第一章 双子

第9話 再会

29

 「夢って何だと思う?」

 「あ?現実の見たくないもんを隠してくれる便利な言葉だろ」

 「君って夢がないね」

 「現実が見えてねぇよりマシだよ」


30

 二〇二四年、初夏。

 某県某市、旧ひだまり園跡地。

 そこには一本のクチナシの木が白い花を咲かせていた。十年ほど前に植えられたその木は、ひだまり園がなくなった後もずっとここに立っている。

 まるで何かを守るように。

 まるで誰かを待っているかのように。

 ちなみに、クチナシの花言葉は「とても幸せです」らしい。

 

 そしてその木の前に人影が二つ。

 一人はパンツスタイルのスーツに身を纏い、伸びた髪を鬱陶しそうに後ろで縛っている。耳にはピアスの穴がいくつも開いていた跡があるが、彼女は一応刑事らしい。警察手帳をうちわのように使っている。

 もう一人は麦わら帽子を被っており、服装は花柄のワンピースでいかにも夏といった感じである。


 「毎年毎年飽きもせずに暑くなりやがって、これだから夏は嫌いだ。気がつけばアラサーってやつだよ、仕事に追われる日々に文句はねぇけどよ、お前らが若いまんまってのはやっぱ納得いかねぇ」

 「ひょうか姉、それ似たようなこと毎年言ってるんだよ。しかも春夏秋冬いつでも文句言うところまで一緒なんだよー。相変わらずだね、久しぶり」

 「おぅ、こずえも変わんねぇな。そんな子どもっぽいナリで高校の先生なんて出来てんのかよ」


 靴谷氷花と白塔梢。

 二人は特に約束してここで待ち合わせたわけではない。ただ、今日この日はここに来ることに決めていただけの話なのだ。二人にとって、いやひだまり園にとって特別な日だった。

 今は軽口を叩き合っているが二人ともここへ遊びにきたわけではない、二人の手にそれぞれ抱えられている花束がその理由を示していた。

 クチナシの木の根元に小さな墓標が六つ。


 二〇一七年、木旗六道、享年二十二歳。

 二〇一九年、白塔呑荊棘、享年十九歳。

 二〇一九年、冬藁瓦礫、享年十二歳。

 二〇一九年、矢火羽響、享年十歳。

 二〇二三年、殻柳潤、享年十二歳。

 二〇二三年、時野舞白、享年十八歳。


 二人は静かに花束をそれらの前に添える。返事はもちろん無い。


 「不思議なもんだよな、こいつらが死ななきゃならない理由なんてこれっぽっちもなかった。こいつらみんな精一杯生きてたろ。背負いきれねぇもん黙って背負って、理不尽な傷と向き合って、やっと少しづつ報われようとしてたのに。チッ、クソったれ」

 「ひょうか姉はやっぱり優しいんだよ。ひょうか姉がそうやって感情を剥き出しにして怒ってくれるから、私たちはそれに救われてたんだよ、励まされてたんだよ。いつもありがとなんだよ、ひょうか姉」


 靴谷氷花はずっと見てきた。

 ひだまり園に連れて来られた時からずっと。

 最初は壊す対象として、そしていつからか守るべき存在としてひだまり園を見てきた。

 彼女が警察官を目指すきっかけをくれたのもひだまり園の存在だった。理不尽な暴力から守りたい人たちがいる、傷ついた子たちが笑って生きる道を護りたいと強く思わせてくれた。

 

 白塔梢は知っている。

 ひだまり園が壊れていった全てを知っている。

 ひだまり園で過ごした日々がもう帰ってこないことも、彼女と仲良くしてくれた兄弟妹(きょうだい)たちの中には二度と会えない子がいることを知っている。


 「あたしはさ、ここに連れてこられた頃は本当にどうしようもないほど腐ってた。でも変えてもらった。いつだったかな、舞白がひだまり園にきて一ヶ月くらい経った頃だったと思うんだけどよ、あたしとよつるとお前とのばら、そして舞白の五人で過去のことを話したことがあったろ。あん時にも話したと思うんだがよ、あたしはここでお前やこいつらに会えたから今こうして生きていられてる。でもほんの少しだけ思っちまう、考えちまうんだよ。あの日過去を共有することさえしなかったらってな」

 「ひょうか姉••••••。それは違うんだよ、あの日私たちは舞白ちゃんの支えになりたくて話した。確かに何かが動き出した日を思い出すなら、それは間違いなく私たち五人が過去を打ち明け合った日だと思うんだよ。でもそれは誰かのせいとか、あの時こうしてたらとかこうしてなかったらとか、もうそういう次元の話じゃないんだよ、きっとね」


