第12話 歯車

37

 人生にリセットは効かない。

 永遠に退屈なコンティニューがあるだけだ。


38

 「お前ら、死ぬぜ」

 

 白塔梢と白塔呑荊棘は一瞬何を言われたのかわからなかっただろう。

 この時二人は、その言葉をもう少し重く捉えるべきだった、もう少し真剣に思考するべきだった。

 一体二人は誰にその言葉を言われたのか、何を指してその言葉を向けられたのか。

 目の前の男の言う「お前ら」とは誰までを指しているのかを。

 だが、この時点でそれを二人に求めるのは些か無理難題なのかもしれない。

 そのことで二人を責める権利は誰にもないのだ。


 これは白塔梢と白塔呑荊棘、双子の物語だ。

 この物語では全ての因果が二人に収斂する。


 「私たちが死ぬ?それくらい覚悟してる」

 

 白塔呑荊棘はなんでもないことのように返した。

 今思えば虚勢だったのだろう。

 

 幼い頃から周りから一歩引いて存在していた彼女は、自然と人の感情を読み取る癖を身につけていた。それは姉である白塔梢のためでもあった。彼女の双子の姉は、社交性の塊のようだった。だが彼女はそれが姉の本当の姿ではないことを知っている、心の中でいつも戦う姉を知っている。

 それは白塔梢にとって処世術の一つだったし、そうすることで自分を守っていたのだと思う。だが白塔梢の中で、彼女の世界は整然と構築されていた。平たく言えば、異常なほどに確立された優先順位というやつだ。

 白塔梢にとってのひだまり園と、白塔呑荊棘にとってのひだまり園は家族という意味ではほとんど同じなのだが、白塔梢にとっての白塔呑荊棘と、白塔呑荊棘にとっての白塔梢ではお互いに対しての想いがまるで違っていた。

 食い違っているというわけではなかったし、それで今までやってこれたのだから、二人にとってその違いというものは、わざわざ口に出していうようなことではなかったのかもしれない。


 彼女にとって、双子の妹は何があっても一緒にいてくれる自分の半身のような存在だった。

 彼女にとって、双子の姉は何があっても守りたいと思える自分の半身のような存在だった。


 彼女はこれからもずっと一緒にいることを疑わない。

 彼女はこれから死ぬことさえも全く恐れていない。


 白塔呑荊棘は姉に守られてきたことを自覚していた。

 今となっては、とある件できっかけをもらい人付き合いも難なくこなせるようになったが、まだ幼い頃はそれができていなかった。否、それを必要な事と認識していなかった。

 自分たちの家族が殺されて、ひだまり園に連れてこられた頃もそれは変わらなかった。

 誰かと仲良くする必要性を感じなかった。姉さえいてくれればそれでいい。

 そんな彼女の代わりにみんなと繋がり続けてくれていた姉。

 その存在は、彼女を守り続けていた。

 だから、いざと言うとき白塔呑荊棘は躊躇わない。それまで自分の分まで前に出てくれていた姉を守るためなら、自分なんてどうなってもいい。自分が死んで、姉が生き残るならそれでいい。

 自分を守るために生き続けてくれた姉のためなら死んでやる、それが白塔呑荊棘の偽りのない気持ちだった。


 「わかってねぇな、お嬢ちゃん。俺が言いたいのは覚悟の話じゃねぇよ。まあそれでも覚悟ができてんなら、雇われただけの俺ごときが何を言っても仕方のねぇ事だわな。でもお嬢ちゃんたちの無理に付き合うつもりはねぇ、心中するつもりはねぇぜと、俺はここでしっかり伝えておくよ」


 初木町偽恋は、何か含みのある言い方をしたが二人はここでそれを紐解くことはしなかった。

 元々二人でやるつもりだった復讐なのだ、ここで不安になるのも不満を抱くのもお門違いというものだろう。


 「いい、別に。私たちは二人でもやるから。れん兄からの紹介だから無碍にはしないけれど、それでもあてにし過ぎるつもりは元々ないから」


 白塔呑荊棘は冷静に告げた。

 まだ確証は何もないが、目の前の男が本当に彼女らの兄の身内だとしたら、少なからずぞんざいに扱うべきではないと思ったのだろう。


 「いやいや、いやいやいやいやいやいやいやいや。すまんすまん、お嬢ちゃんたちを見限ったってことを言いたいわけじゃないんだ。そんな睨まないでくれよぉ、ははは。俺は殺し屋なんだよ、殺すことが仕事だ。だから当然殺されることを覚悟している。前提なんだよ、前提。だが殺し屋つっても基本は個人事業だ、中には組織として仕事を請負う連中もいるにはいるが、そういう奴らに依頼するのは一個人じゃ無理だな。おおっと脱線しちまったな、俺が言いてぇのはよ、殺し屋は一回殺して終わりじゃねぇってことだ。お前らは死ぬ覚悟があるっつってたが、それに俺を巻き込むなってことだ。お前らは今回のターゲットを殺して終わりなんだろうよ、運よくそこで死ねりゃ全て終わりにできるだろう、だが俺にとっちゃこれは何度も重ねてきた、何度も殺してきた仕事の一つに過ぎない。どんな仕事もどんな人間も、命あってこそなんだぜぇ。殺し屋の俺が言うんだ、いくつもの命を殺してきた俺が言ってるんだぜぇ」

