第10話 終始
31
唯一なんていらない
無二なんて知らない
全ての絶望に救済を
32
時間を整えよう。
時間はいい。全ての事象に対して絶対的であるところがいい。
試験的な思考として相対性理論なるものがあるが、それは裏を返せば時間が絶対的であることを前提にしている。
過去も。
現在も。
未来も。
軸は違えど、時間は同じ。
過去に遡って思考するときに限り、一時間が六五分になる、なんてことはないのだ。
ただ、現実としての時間と経験としての時間には、確実に差異はある。
例えば、学校の授業が楽しい生徒とそうでない生徒の現実としての授業の時間は同じだろうけれど、その実、経験としての時間には圧倒的な差が生まれる。
例えば、恋人同士の男女がいたとして、会えない一日と共に過ごす一日は確固たる現実として同じ質量の時間であるけれど、当人たちにとっては果たしてそう言えるだろうか。
そして例えば、生きていると積極的に自らの所有する時間を肯定している人間と、そうすることができない、と言うよりそんなことを思考したことさえない人間の時間は果たして同一なのだろうか。
時間は絶対的な物差しでありながら、相対的である事実を孕んでいるところが最高に素晴らしい。
時間は無限だが、命は有限なのだ。
悲しいぐらいに当たり前の事実。
何度寝て起きてを繰り返そうが概念としての時間は動き続けるが、何度も寝て起きてを繰り返していると命は疲弊していく。摩耗していく。
命には「死ぬこと」がプログラムされている。
生まれた瞬間から「死」に向かって生きている。
生まれる前から「死」が確定している。
しかしそれは実際どうなのだろうか。
その事実を認知していない人間は流石にいないと思うのだけれど、自覚している人間は果たしてどれくらいいるのだろうか。そして一度そのことを決定的に自覚した人間は生きていけるにだろうか。生きていることを楽しめるのだろうか。
33
二〇一九年、春。
白塔梢は当時十九歳だった。
ひだまり園を無事卒業して妹の白塔呑荊棘と共に近所の私立大学に通っていた。
彼女たちの日常は平和と言ってなんの問題もなかったはずだった。
白塔梢は教師になるために、妹の呑荊棘はただなんとなく、それぞれ大学生活を満喫していた。
二人はひだまり園を卒業と同時に、靴谷氷花の紹介でマンションを借りてそこで一緒に生活していた。
場所はひだまり園から徒歩五分。
白塔梢は特に予定がない日にはひだまり園を訪れ、弟や妹たちと笑い合った。
白塔呑荊棘は訪れる回数こそ少なかったが、その時は決まってたくさんのお菓子とそれまでに誕生日を迎えた子たちへのプレゼントを持ってきた。
二人が揃ってひだまり園を訪れることは極々稀だった、大学生になって生活のリズムが別れたからとみんななんとなく納得していた。
二人にとっては、予定調和だった。
あるべき日常をきっちり消化していく作業。
誰にも悟られてはいけない。
誰も巻き込んではいけない。
彼女たちは復讐者なのだから。
彼女たちは平和を拒絶したのだから。
白塔梢がひだまり園に行く時は白塔呑荊棘が。
白塔呑荊棘がひだまり園に行く時は白塔梢が。
それぞれの役割を遂行するために動いた。
情報は集め終わっている、そう思っていたのだろう。それは二人の年齢や経験を踏まえて考えても仕様がないのだろう、知識や技術を持たない普通の子どもにそこまでを求めるのはやはり酷だったのだろう。
「見つけた」
その日は本当に突然きた。
妹であり半身である呑荊棘から唐突に告げられた。
「見つけた、父さんと母さんの仇。やっぱりあれは自殺なんかじゃない。私たちの親は殺されてる」
いつだったか二人はひだまり園にいる姉妹たちに自分達の過去を話したことがあった、ある事実を除いて。
それはひだまり園の家族を信頼していないとか、話す勇気がなかったとかそう言う理由ではなく、ただただ巻き込みたくなかったのだ。
白塔梢、当時十九歳。
双子の姉で、双子の優しい方で、双子の明るい方で、双子の表。
この頃も当然面倒見が良く、年下の子の世話を本当に楽しそうにしている。
高校時代は学級委員や生徒会長を務め、教師生徒問わず慕われていた。
それは大学でも変わらないようで、入学して一年が過ぎる頃、彼女のスマートフォンには千を超える友人たちの連絡先が登録されていた。
白塔呑荊棘、当時十九歳。
双子の妹で、双子の優しくない方で、双子の明るくない方で、双子の裏、とは言えなくなっていた。
転機は高校三年生になって間もない頃だった。彼女にとって大切な家族が亡くなったのだ。
そこで彼女が何を感じて、どういう経緯でそのような結果に至ったのかは誰にもわからないのだが、いや白塔梢以外には知る由もないのだが、その頃からの彼女は別人だった。
誰に対しても気さくに応じ、思わず見惚れてしまうほど優しく笑うようになった。
そこからの周りの反応はすごかった、双子揃って有名人になった。これは本人たちは知らないのだが、ファンクラブが構成されていたこともあるらしい。
大学では姉の梢に負けず劣らずの人気で、彼女の周りには常に人が集まる程だったとか。
そんな二人にはひだまり園に連れてこられた頃から変わらないものがあった。
譲れないもの、諦められないもの、夢見ているもの。
それは、両親を死に追いやった者たちへの復讐だった。
笑顔の裏で恨みを溜めた、優しさの裏で殺意を溜めた。
そんな生活を彼女たちは六年以上にも渡り続けてきた。
そしてその日々は急激に加速することになる。
