第13話 決断
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劣等感はいい、最高だ。
無力感も挫折感も敗北感も悲壮感も不幸感も絶望感も、全て最高にいい言葉だ。
人は誰だって、愚劣に生きる権利を持っている。
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白塔梢と白塔呑荊棘は一般人である。
それは揺るがない事実としてあるわけで、どれだけ初木町偽恋が手練手管指導をしようと所詮は一般人なのだ。
白塔梢と白塔呑荊棘が初木町偽恋と行動を共にするようになって三日が過ぎた。
その間、双子に課せられた日課というのは、ひたすら武術の稽古だった。
これまでそんなことしたことのない二人にとって、たった三日と言えど、それは過酷としか言いようのないもので、復讐を果たす前にここで死んでしまうのではと不安になることもあった。
だが、双子は決して稽古から逃げなかった。
その時彼女らが費やしている時間が、何の役に立つのかは一切わからないけれど、それでも文句は言わなかった。
今回の復讐を掲げた自分たちに、それを成し遂げるだけの力がないことを潜在的に解っていたのかもしれない。
「おし、お嬢ちゃんたち、今日はここまでだ。たった三日とは言え全くの素人よりかはマシになったんじゃねぇか。俺は今から少し出てくる、何かあったらすぐに連絡してきな」
初木町偽恋は件の協力者のことを二人に話していない。
関わらせるべきではないと判断したからだろう。いくら殺し屋を生業にしていても、超えてはいけない線くらいは判断がつくのだ。この場合超えるのは初木町偽恋自身ではなく、この双子ということになるのだけれど。
「ったくよぉ、損な役回りだよなぁ」
「え?どうかしたんですか?」
白塔呑荊棘は、完全に伸びきって動かなくなっている姉の背中をさすりながら反応する。
身体能力は双子と言えど、それなりに差があるらしかった。
「んにゃ、なんでもねぇよ。とりあえず俺の方で、計画は進められるだけ進めておく。準備が出来次第直ぐ実行に移す、それまでは頭空っぽにして鍛えときなぁ。何かに備えるってのは大事なことなんだからよぉ」
そう言い残し、初木町偽恋は出ていった。
残された二人は、筋肉痛やら打撲やらでぼろぼろの身体を無理矢理起こし、稽古で汚れた床や壁の掃除をしていた。
「梢、あんたはもう少し寝てていいのに。こんなことする前にシャワー浴びて汗やら血やら流しておいで」
「むー、まだ三日しか経ってないのに。正直こんなことする予定はなかったんだよ。でも本職の人が必要って言うのなら、そうなんだろうね。偽恋さんは多分私たちが死なないように、できることをさせておこうって考えなんだと思うんだよ」
「れん兄からの紹介ってのも関係あるのかもね。その辺はれん兄に黙って踏み込むべきじゃないし、今はそれどころじゃないからどうしようもないんだけれどね」
白塔梢の中で、初木町偽恋は少なからず頼っていい存在になっていた。
白塔呑荊棘の中で、初木町偽恋はどこまで近づいていいのか、その距離感を測れずにいた。
二人にとっての復讐はまだは決まったばかりであり、九州に来てからは特に何の役にも立っていないのだ。
焦りや苛立ちもあっただろう。なぜなら、突然現れた殺し屋に言われるがまま身体を鍛えてはいるが、それで何が進んでいると言うわけではないのだから当然である。だがそれでも、初木町偽恋が二人をどうでもいいものとして扱っていないことは伝わっていた。
それが頼る理由であり、距離感を測れない理由だった。
そうして二人が掃除や風呂、夜ご飯の準備をしているうちに、初木町偽恋は帰ってきた。
全身を傷だらけにして。
「え!?だ、大丈夫ですかっ?梢!すぐタオルとお湯持ってきて」