 「えっと、ちょっといいかな?呑荊棘ごめんね、少し口を挟ませてもらうんだよ。偽恋さん、あなたが言いたいことっていうのは引き際のことですよね。死ぬことを前提にしている私たちと、殺されることを前提にしているあなたではそのラインが違う、と。その顔は合ってるってことで良いんですか?むーわかんないんだよ。でも私は続けるんだよ。つまりね偽恋さん、私たちが言いたいのはね、いや私が言いたいことはね、死ぬために復讐をしたいわけじゃないんだよ。これから先、前を見据えて生きていくための復讐なんだよ。もちろん現実的じゃないことはわかってる、可能性の話にしても発想の話にしても。でもこれ以上我慢できないんだよ、私たちのお父さんとお母さんを理不尽に殺した人間が普通に笑って生きていることを私はこれ以上看過できないんだよ」


 それは今にも消えてしまいそうな小さな告白だった。

 その声を、妹である白塔呑荊棘と殺し屋である初木町偽恋は黙って聞いていた。

 何年も何年も溜めてきた感情をゆっくりと、恐る恐る注いでいくかのような告白に妹と殺し屋がそれぞれ何を感じたのかは、わからない。だがそれは妹である白塔呑荊棘にとっては何度も聞いてきた彼女の本音として聞こえたのかもしれない。それは殺し屋である初木町偽恋にとってはよくある遺族の意見として辟易してしまっていたのかもしれない。


 そこで終わっておけばどんなによかったことか。

 そこで受け止め支えてあげられていればどんなによかったことか。

 そこで少女二人を諫めておけばどんなによかったことか。


 物語はすでに幕を開けている。

 舞台はすでに彼女たちを招いている。

 

 それに抗うことをしなかったことを悔いることは、もうできない。


39

 「はぁー、いよいよここからなんだよ呑荊棘。負けたくないんだよ」

 

 一旦話を切り上げた三人はそれぞれ自由時間としていた。

 

 「俺はちょっくら調べておきたいことがあるからよ、出かけてくるがお嬢ちゃんたちはこの家から出ないことをお勧めするぜぇ。なんか欲しいもんあるかい?無いのか、ふん、まあなんか思いついたらこの番号にかけてきな」


 初木町偽恋はそう言い残し、拠点を離れていた。

 それから、残された二人は家の中をゆっくりと検分し自分達の部屋を定め、荷物の整理をしていた。

 その部屋で二人は九州に来て初めて一息つけたのだった。


 「呑荊棘、私さ、これ全部終わったら何しようかなって最近よく考えるんだけどさ。人を殺した自分に何ができるのか、何にもわかんなくなっちゃったんだよ」

 「そういうの言わない方が良くないかな、すっごいフラグ立ってるよ。この後のことはこの後でゆっくり考えたらいいよ。それまでは目の前に集中して」

 「むー、呑荊棘はすぐそうやってー。でも確かにそうだね、これが終わらないと私たちは前に進めないんだよ。未来のために過去を精算しなきゃだね」


 二人は自分たちの復讐が始まったことを徐々に実感していた。殺し屋と名乗る男の言うことまとめておくと、彼女たちの復讐の対象は極めて遠いところにいて、さらに言えば実行犯である「楽心教」から事件に関与した人物を洗い出すことも含めてこれからやるべきことは山積みであり、それをこのメンバーで実現するのは果てしない道のりだそうだ。わかってはいたことだ。誰に言われるまでもなく、二人にとって、自分たちの復讐が簡単なものじゃないことはわかりきっているし、達成困難なことであることも十全に理解している。

 しかしだからと言って、諦めると言う選択肢は二人にはないのだけれど。


 その頃、初木町偽恋は人に会うため、歩いていた。

 目的はいろいろあった。

 

 例えば、「楽心教」に潜入して情報を探る人員の補充。

 例えば、枠綿無禅の動向を偵察する人員の補充。

 例えば、自分が動き回っている間に女の子二人を護衛する人員の補充。

 例えば、それら全てが整ったとしてターゲットを誘拐してくる人員の補充。

 例えば、過去のことを喋らせるための拷問のプロの招集。

 例えば、彼女たちの復讐の痕跡を消すための準備。

 

 初木町偽恋は、殺し屋である。

 そして、初木町鎌の父親でもある。

 何年も前に捨てた息子からいきなり連絡が来た時は、手の込んだ罠だと思っただろう。

 そもそも連絡が来るはずがないのだから。

 

 しかし、その連絡は本物だった、実の息子からの連絡で間違いなかった。丁寧に何重にも海外サーバーを経由して、足がつかない方法で送られてきたそのメールには簡単な自己紹介と仕事の依頼が記されていた。


