第6話 無題(鬼)
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「月が綺麗ですね」
「最期の言葉はもう済んだかい?」
22
名前なんてただの記号でしかない。
だからこの少年にしても、名前なんてものに愛着などないし、他人のものに対してとなるとさらにどうでもいい。
殺すか殺されるか。
たったそれだけ。
誰を殺そうが特に意味はない。
誰に殺されようが特に意味はない。
「はあ、暇だな。腹も減ったしなんか食べに行くとしようか。にしても相変わらずというか、毎日見てるからか知らんが、ここは終わってるなぁ」
流塵街。
裏とか表とか、闇だとか影だとか言われる世界のさらに深いところに位置する街。
異質の中の異質どもが最後に流れ着く街。
そんな街で生まれ生き続けていることの異質さ、異常さはここに極まれりといった具合であった。
少年はいつも通り気だるそうに、流塵街を歩く。
誰ともすれ違うこともなく、誰にも殺されることもなく。
「ここにも普通に飯屋とかショッピングモールとか立てて欲しいもんだよ。ま、できたとしても来る客は当然として、働く奴もいないだろうけれど。いたとしてもまともじゃない。はぁ、全く嫌になるよなぁ。なんで飯食うためだけにこんなに歩かなくちゃいけないのかねぇ」
一人愚痴りながら歩く少年は、特に目的地もなく歩く。
周りに人気はない。人っ子一人として見当たらない。はずだった。
「よう、ガキ。お前この辺りで有名なんだろ?」
突然といえば突然だった。
少年の視界に生きている人間はいなかったはずだった。
それがいきなり現れた。だからといって、別にどうということでもないのだけれど。
「無視か。まぁいいや。俺も今日からここの世話んなることになった。流塵街っつったっけ?しばらくの間身を隠れさすにはもってこいだよなぁ。でもよ、ここに来る前面白い話を聞いてよぉ」
少年は突如現れた男など気にも留めず、歩く。
その男の失敗は少年の進行方向に現れてしまったことだろう。いや、そもそも少年に声をかけるべきではなかった。仮に相手が少年でなかったとしても、ここは流塵街、会話は成立しない。もっと現実的な説教をこの男にするとするならば、ここに来るべきではなかった。殺すことを前提に生きている存在のことをもっと警戒すべきだった。この男の言うところの面白い話とやらがどんなものかはわからないけれど、こんな場所で「有名」である存在に関わるべきではなかった。そしてそれらのミスを全てコンプリートできる才能を持ち合わせているこの男は、もしかしたら生まれてくるべきではなかったのかもしれない。
「お前、こんなところにいるくせに実はっーーーーーー」
一瞬だった。
少年が男の横を通り過ぎる。たったそれだけ。
たったそれだけの一瞬で、男の時間は一切停止していた。
命を根こそぎ刈り取られ、時間の全てを剥奪され、未来の一欠片さえ粉微塵にされ、血も肉も余すところなく殺されていた。
「ん?あれ?これ、もしかしてまたやっちゃった?はぁ、つくづく嫌になるよ。飯食いに出ればこれだよ。つか、誰だよこいつ。勝手に俺なんかに殺されてんじゃねぇよ。迷惑極まりないよな、ほんと。殺しちまう俺の気持ちも考えてほしいもんだよなぁ」
そう言ってふと足を停める少年。
もう二度と生命としての活動が期待できない血肉の塊に対して、少年は心底迷惑そうに語りかける。
「ま、殺しちまったもんは生き返らないし、こんな場所で殺されても文句なんてないだろ。はぁ何食おうかなぁ。あ、そうだ」
思い出したように少年はそれに近づいていく。
自分で殺したそれに。
そして徐に何かを探して、すぐに見つける。
ついさっきまで生きていた男のものであろう、財布だった。
「んー、そんなに入ってねぇな。ま、飯代くらいは余裕であるか」
普通に強盗殺人だった。
ここで少年に対して、一匹の殺人鬼に対して、世の道徳の一環として説教を行える人間がいたらいくらかマシだっただろう。いや、その場合説教が始まる前に死体が増えるだけだろうけれど。
少年は殺人鬼である。
自称でも通称でもなく、ただ燦然たる事実としてそうなのである。
少年の殺人には理由と呼べるものが欠落している。
腹が減ったから殺す。目が覚めたから殺す。背中が痒いから殺す。雨が降ってきたから殺す。風が鬱陶しいから殺す。話が面白かったから殺す。仲良くなりたいから殺す。本が読みたいから殺す。散歩がしたいから殺す。視界に入ったから殺す。声が聞こえたから殺す。楽しかったから殺す。嬉しかったから殺す。悲しかったから殺す。寂しかったから殺す。殺したくなかったから殺す。生きていて欲しかったから殺す。ただ、なんとなく、理由は思いつかないけれど殺す。
23
少年は殺人鬼であると同時に、十九歳の青年という側面も持ち合わせている。
外見は普通の好青年と言ってもいい。この場合、「普通」とやらの定義をまずは論じるべきなのだろうけれど、少年のことを語るにあたり、そんなことに時間を使ってる場合はミクロほども存在していないためここでは割愛させていただく。
とは言っても、「外見は普通です」なんて説明ではイメージのしようがないので、大雑把にではあるが彼の外見の詳細を開示していくことにする。
少年。殺人鬼。性別は男。十九歳。
