第5話 入園

17

 これからなんてありません。

 これまですらありません。


 今なんてものは尚更ありえません。


18

 ひだまり園での生活は一言でいえば楽しかった。

 そこで生活する子どもたちを便宜上兄弟姉妹と呼称するならば、兄のおかげで悩み方が少しだけわかった気がする。姉のおかげで怒りや恨みを昇華する方法が少しだけわかった気がする。弟のおかげで笑い方を少しだけ思い出せた気がする。妹のおかげで自分はここにいてもいいと少しだけ思えた気がする。


 私がこのひだまり園にきて一ヶ月が経とうとしていた。

 流石にみんなの顔と名前は覚えることができた。


 木旗六道きばたろくみち、みっちー。十八歳。

 ひだまり園の長男的存在。綺麗に整えられた短髪と溌剌とした性格も相まって、ムードメーカーのような存在でもある。ひだまり園からそう遠くないところに位置する純生学院高等部に通っている。学年は三年生。

 ひだまり園でのトラブルはほとんど彼が解決してくれる。斯くいう私もここに来て日は浅いがすでに何度も助けられていた。細かくは説明しないが、私がみんなと円滑に話せるよう場を設けたり、仲介したりしてくれたのが彼なのだ。

 彼がここにきた理由は、まだ教えてもらえていない。


 靴谷氷花くつたにひょうか、ひょうか姉。十七歳。

 私を含めた十一人の中で一番の古株で、ひだまり園のボス的存在。明るく染められた髪と両耳に十分すぎるほどのピアスを飾っており、有り体に言えばヤンキーにしか見えない。みっちー兄さんと同じ高校の三年生。

 彼女はいつも不機嫌そうにしているが、小さい子が甘えると構ってくれる。なんだかんだと文句を言いながらも優しい彼女は、実はかなり慕われている。

 彼女がここにきた理由は、私と同じだそうだ。

 両親、兄妹を殺されている。

 

 初木町鎌はつきまちれん、れん兄。十五歳。

 彼とは、私が初めてここにきた日に少し話したっきりだった。おとなしい性格でコミュニケーションを他人ととることがあまり好きではないように見える。学校も休みがちらしいのだが、そういう日は部屋から一切出てこない為、私はまだ彼の名前くらいしか知らないのだ。聞いたところでは前述の二人と同じ高校に今年入学したらしい。

 彼がここにきた理由は、一言で言うと不明だそうだ。殻柳先生ですら知らないとのことで、彼の過去に何があったのかは、彼以外誰も知らない。


 番貝夜弦ばんがいよつる、よっちゃん。十四歳。

 彼女は、一番私のことを気にかけてくれている。と言うのも常に横に来るからで、ありがた迷惑どころか、たまに恐怖さえ感じるのだけれど、悪意があってそうしているわけではないことくらいはわかってきた。彼女は純生学院の中等部に所属している。一ヶ月間ほぼ毎日彼女の横にいて、正しくは彼女が横にいてわかったことだが、彼女の中にはもう一人いる。解離性同一性障害と呼ぶらしいのだが、簡単に言うと多重人格というやつだ。そしてもう一人の彼女は自身のことを、「ぎん」と名乗っていた。ひだまり園のみんなは「ぎん」のことも当たり前に受け入れていて、それぞれを正しく見分けた上で接していた。心配性でお節介なよっちゃんとぶっきらぼうだが姉御肌な「ぎん」。

 彼女が、彼女たちがここにきた理由は、やはり両親を殺されたかららしい。


 白塔梢はくとうこずえ、こずえ姉。十三歳。

 彼女は双子の姉で、双子の優しい方で、双子の明るい方で、双子の表だった。

 面倒見が良くて、小さい子たちの世話をニコニコしながらやっている。その中に当時の私も含まれていたこともあって、未だに彼女には頭が上がらないというか、本能的に敵わないと感じている。

 純正学院中等部所属、学年は二年生。

 クラスでは委員長を務め上げ、今年は生徒会にも立候補すると息巻いている。

 誰とでも仲良くなれる性格なのか、休日は必ずどこかに出かけている。毎回違う友だちと、だそうだ。


 白塔呑荊棘はくとうのばら、のばら姉。十三歳。

  彼女は双子の妹で、双子の優しくない方で、双子の明るくない方で、双子の裏だった。

  誰に対しても深入りせず、あまり笑っているところを見たことがない。彼女にしても私にだけは言われたくないだろうけれど。直接話したことはそれなりにあるが、ほぼ全ての会話は一言で切られてしまう。うんとか、そうだねとか。普段から口数が極端に少ない彼女だが、そんな彼女にも口数が多くなる瞬間があった。その瞬間こそが私が彼女を指して、双子の優しくない方なんて評価を下すきっかけになったのだが、彼女は他人を批評するときだけはとにかく喋るのだ。こうして文字で説明する限りでは伝わりにくいかもしれないが、本当に延々と喋っていた。一人で。