 「初めまして、初木町偽恋さん。僕はあなたの息子の初木町鎌です。仕事の依頼をさせてください。内容は二人の女の子の護衛及び復讐の補佐」


 たったこれだけのメールで何がわかるのかは、一般人には想像もつかないところではあるのだけれど、この場にいる初木町偽恋はそれに該当しない。何度も言うが、彼は殺し屋なのだ。

 ほとんど直感に近いものだったようだ、このメールは無視できない、と。

 この後に及んで、今更父親面するつもりは全くないだろうが、それでも自分にたどり着いてみせた息子へのご褒美として依頼を受けることにしたのだ。

 しかしこの時、初木町偽恋はその時の直感を激しく呪っていた。


 「冗談じゃねぇよな、ったく。鎌の野郎、遠回しに俺を殺そうとでもしてるみたいだな、こりゃ。ふはは。笑えねぇな。チラッとお嬢ちゃんたちの話を聞いただけでも今回の仕事はやべぇ。なんちゃら教って宗教団体に潜入するくらいなら、訳はねぇが、その後ろがまずいなぁ、おい。よりによって枠綿無禅わくわたむぜんかよ。なんの因果かねぇ、この俺がこんな復讐に手を貸すことになるなんてなぁ。とにかく愚痴っても仕方がねぇ、人員の補充が最優先だが目立つわけにはいかん。理想は後五人、最低でも二人は欲しいとこだな」


 一人でぶつぶつ言いながら歩いていると、指定した場所に一人の老人がベンチに座り込んでいた。

 そして初木町偽恋は、躊躇うことなくその老人に近づいていき横に座った。


 「じいさん、何人か借りれるか。動けるヤツがいる、それとができるヤツも」

 「ふぉふぉ、なんじゃケツに火でもついたか。じゃがのぉ、今動かせるヤツはおらん。うちの管轄じゃないが一人ならなんとかならんこともない。名前も素性も何もわからんバケモノじゃ」

 「足元見てんじゃねぇよクソジジイ。それに俺個人が必要としてるわけじゃねぇよ。つかたったの一人か、まあわがまま言ってられる状況でもねぇ、動けんのか?そいつ」

 「動けるか動けないのかで言うと、動ける。わしやお前のクラスなんか足元にも及ばんほどにな」

 

 一瞬、初木町偽恋の顔が曇る。彼だって殺し屋になって短くないキャリアを築いている。

 仕事に関してはそれなりの矜持だって持っているし、技術としても全盛期にあると自負していた。

 その彼を持ってしても「足元にも及ばない」とは、流石に聞き流せない。


 「お、おい、おいおいそんなヤツが無名でいるってのか?俺らの業界でそこまでのヤツなんていたか?」

 「ふん、認めたくないのはわかる。わしだって納得はいかんかったよ、無名のくせにわしらよりも上の実力などと言われてもすぐに飲み込めるもんでもないじゃろうに。じゃがのぉ、そいつはあの街で育ったらしい。それを聞いただけでわしは比べることを辞めたよ」

 「マジかよ、実在すんのか?いや待て、そんなヤツをじいさんあんた紹介できんのかぁ?」

 「わしが直接関わりを持ってるわけじゃない。ただのぉ、わしの弟子がの、そいつを可愛がっておったんじゃよ。何年前じゃったかな、そいつは急にわしの前に現れての、その弟子の手首だけ持って来よったんじゃ、手首に着いておった腕時計ですぐにわかった。一言も会話はできんかった、口を開けばわしはその時点で殺されておったじゃろう。そして何も言わんまんまそいつはわしに手首を渡し、一枚のメモだけ残して行きよった」

 「••••••。」

 「なんてことはないメモじゃった、ただ一言。用があるなら流塵街に来い、じゃ」

 「じいさん、そいつは無しだ。危険すぎるし、何より得体が知れなさ過ぎる」

 「最後まで聞かんか、相変わらずじゃの。わしはもうこんな体じゃからの、代わりのもんを行かせたんじゃよ。そしたら一度だけこっちの仕事に付き合ってやると言われたらしいんじゃ。そして連絡手段も一応聞いてはおる」

 「なんだぁ?変に歯切れ悪いじゃないの、何を隠してる」

 「ふんっ、なんてことはないわ。ただその遣いに出した者はな、バラバラになって帰って来たってだけのことじゃ。おそらくはそいつではない何者かの仕業じゃろうがな」

 「あの街の誰かってことか?まあ、そりゃ災難なこったな。で、今回の件にそいつを推薦するってことかい?」

 「あぁ」


 初木町偽恋は葛藤する。

 本来なら関わり合いさえ持ちたくない相手である。碌な情報はまだ一つも得られていないのにも関わらず、この嫌悪感。だが自分たちの置かれている状況に必要なピースとしてはこれ以上ないのかも知れない。あくまで自分だけと接触できないようにしてしまえば、あの二人を変な縁に巻き込まずに済む。そこら辺はその相手もプロだろう、人外に自分のなかの常識が通用するのかは些か不安ではあるだろうが、やはりメリットにばかり目がいってしまっていた。

 時間にして、十一秒。

 その熟考が決定的だった。

 

 「わかった、じゃあじいさん、そいつと繋いでくれ」


 

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