「いい。見た目ほど傷は深くねぇ。それよりもすぐさま話しておきてぇことがある。おっと、死にそうな雑魚キャラが最後の言葉を託すシーンみたいになっちまったねぇ。くはは、安心しな。本当に傷自体は全く問題ねぇ」
一瞬、狼狽えた二人ではあったが、目の前の初木町偽恋が彼自身の言葉の通り命に関わるほどに弱っていないと判断してからは、落ち着いて彼の指示に従った。
「ふぅ、お嬢ちゃんたち驚かせてすまねぇな。ちょっとしたじゃれ合いだったんだがな。思ったよりも血ぃ流してたみたいだわ。まあ、それはさておき、だ。大事なのはそれじゃねぇ、良いニュースと悪いニュースが一つずつある、こういう場合俺は悪いニュースから話すことにしているんでな、聞いてもらうぜぇ」
二人は、目の前で血を流しながらも若干ハイになっている殺し屋の言葉を静かに待った。
「まず一つ、悪いニュースだ。とびっきり最悪の状況だ。お嬢ちゃんたちの復讐の対象である枠綿無禅だが、もうすでにこちらの動きに気づいている。おそらくお嬢ちゃんたちはマークされてたってとこだろうな。それも昨日今日の話じゃねぇ、これは俺の推察だがよ、お嬢ちゃんたちはもっと前からヤツに目をつけられてる。そうだな、六年くらい前からだろうな。それでも手を出してこなかったのは、お嬢ちゃんたちの周りはこれまでずっとがっちり守られてたからだろうよ。聞く限りにおいてそのひだまり園ってのは警察様の管轄だろ?そこにいるうちは手ぇ出せなかったんだろうなぁ。そして最悪なのはここからだ、時間がなくなった。ヤツは俺やお嬢ちゃんたちに始末屋を仕向けてきてやがる。こうなるとここからは何でもありだ、いつどこで襲われてもおかしくない訳だ。しかもそれは俺やお嬢ちゃんだけに収まるとは言い切れねぇ、ひだまり園っつったか?そこのガキどもも狙われてるかもしれねぇ。急展開ってやつはいつも決まって急に来やがる、くははぁ。お嬢ちゃんたち顔が怖いって、そんな顔で俺を睨んでも何も変わんねぇよ。もう始まっちまってる。さて気を取り直して良いニュースいってみようかぁ。さっきの話を聞いた後で混乱してるってことは見るまでもねぇんだが、それでも傾聴すべきだぜぇ。なぜなら『楽心教』の方は数日中に全て方がつく。今日の時点で既に一人捕らえてきた、事件に関わった可能性がある男をなぁ。それに俺みたいな殺し屋にとっちゃぁ、場が乱れてくれる程ありがたい。四の五の言わずに殺せる状況ってのは楽だからよぉ。さて、かなりざっくりと話したがここからはお嬢ちゃんたちのターンだぜぇ。質疑応答ってやつだ」
この話を聞いた二人が、この瞬間何を考えていたのかはわからないけれど、それでもわかっていることは二つある。
一つは、二人の復讐がいきなり動き出してしまったこと。しかも二人にとってかなり致命的な方向へと向かって。
そしてもう一つは、ここでの選択が全てを決めると言うことである。
質疑応答の機会をもらっても白塔梢は何も聞けなかった、この後に及んで怖気ついていたのかもしれない。
その機微を半身であり、妹である彼女だけが気付けた。だからここからは白塔呑荊棘と初木町偽恋の対話になる訳だが、それはこの二人が、否、この三人が面と向かって会話する最後の時間となる。
「私から、いいですか。まず一つ、ここから私たちがとるべき選択肢は何がありますか?とるべきというか、今のこの時点で残されている選択肢と表現したほうが正しいかもしれませんが」
「おっとぉ、お嬢ちゃんお前随分と賢いなぁ。鎌が気にかけるのも納得だなぁ。そうだな、あくまで俺の考えとして聞いてくれると助かるんだがよ、お嬢ちゃんたちの残されている選択肢は大きく分けて三つだ。もちろんそこからいくらでも分岐する、嫌と言うほど考えることもやることも多い状況には変わりないがなぁ。一つ目、このまま復讐を続けること。二つ目、ひだまり園のガキどもを守るための行動をとること。三つ目、全てを忘れて生きていくこと、だ」