 そんな双子がここにきた理由は、両親の自殺だそうだ。


 冬藁瓦礫ふゆわらがれき、がっくん。六歳。

 イタズラ好きのヤンチャ小僧。とにかく落ち着きがなくていつもひょうか姉に怒鳴られながら追いかけ回されている。本人が一番楽しそうなのでみんなもさほど気にしている様子はなく、その追いかけっこは日常の風景になっていた。しかしそれはそれとして、私が一番距離を置いているのがこの子である。どうしても連想してしまうのだ。どうしても重ねてしまうのだ。弟と。弟を連想することで救われた私は、同様に弟を連想することで事件を思い出し苦しんでいるのもまた事実だった。

 でも可愛い子なのはわかるのだが、私にはまだそういったものを受け入れる余裕がなかったのだと思う。

 この子がここにきた理由は、この子がまだ赤ちゃんの頃、警察署の前に捨てられていたかららしい。身体中に爆弾を巻かれた状態で。


 森伏心もりふせこころ、こころちゃん。四歳。

 一歳にも満たない頃にここに連れてこられたらしく、自身がどうしてここにいるのかも、何に巻き込まれてここに辿り着いたのかもわかっていない様子だった。この子はおままごとに熱中しているらしく、私を含めた女子全員とおままごとをするため毎日奮闘していた。もちろん頑なに参加しない誰かさんのおかげでその目標はなかなか達成できそうにないらしいのだが。その頑におままごとに参加しようとしない誰かさんは、代わりと言えるか怪しいところではあるのだが、お化粧を教えてあげていた。ひょうか姉にどんな狙いがあったのかはわからないけれど、大人の真似をするのが大好きなこの年頃の女の子には効果は絶大だった。

 この子がここにきた理由は、育児放棄だそうだ。ただこの子を育てることを放棄した人物があまりにも大物すぎて表沙汰にできなかったためここに連れてこられたとのことだった。


 矢火羽響やかばねひびき、ひーくん。四歳。

 がっくんと共にひだまり園をいつも駆け回っている元気な子。私に対して一番早く順応したのがこの子だった。どこまで踏み込んでいいのか、それを誰よりも早く正確に測ってみせたのだ。天性のものなのだろうけれど、人の表情を読み取るのがとても上手な子だった。だからなのか定かではないけれど、れん兄ものばら姉もこの子のことだけは簡単に受け入れているようだった。まだまだ元気盛りということもあり、遊ぶことに必死なように見えるが時折私なんかよりも遥かに大人びて見える瞬間がある。それが何を意味しているのかはわからないけれど。

 この子がここに来た理由は、殻柳先生しか知らないらしかった。この子自身が黙っている様子もなかったので、おそらくそういうことなのだろう。


 殻柳潤からやなぎじゅん、じゅんちゃん。二歳。

 殻柳先生の子どもらしいのだが、殻柳先生は結婚もしていないし、恋人らしい人もいなかったようなので出自は不明だそうだ。さらに言えば、妊娠していたなんて事実もないわけで。この辺のことはみっちーとひょうか姉が話しているのを聞いたので本当なのだろう。じゅんちゃんはいつも殻柳先生にべったりで、殻柳先生がどういうふうに思っているのか、どういうふうに考えているのかはわからないけれど、少なくとも第三者の目を通して見る限り、じゅんちゃんは殻柳先生のことを本当にお母さんだと思っているように見える。

 この子がここに来た理由は、やはりわからない。


 この十人に私と殻柳先生を入れた十二人がひだまり園で生活しているわけだが、いかに警察の管理下にあってその秘匿性が強かろうと、招かれざる客というものは現れるようだった。


19

 招かれざる客。

 お呼びでない存在。

 ひだまり園に長くいるみっちーやひょうか姉からすると、「あぁまた来たのか」くらいの感想しか出てこないらしいのだけれど、私は言わずもがなそんな落ち着いた反応などできるはずもなかった。