 だから大丈夫と、白塔梢は俯いたまま小さくこぼした。


 「ふん、まあその通りなんだろーよ。ここでいろんなことが起き始めた頃、あたしはもうここを出た後だったしな。できるだけ休みは顔出しに帰ってきてたつもりだったんだけどよ、一度出ちまうと今まで見えてたもんが見えなくなってた。踏み込めてたところに踏み込めなくなってた。でもこずえ、お前は違う。ちゃんと見て知ってるお前が言うならそうなんだろうな」

 

 白塔梢は応えなかった。

 

 「鎌と夜弦は今一緒に何かしてるっつったか?あたしはあんまり詳しくは知らねぇんだけどよ。もう家族を失うのは御免だ。こずえ、お前は何か知らないのかよ」

 「れん兄とよっちゃんが何をしてるのかは知ってるけど目的がハッキリしないんだよ。何でそんなことをしているのか何を求めているのか、それがわからないんだよ」

 「じゃあ、その目的はわからないままでもいいから、あいつらが連んで何してるか教えてくれ」

 「うん。二人は厳密には一緒に行動してるわけじゃないの。れん兄は相変わらず家に引き篭もって何かを調べてて、その報告を受けてよっちゃんがフィールドワークに向かうって感じだったんだよ。私も手伝うって言ったんだけどね、私にはもう危ないことして欲しくないからダメって怒られちゃったんだよ」

 

 靴谷氷花が知らないのは兎も角として、白塔梢にとってその事実は少なからずショックだった。

 歓迎されるとは流石に思っていなかっただろうけれど、拒絶されるとも思っていなかったのだ。

 そしてその事実はもう一つの事実を示している。確証はない、言質なんてひとつも取れていない。

 だが思い当たらないわけではなかった、初木町鎌と番貝夜弦が探しているものはひだまり園に関することなのだろう。もっと掘り下げてしまえば「死んだ誰か」のことなのかもしれないなと白塔梢は当たりをつけていた。

 

 そしてその推測は不幸にもまさにその通りであり、むしろそれしかないと言った具合だった。

 

 「なぁ、それってよこいつらに関わること調べてるんじゃねーか?」

 「えっ?ひょうか姉がものすごく鋭い勘を発揮しちゃったんだよ!そういうの今使っちゃって大丈夫?」

 「あぁ?こずえ、お前!絶対あとで殴る」


 靴谷氷花は刑事だ。頭を使うことは好きではないと本人は言うが、「好きではない」と「できない」は同義ではないのだ。彼女のキャラクターの影響でそう見られることは皆無に等しいのだけれど、彼女は基本的にかなり高スペックなのだ。運動神経はプロのアスリート並みにあるし、何と言っても彼女の素性を明かす上で必須項目と言っていいほどに際立っているのはその頭の良さなのであった。

 普段は面倒くさがってなかなかその片鱗を見る機会はないようなのだが、家族のこととなると話は別だった。

 彼女自身が持つ全てを使う覚悟が靴谷氷花の中には、確かに存在した。


 「あーつまりあれか、鎌と夜弦は何かを見たのか、それとも何かを知っちまったのか、そこんとこはわからねぇがその何かがこずえに関することってことだろ。はぁなるほどね、そういうことか。おっけ、何となくわかった。あの二人が探してるもんもおおよそだが見当はついた。チッ。まあ確かにあの二人ならお前を守るために関わらせはしないだろうよ」

 「ちょ、ちょっと待ってよひょうか姉。ものすごく意外な一面を見れてとても驚いているんだけれど、それよりもわかったの?あの二人が何をしているのか」


 直後、白塔梢の頭部に勢いよく拳が振り下ろされ、齢二十四の女性の悲鳴とは思えないほどの絶叫が響いた。


 「ったく、お前はあたしを何だと思ってんだよ。あの頃だって誰がお前らの勉強の面倒見てたと思ってんだ」

 「ひょうか姉こそ私の頭を何だと思ってるのさ!血出てない?割れてない?むー、せっかく真剣に話してるのに」

 「そんな簡単に人の頭は割れねぇよ。真剣に話してんのはあたしだ、バカ。ちゃんと心して聞いてろ」

 「ハッ!かしこまりましたなんだよ!」


 面倒くさそうにタバコに火をつける靴谷氷花、元気よく敬礼の真似事をしてさらに靴谷氷花を怒らせていく白塔梢。

 なんだかんだいいコンビである。


 「まぁ、細かいことはこれから詰めていくとしてだ。前提として、先に言っておくぞこずえ。あたしも基本的にはれんたちに同意だ、お前はここから先関わるべきじゃねぇよ。危険すぎる」

