人も同様だったのだろう。いや、殺し屋である初木町偽恋だけは、この状況をかなり危惧していたわけで、それがこうして現実になった以上何か対策を講じるのが彼の役割なのだが、保護すべき二人の女の子は目の前の殺人鬼との話に集中しているようだし、もう成るように成ればいいと、彼にしては珍しくかなり投げやりになっていた。

 

 「俺はさ、見ての通り一般人じゃあない。正しく自分のことを表現するとするなら、殺人鬼と名乗るのがこの場合親切なんだろうな。俺に自覚があるかどうかはこの際どうでもいいんだろうが、俺は生まれた瞬間から殺人鬼だった。お姉さんたちが想像している最悪にさらに五十乗倍したような世界で生きてる俺にとって、人が死ぬことは全然全く大したことではないし、殺されることも殺すことも日常茶飯事なわけだ。でもそんな世界にいても俺は異質で異端で異常だったらしいんだわ。これはちょっと昔に、善良な殺し屋に説教された際に言われたことなんだけどさ、俺には同種と呼べるものが存在していないらしい。その殺し屋は『トモダチ』って言葉を使ってはいたが、つまり、俺には対等に向かい合える奴がいないわけだ。それは俺の意志や性格に起因するものではなく、『そうあるべき』なんだそうだ。ふざけた話ではあるけれど、そういうものだから仕方がないと言われたっけ」


 白塔梢は戦慄する。

 この先はまずい。

 この後の話を聞いたら駄目な気がする。


 「別に寂しいとかじゃねぇよ。別に一人で生きること自体何も不自由はねぇし、そもそも誰かが俺の人生に明確に存在してたことなんてほとんど無いからな、『トモダチ』なんて言われてもピンとこねぇんだよ。大体何するんだ?仲良くなったことがねぇからわからないんだけどさ、殺し合うこと以外で絆を結ぶ術を俺は知らねぇからなぁ」


 白塔呑荊棘は推測する。

 これから目の前の、殺人鬼と自称した少年が言いたいことを。

 そしてそれは、白塔呑荊棘自身が時野舞白を気にかける理由に直結しかねないことを、彼女は既に推察できている。


 「そもそも殺人鬼にとっての殺しには、理由がないからな。お姉さんたちも自分がどうせ殺されるなら、まともな理由の一つや二つは欲しいだろ?うんうん、普通はそうだろうよ。だからこそ俺は俺でしかなかったというわけだな、くはは。おそらくこの場において一番年下である俺がこうして講釈の弁を楽しめちまうのはお姉さんたちが聞き上手なお陰かもな。人間関係にはコミュニケーションが大事らしいぜ。昔、その説教好きな善良な殺し屋が言ってたよ」

 

 初木町偽恋は警戒する。

 目の前の殺人鬼が興味を持つ人間がいるということ自体は、彼からしても実に興味を唆られる話題ではあるのだが、それが今回の自分の雇い主の関係者となると話は別である。そうなってくると「縁が合い」過ぎるのだ。抜け出せなくなる、プロの殺し屋として柵など無ければ無いほどいいに決まっている。しかも今回の柵には、殺人鬼がセットで付いてきてしまうのだ。どんなアンハッピーセットだ。


 「だからさ、生まれて初めて、俺は他人に興味を持ったんだよ。『ましろ』ってやつだ、あいつは間違いなくこちら側の人間だろ。でもどこ探しても会えなかった。そりゃそうだって話だよな、その『ましろ』ってのはお姉さんたちと近いところで、普通に生きていたってんだからさ。お姉さんたちの今の表情見たら何となく想像はつくよ。ギリギリなんだろ?いつ壊れてもおかしくない、むしろ今を持って未だ壊れていない方がおかしいって感じかな?なあ、頼む。そいつのこと俺に教えてくれ」


 殺人鬼の思いを三人はそれぞれ違った形で飲み込むことになるのだが、それはまるで初恋の思いを告白されたかのような、話の至る所に小恥ずかしい感情が見え隠れしているような、そんな純粋な願いだったことは間違いなかった。


 しかし殺人鬼である彼は、流石というべきか。

 こうして赤裸々に話しているように見せてはいても、本質的な話はほとんどしていない。

 なぜ時野舞白を知っているのか、なぜ時野舞白に会いたいのか、殺人鬼に近いもの同士が出会うと何が起きるのか。


 この時点で十五歳でしかない殺人鬼は、この四年後、それもまた偶然にはなるのだが、時野舞白との再会を果たすことになるわけで、しかしその時もまた直接的に出会うとは言い難いのが正直なところである。

 純粋な殺人鬼の片思いはなかなか実りの日を迎えそうには無いのだが、その日は確実に近づいていた。


 そんな殺人鬼と時野舞白の出会いは、白塔梢によって可能性を高めてもらったものであり、白塔呑荊棘によって託されたものでもあり、そして時間が流れ、靴谷氷花によって実現したものでもあるのだが、それはまだ後の話である。


 

 

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