 「先月起きた連続無差別一家殺人事件について聞きたいことがあるんだけれど、少しいいかな?」

 「時野舞白ちゃんですよね、急に訪ねてごめんなさいね。私たち被害者の会を代表してきたのだけれど少しお話聞かせてもらえないかしら?」

 「犯人と会ったそうですが、何か言葉を交わしたりしたのでしょうか?」


 ある日、ひだまり園の前に数人の大人が待ち構えていて、私の姿を確認するや否や怒涛の勢いで囲まれた。

 ある人はスマートフォンを私に向けていて、またある人は手にマイクを携えて、そしてある人は大きなカメラを構えて。

 私は「真実を求める大人たち」に囲まれた。


 ただなんとなく近くの駄菓子屋さんにお菓子を買いに行こうとしただけなのに。

 私を取り囲む大人たちは我先にと聞きたいことを好き勝手聞いてくる。

 あの日嫌というほど感じた恐怖とは全く意味を別する恐怖。

 知らない大人が、私の心になんの遠慮もなく、配慮もなく、考慮もなく、深慮もなく、顧慮もなく、熟慮もなく踏み込んでくる恐怖は形容しがたいのだけれど、そんなことは彼らからしたら関係のないことのようだった。


 「時野舞白ちゃん、犯人は未だに逃亡中とのことですが、そのことについて何か思うことはありますか?」

 「ちょっと、そういうことをこんなに小さい子に聞いてどうするんです?これだから記者という人は、ろくでもありませんね」

 「いやいやお宅らも被害者の会とか言って寄付金の使い道は人に言えないようなことに使ってるって有名ですよ?」


 そんなこと、そんなもの、全て等しくどうでもいい。

 

 私は頭で考えていることの一欠片さえ口から出てこないほどの戸惑いと恐怖に打ちのめされた。

 ひと月前は明確な悪意と好奇心によって。

 そして今日は偏った正義感と使命と、また好奇心によって。


 私はこの日を境に「大人」と呼ばれる人たちに恐怖し続けることになる。

 大人の言う「みんなのため」が嫌い。大人の言う「あなたのため」が嫌い。大人の言う「平和のため」が嫌い。大人の言う「常識」が嫌い。大人の言う「普通」が嫌い。大人の言う「正義」が嫌い。大人の言う「絶対」が嫌い。


 嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。


 私なんかより長い時間を生きてきている大人の皆さん。

 私の声を聞くために、私の心を壊す必要があったのでしょうか。


 私よりも聡明であられる大人の皆さん。

 私は事件に巻き込まれたと言う理由で、これからもあなた方の会話のネタになるよう言葉を紡いでいく必要があるのでしょうか。


 放っといて欲しいと思うのは、何か不義理になるのでしょうか。

 自分の足で人生を進むことすら怪しいのに、あなたたち大人の掲げる正義に振り回されるのは仕方のないことなのでしょうか。


 誰か、教えてください。

 私はこれから先も「事件の生き残り」と言う肩書きで、生きていかなくてはいけないのでしょうか。


 誰か、教えてください。

 一人で生きる能力なんて全くない子どもは、一体誰の言葉を信じればいいのでしょうか。

 私のことを大して知りもしないくせに好き勝手好き放題言えるのは、私が弱いからですか。

 それとも、関係ないという事実はそんなにも自身を強くしてくれるのでしょうか。


 あなたたちも、こうなってみたらいい。

 ある日突然家族全員を殺されて、知らない施設に入れられて、ほんの少し落ち着いてきたと思った頃に、自分とは本当に微塵も関係のない人たちに集られて、囲まれてみればいい。

 私にはもう縋るものも、もたれかかるものも、私を支えてくれる人もいないのに。


20

 「私は私。まだ大丈夫」

 「本当に?」

 

 「え?どういうこと?」

 「君は君として人生を人生しているかい?」


 「••••••。」

 「君はもう君じゃない。社会のため世の中のため、さらに言えば一種のエンターテインメントとしての媒体でしかないんだよ」


 「••••••。」

 「君の悲劇は話題になる。君の悲劇はドラマになる。そして君の悲劇は、金になるんだ」


 「••••••。」

 「舞白ちゃん、こればかりは仕方がない。社会は被害者に容赦しない。弱き者に忖度しない。後がない者に遠慮しないのさ」


 「だ、だったら私はどうしたら」

 「ふふ、簡単だよ。君はねーーーーー」


 これは果たして本当に私が誰かと交わしたものなのか。

 もしかすると、あの日から見続けている悪夢の中での会話かもしれない。

 

 正しいことなんて、私には、何も、わからない。

 

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