「見つけたって?呑荊棘、ほんと?」
「うん、やっと尻尾を掴めた。れん兄には感謝だよ。ハッキングの仕方を知ってる人が身内にいて助かった」
白塔梢は少し緊張した面持ちで、次の言葉を待つ。
「梢、ここから先は本当に引き返せなくなる。誰も巻き込まないことはもちろん賛成だし、当たり前だとすら思ってるけれど、正直かなり博打に近いよ。成功したとしても私たちとひだまり園の関係は知られちゃまずいし、失敗したらひだまり園の全員を巻き込むことになる。私は自分が死ぬことは怖くない、復讐するためだけに生きてきたから。でも梢、私はねみんなを巻き込んでしまうかもしれない未来が怖い。ひょうか姉が守りたいって言ってくれたものを私たちの手で壊してしまうかもしれない未来がとてつもなく怖い」
それは白塔梢にとって最後の決断を意味していた。
そしてそれは白塔梢にとって、すでに答えは出ている問いでもあった。
「呑荊棘、私はやるんだよ。これまで笑ってこれたのは目標があったからなんだよ。自分に言い聞かせて言い聞かせて、絶対に許せない相手に報いを受けさせるって言い聞かせてきたから、私は自分を保てたんだよ。確かに呑荊棘が言う通り、みんなを巻き込むのは怖いんだよ。特に舞白ちゃん、あの子だけは巻き込みたくない。だから絶対に失敗はできない。それだけなんだよ」
白塔呑荊棘は、そっかと小さく頷いた。
「梢の意志はわかった。じゃあ説明するからね。私もまだ全てを把握できてるわけではないから所々推測になると思うけれど、その辺は話半分で聞いておいて。今後調べてわかったことがあったらその都度修正するから。まず最初に私たちの敵の正体から、そしてその所在、父さんと母さんとの関係、最後に復讐の手段って感じで話すから。じゃあ早速、私たちが敵として認識しなくてはならない存在は二つ。わかりやすく言うと実行犯とその黒幕。実行犯に関してはまだ詳しく絞りきれてないの。おおよその当たりはつけているんだけれど、候補が多くてね。でも黒幕は見つけた。元法務大臣の
「ふーん、なるほどなんだよ。外枠は大体わかったと思うんだよ。でもその前にどーーしても気になることがあるから先に聞いちゃっていいかな?」
「れん兄」
「だよね。うん、それしかないとは思ったけどさ。思いっきり巻き込んじゃってるじゃん」
白塔呑荊棘は、彼女にしては珍しく顔を真っ赤にして顔を伏せた。
「まあね、呑荊棘にハッキング教えてくれたのがそもそもれん兄だからさ、そうなるのもわからないでもないんだけどさ、どうするの?れん兄はどこまで知ってるの?」
「多分、全部わかってると思う。れん兄にハッキング教えてもらった時にそれとなく聞かれはしたんだよ、こんな技術何に使うのかって。でもその時からもうバレてはいたと思う、私たちはひだまり園にいた訳だからね。しばらくしてかられん兄から暗号化されたメールが届いてて、ちょっとしたテストか何かかなって思って必死で解析したらさ、その枠綿無禅って男の情報が添付されてた」
「んーれん兄ってそういうところあるんだよ。引き篭もってなかなか顔合わしてくれないのに、誰よりも首突っ込みたがるんだよ、まあそれでいてかなり優秀なところがミソなんだろうけどね」
初木町鎌はひだまり園においてかなり特殊な立ち位置にあった。成人した今もひだまり園で生活しており、ハッカーとしての腕を見込まれたのか、時折殻柳先生の知り合いの仕事を手伝っているらしかった。
「でもれん兄が協力してくれるのはありがたいよ。私の拙いハッキングじゃあ深いところまでは探れない。そこを請け負ってくれるなら、これ以上ないくらいの助っ人だよ」
白塔呑荊棘は初木町鎌という存在が、身内と呼ぶべき存在が既に介入している事実をポジティブに揉み消そうとしていた。
もし白塔呑荊棘が今もなお生きていて、この当時のことを振り返った時、彼女は間違いなくこの瞬間のことを後悔していただろう。やはり二人の復讐に誰かを巻き込むべきではなかったし、それが身内となればなおのこと。
結果的に、初木町鎌という存在のおかげで彼女たちは長年停滞していた復讐に取り掛かることができる訳なのだが、それはあくまで出発地点に立ったというだけのことで、あまりいい状況ではないことに二人はまだ気付けない。
彼女たちはそれからの日々をコツコツと準備に費やした。
情報が少ないという事実は否めなかったため、初木町鎌の協力に関しての危機感はすぐに消えてしまっていた。
それどころではなかったのだ。
白塔梢が先ほど言った通り、初木町鎌は優秀なのだ。六年前の事件をものすごい勢いで丸裸にしていった。
二人にはもう見えない。
二人にはもう戻れない。
すぐそばまで敵が近くに来ているというのに。
最初からわかってはいたことだったはずなのだ、敵は自分達よりもはるかにデカいことは。
二人はずっと苦しんできた。
二人はやっと生きる理由を見つけた。
だから二人は失敗する。
これ以上ないくらいに失敗する。
救いを求めることのできなかった双子の物語には、やはり救いはなかった。
強いて挙げることがあるのならば、それは白塔梢が生き残ったこと、そして白塔呑荊棘が死ぬことができたことだろう。
二人の復讐は、二人のもの。
二人の恨みは、二人のもの。
二人の傷は、二人のもの。
だが二人の願いは違ったのだろう。
その一点の差がその結果に繋がったのだろう。
白塔梢は生きたかった。
白塔呑荊棘は死にたかった。
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