身長は一,七メートル前後。髪は真っ黒で、髪型はそれなりに気を遣っているのかパーマをあてていて、長さはミディアムより少し長め。顔つきはやや幼めに見える。整った顔つきは母親似らしいのだが、この言い回しは、少年の母親を知っているものがそもそも存在していないためあまり意味のない表現となってしまう。
ファッションはそれこそなんの捻りもなく、どこにでもいそうな格好と言っていいだろう。
当たり障りのないロングTシャツに、黒の無地のジップパーカーを羽織り、下は黒のスキニー。ちなみに靴はどこのブランドかは不明だが真っ白のスニーカーを履いている。
ただ、それはあくまで客観的に少年の外見を記述したに過ぎず、少年の羽織るジップパーカーに合計十二本のナイフが装備されていることなんて、一見しただけではわからない。何を隠そう、もしも少年のことを全身隈なく身体検査できる機会があったとして、その時に露見するナイフの数は三十を軽く超えるだろう。
忘れてはいけない。少年は殺人鬼なのだ。
人殺しでもなく、殺人犯でもなく、殺人狂でもなく、一匹の殺人鬼。
流塵街の住人。
何度も記述している通り、流塵街そのものがすでに異質すぎる存在なのだが、この少年は流塵街においてすら最も逸脱した存在と言えるだろう。
そんな逸脱した少年が、そんな踏み外してしまった殺人鬼が、この瞬間鼻歌混じりで歩いているのは、とある大学の校内だった。
こんな存在が、こんな殺意が、こんな鬼が、普通に大学内を歩いている。
少年の狙いは、少年の目の前を歩く女の子、ではもちろんなく、普通に当たり前のように学食に唐揚げ定食を食べに来ていただけだった。さっき「拾った財布」の中身で普通にご飯を食べていた。
これは本編とはなんら関係のない物語であり、だからこそこの物語にタイトルなんて仰々しいものも当然つかないのだが、時系列や登場人物だけでも開示しておくとしよう。
そうすることで何かがどうにかなるかと言われると答えに困るところではあるのだけれど、そうすることに何の意味も伏線も内在していないかもしれないけれど。
この瞬間、一匹の殺人鬼が某県の私立大学の学食で唐揚げ定食を食べているこの瞬間は、二〇二二年某月某日。
季節は春。タイミングとしてはこれ以上ないほどに最悪だった。
二〇一三年、時野舞白を除く四十人、九つの一家が皆殺しにされた事件から九年と十七日の時間が過ぎたタイミング。その日少年が流塵街で誰のことも殺さず、もっと言えば流塵街から出ていなければこうはならなかったかもしれない。それどころか、数年前に殺された少年の知り合いであるところの自称善良な殺し屋との会話がなかったらこんなことにはならなかったのかもしれない。何を言っても仕方のないことではあるが、それでも大袈裟にこの瞬間に何らかの意味をこじつけるならば、今日この日この瞬間から少年の人生は決定的に失敗することが確定したのだ。
そんなことなど全く予見できるはずもなく、少年は呑気に唐揚げ定食のご飯をおかわりしに行こうと席を立とうとしていた。実はこの少年、この大学には何度も来ていて、その都度学食で飯にありついているわけだが、大学というところにおいてたった一人の正体不明の殺人鬼が混じったところで誰も気付かないし、気にも留めないのである。
そんな少年だからだろうか、いや決してそんなわけはないのだが、その日学内に見慣れない存在がちらほらいることにはすぐに気がついていた。
オープンキャンパス、高校生が自分の志望する大学を訪れ、その雰囲気を知り、そこに通う自分に思いを馳せ、奮起して勉学に励むための催し。そんなものを少年が知っていたかどうかは定かではないが、知っていたところで少年はここに来ていただろうし、知っていようと知らなかろうともう遅い。因果は始まっている。「縁が合って」しまっている。
殺人鬼は食べ終わったトレイを返却棚に持っていき、学食を出る。
その刹那、殺人鬼をしても驚かざるを得ないものを目の当たりにする。
二人組の女の子だった。高校生だろう、二人とも同じ制服を着ている。
「あ、ここじゃん。学食!やっと着いた、大学って広すぎー。ほら、早く入ろうよ舞白」
「••••••。」
一人は初めての大学に辟易した様子で、もう一人の友人に学食へ入ることを促していた。
そして「舞白」と呼ばれ、無言でそれに従い今まさに、殺人鬼の横を通り学食へ入らんとする少女。
殺人鬼が驚いたのは、学食を出ていきなり女の子に出くわしたからでは、当然ない。
殺人鬼が驚いたのは、殺人鬼が目を奪われてしまったのは、「舞白」と呼ばれた女の子から自分と似た匂いを感じ取ったからである。以前彼女と会った時とは比べ物にならない。
殺人鬼と同じ匂いなどと甘い表現では足りない。相似ではなく合同。類似でなく均一。
十九年生きてきた殺人鬼は、改めて初めて出会ったのだ。
自分と同じステージに立つ存在を。
その存在をして、学生生活を継続し続けているのだとすると、殺人鬼である少年をしても理解できなかった。
どうしてそんな殺意を身体に溜めて、身体から溢れさせたまま人間関係を構築できているのか。そんなに決定的に確定している存在のくせに、どうして「そっち側」にいられるのか。
二人を見送った後も、殺人鬼は動けなかった。
知らないうちに殺人鬼に見送られた後も、舞白は話さなかった。
二〇二二年某月某日。季節、春。時野舞白、十八歳。殺人鬼、十九歳。
場所、某県の私立大学。
「何だよ、やっぱりまた会えたじゃねぇか」
物語はまだ始まらない。
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