「そ、そうですか。やはりその三つですか。時間がないとさっき言っていたのはここに私たちがいることも、もう既に知られているからですか?」
「いや、流石にそこはまだ少し余裕があると、言いてぇってのが正直なとこだな。ここは監視するとか尾行するなんてことができない場所だからな。だが直にバレるだろうなぁ、それにどれだけの猶予があるのかはわからねぇ。あと十日は大丈夫かもしれねぇし、二分後にはここに何人もの始末屋が押し寄せてくるかもしれねぇ。状況としてはそんなとこだ」
「では次です。『楽心教』の件が良いニュースというのをもう少し詳しくお願いします」
「くはは、いいねぇ。素人にしとくには勿体ねぇな、お嬢ちゃんこの件が片付いたらよ俺と組まないか?く、くはは。そんな顔すんじゃねぇよ、鎌のお気に入りに手ぇ付けたりはしねぇよ。そうだな、真面目に応えると、だ。『楽心教』には俺の知り合いが潜入してくれている。潜入というか蹂躙に近いんだがなぁ。つまり読んで字の如くの虱潰しってやつだな、その中でお嬢ちゃんたちの事件を知っているヤツや関わっていたヤツらを捕縛してもらってる。こっちが指定した場所に監禁してっから、必要なら拷問でも何でもしたらいい。今のところ一人だがな。つまりお嬢ちゃんたちが向く方向は絞りやすくなったってことだな、枠綿無禅にだけ集中すりゃいいってことだ」
白塔呑荊棘はしばらく黙って考える。
現実的な優先順位と、感情が決める優先順位のどちらを採るか。
「あ、あのっ呑荊棘、少しいい?私も一個聞きたいことがあるんだよ。ねぇ、偽恋さん。さっき示してくれた三つの選択肢なんだけれどね、それぞれの選択をした時の成功率ってのを偽恋さんの基準で教えてほしいんだよ」
「なかなかどうして、こっちのお嬢ちゃんもいいねぇ。ちゃんと冷静じゃねぇか。いいぜ、教えてやる。一つ目の継続策だが、これはほぼ百パーセント成功する。ただその時にお嬢ちゃんたちが何を失っているのかは、計り知れねぇがな。そして二つ目、防衛策だな。これはぶっちゃけ成功しない、理由は簡単だ。守る対象が多すぎる、なのにこちらの人員はこれだけ、殺し屋一人に女子大生二人だ。どう高く見積もっても不可能と言ってもいい。そして三つ目、絶縁策。これは希望的観測にはなるが半分成功して半分失敗するだろうなぁ。これも文字通りだ、お嬢ちゃんたちのどちらかを向こうに差し出す代わりに、もう一方には関わらないってのが落とし所だろうな」
「そ、そっか。じゃあやっぱり最初から選択肢は一つしかないんだよ。ね?呑荊棘」
「うん、私たちはもう退けない。退いて何かを失うというなら、退かずに何も失わない道を探す」
何も失いたくないから、前に進む。
何をも失わないために、前に進む。
それをドラマチックに表現することはおそらく可能だが、この二人がこれから歩む道はそんな甘いものではなく、非道に非道を掛け、悲劇の数だけ人が死ぬものなのだ。
自分の身に起きる悲劇は須く、他人にとって喜劇にしか成り得ないのだ。
二人で一つ。
一蓮托生。
一心同体。
そんな運命の中で生まれた復讐に、ハッピーエンドはない。
運命というものはいつでもそこにいて、自分勝手な舞台を創る。
そして踊り狂うそれらを嘲笑うのだ。
白塔梢と白塔呑荊棘は前に進む。
その先に自分たちの望むものがなかったとしても、彼女らはもう後に退くことはできない。
進むも地獄、退くも地獄。
白塔梢は生き残り、白塔呑荊棘は死んだ。
生き残った彼女は果たして、今を前向きに生きているのだろうか。
死んでしまった彼女は果たして、満足して死ぬことができたのだろうか。
何が正しくて、何が間違っていたのか。誰が正義で、誰が悪なのか。
二人が二人でいられる時間はもうあまり残されてはいない。
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