第4話 変化
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そうなる前にわからなかった?
こうなる前に変えられなかった?
いつだって君は手遅れなんだ。
いつだって私は間違ってるんだ。
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私が退院できたのは、私が目を覚まして十日後のことだった。
その間、狩渡さんと溝薪さんは毎日私の病室に顔を出していた。
要件はほとんどが事件当日のことばかりだったのだけれど、退院する二日前、いつもの二人に連れられて、もう一人私を訪ねてきた。
「おう、舞白ちゃん。退院が決まったらしいな。よく頑張ったな、これからまだまだ大変なことはあるだろうが、俺たち警察が舞白ちゃんの生活を一時保護するって形になってるから、そこは安心してくれ」
「先輩、相変わらず唐突ですね。舞白ちゃん呆れを通り越して慣れちゃってるじゃないですか。まあ先輩のフォローは僕の役目でしょうから、いつも通り予定通り計画通り、なんの問題もないですけれど。まず舞白ちゃんも気になってると思うから先に紹介を済ませておこうと思うのだけれど、こちら
それこそいつも通りわざとらしく狩渡さんのフォローに入った溝薪さんはかなりざっくりとした説明で一人の女性を紹介した。
「舞白ちゃん、初めまして。
殻柳と紹介を受けた女性は、物腰こそかなり柔らかかったが言葉の中に、彼女の口から発せられる声の至る所に怒りと呼ぶべき感情が滲み出ていた。
「溝薪、殻柳。ここ任せてもいいか?俺はちょっと急用ができた」
「「はい」」
なんというか、これもまたいつも通りの予想通りなのだけれど、この人たちとの会話はこんなふうに、たびたび私のことを置き去りにして進行していくのだ。私に対して軽い挨拶を済ませ、狩渡さんは足早に病室を出て行った。
犯人のことで何か連絡が入ったのかもしれない。
「先輩はいつもあんな感じなんすよね。生き急いでるっていうか、停滞することから逃げているというか、逃げ続けているというか」
「溝薪くん、狩渡さんの相棒は大変だろうけれど、頑張りなさい」
二人はそんなやりとりをしていたように思う。
この時の私は、彼らから見えているほど余裕なんてなかったし、全く回復なんてしていなかった。
これからのことと言われたところで想像することも、期待することも、連想することも、何もできなかった。
一度決定的に壊された心には、どれだけの機能が残るのだろう。
今の私は、笑うことができない。
今の私は、怒ることができない。
今の私は、悲しむことができない。
今の私は、楽しむことができない。
今の私には、家族を殺されたという事実だけが、一人になってしまったという事実だけが重く、重くのしかかっている。
「舞白ちゃん、私のことは好きに呼んでちょうだい。みんなからは姫ちゃんなんて呼ばれているけれど」
「ひ、姫ちゃんっすか。殻柳さんまさか子どもたちに強要したりしてるんじゃ」
「あぁ?」
溝薪さんの軽口に、殻柳さんは低い声とかなり鋭い視線で応えた。
それだけで、この二人の立ち位置は誰がどう見てもわかってしまうほどに強烈だった。
「えっと、殻柳先生。質問いいですか?私と似たような子どもたちってどういうことですか?」
なんで溝薪さんのフォローをしなくてはいけないのか、甚だ疑問ではあるのだが大人二人と子ども一人の空間で、大人二人が険悪な空気を持つとなると、そこにいるだけの子どもはたまったものではない。そんなふうにひどく客観的に自分のことを見ていたからこその行動なのだろうけれど、私としてはやはり納得はいきそうになかった。
それも、この時の私にとってはどうでもいいことなのだろうけれど。
「あ、ごめんごめん。そうね、舞白ちゃんと似たようなって表現はそのままの意味でしかないのだけれど、事件に巻き込まれて住む家を失った子どもたちを警察が管理する施設で預かることができるのよ。みんな辛い過去を背負っているけれど、少しでも笑えるように、少しでも救われるようにって私はそう思うわ」