 「ひょうか姉。見縊らないで、私はもう守ってもらってばっかりは嫌なんだよ。ひだまり園にきた頃からずっと私は守ってもらってばっかりだった。五年前もそう」

 「あれはお前がどうこう思うことじゃねぇ」

 「ううん、違うんだよ。五年前、呑荊棘やがっくん、ひーくんが死んだのは私のせい。みんな私のことを庇って死んだんだよ。いや正確には殺されたんだよ」


 靴谷氷花は舌打ちをして、六つの墓標に目を向けた。

 白塔梢はそんな彼女を優しく見つめ、さらに続ける。


 「世間的にはただの不運な事故。子どもが歩いてるところに居眠り運転の車が突っ込んできた。でも私は知ってる、だってあの日あの場所には私もいたから」

 「はぁ?でもあの時あたしが会いに来た時そんなこと一言も言ってなかったろ。なんでか知らねぇが当時あたしはその事故に触れることを禁じられてた。身内の事故や事件には原則関われねぇのは知ってたからよ、だからこそ直接ここに来て事情を聞きに来たってのに。そりゃお前の様子も気になってたしな」


 白塔梢は申し訳なさそうに俯く。

 それだけで、靴谷氷花には伝わる。伝わってしまう。


 「つまり、警察が絡んでたってことか?」


 白塔梢の方がほんの少し震えた。

 それを見逃すほど靴谷氷花は愚かではなかった。


 「前言撤回だ、こずえ。お前あたしと組め。鎌と夜弦があっちを嗅ぎ回ってくれるなら、あたしたちはこっちの事件を追いかける。どうだ?」

 「組めって••••••。それにれん兄とよっちゃんが調べてることって?それにこっちって何?一個ずつ説明してほしいんだよ」

 「少しはお前も頭を使えよ、高校教師。鎌たちが嗅ぎ回ってんのはおそらく舞白の件だ。お前がさっき言っていたことを踏まえて考えても、そう考えるのが一番しっくりくる。あとお前そのキョトンとした顔やめろ、殴りたくなるから。まあ話戻すぞ。一つずつ説明してやっから一回で理解しろよ。そもそも鎌と夜弦が動き出したのがここ最近の話だろ?きっかけがなんにしろこのタイミングで動くっていうなら五年前の件じゃなく一年前の方だろうよ。ぶっちゃけ九割は勘だけどよ。あ、その顔やめろっつったよな。おいで、殴ったげるから。冗談だよ、進めるぞ。その勘に根拠をくれたのはお前の発言だよ。五年前の件、誰にも言ってないだろ、お前。ふん、だろうな、白塔梢はそういうやつだよ。それにあの頃のお前にはもう呑荊棘はいなかった。五年前の事故が事故じゃないってのは、おそらく鎌たちも知らないことだろうよ。ひだまり園は良くも悪くもそういう場所だからな。ってことになるとあいつらが知りたいことは限られてくるっつーか、それしか残らねぇ。殻柳潤が死んだ理由と時野舞白の所在だな。あいつらは舞白を追ってる、舞白が生きてることに疑いがねぇんだろ。いや死んじまったって信じてねぇってのが正しいのかもな。だったら舞白のことは一旦あいつらに任せる。あたしらは五年前の件を探るぞ。組めっつったのはそういうことだ。警察がその事件に絡んでるなら間違いなくろくな絡み方してねぇだろうな。だからあたしも基本は単独で動く、警察内部に探りを入れられんのはあたしだけだ。そういうのはあたしがやるから、梢にはサポートしてもらいてぇ。んー違えな、サポートなんかどうでもいい。そりゃあったら助かるだろうけどよ、そうじゃない。あたしが言いたいのは、そういうことじゃない。梢、お前この事件のことちゃんと見届けろ。呑荊棘たちが事故で死んだんじゃないなら、そこにはなんらかの意図があって、お前はそれを知っているんだろ。手を貸せ梢、そしてあたしはお前に手を貸してやる」


 二〇二四年、初夏。

 某県某市、旧ひだまり園跡地。


 この瞬間、靴谷氷花は何かを決意した

 そして、白塔梢は妹たちの仇を討たんと静かに微笑んだ。

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