殻柳さんの説明は、私の質問に対して少しズレたものだったが、気にしないことにした。
そもそもそんなことに興味が持てるような状態ではないわけで。
「あの、一つだけお願いがあるんですけど、聞いてもらえますか」
何はともあれ、退院を間近に控えた私はひだまり園という施設に預けられることが決定しており、そこでの生活に向けてささやかながら準備に追われることになった。
16
ひだまり園。
私と似たような境遇の子どもたちが保護されている施設であり、そこは警察のとある組織が管理していることから、安全性や秘匿性を多分に含んでいる。
下は二歳から、上は十八まで。そして人数はというと、私を含めて十一人。
ちょっとした大家族に見えなくもない環境だった。
そこにいる子たちがどんな過去を背負っているのかは、この時点ではまだ何もわからないけれど、私から進んでその輪に入ろうとは思えなかった。
退院する直前、殻柳先生からある程度のことは説明を受けていた。
その時もらったひだまり園の間取り図によると、ひだまり園という施設自体そこまで大きくないため、自分の部屋なんてもちろんないようだった。
二階建ての構造をしていて、子どもたちが夜寝る部屋は二階に配置されていた。
部屋割りは四つ。
十二歳以上の男の子の部屋。
十二歳以上の女の子の部屋。
十二歳未満の男の子の部屋。
十二歳未満の女の子の部屋。
そして一階は、キッチンと食堂、そして勉強部屋かつ談話室の役割を兼ね備えた大広間。
こうしてじっくりゆっくり間取り図を眺めていたところで、何かがわかることも、これからのことに期待で胸が膨らむことも当然全くなかった。
あの日から私の目に映る全てのものから色が消えていた。
空も花も人も、自分自身にさえ色を見出せない、消えている。抜け落ちてしまったかのように。最初からそこに色なんて無かったかのように。根こそぎ、削ぎ落とされている。
病院を出ると殻柳先生が車に乗せてくれた。
車の色はわからなかった。
少しドライブしようと殻柳先生は笑った。
窓の外は無色で、私は笑わなかった。
途中、殻柳先生がアイスを買ってくれた。
何のアイスなのかわからなかった。
「あれがひだまり園だよ」と殻柳先生は微笑んだ。
私には何も見えなかった。
「今日からここが舞白ちゃんのおうちだからね」と殻柳先生は優しかった。
お父さんとお母さんとお姉ちゃんと弟はいなかった。
ここを家だと思う日が来るのか私にはわからない。ここにいる子たちを家族と思える日が来るのか私にはわからない。ここでの生活を心地いいと思える日が来るのか私にはわからない。ここが自分の居場所だと思える日が来るのか私にはわからない。ここで生きていくことでどんな未来が見えるのか私にはわからない。
私には、何も、わからない。
そんな私を見かねたのか、全くもってそんなことは関係ないのか、やはり私にはわからなかったが、殻柳先生は私の手を握ってひだまり園の玄関の扉を開けた。
「舞白ちゃん、ちょっとこっちきてくれる?」
施設に初めて足を踏み入れるとそこにいた子どもたち数人が一斉にこっちを見る。
それを見計らってか、殻柳先生は私の手を引いてみんなの前に私を連れていく。
「みんなちょっと聞いて。今日からこのひだまり園でみんなと一緒に暮らすことになる時野舞白ちゃんです。みんな仲良くしてあげてね」
「「はーーーい!」」
そこにいた子どもたちはみんなまだ小さくて全員私よりも年下のように見えた。
ひだまり園の子たちは、本人の希望があれば近隣の学校に通うこともできることは聞いていた。
だから私もゆくゆくはそうするのだろうけれど、自分よりも年上の子がみんな学校に通ってるのには少しだけ驚いた。私よりもいろんなことがわかる、わかってしまうはずなのに前を向けていることが驚きだった。今日を生きていけることが不思議だった。明日を待てることが羨ましいとさえ思った。
殻柳先生の紹介を受ける形ではあるが、私はそこにいる六人の子どもたちに対して簡単に自己紹介をすることにした。
「と、時野舞白です、八歳です。よろしくお願いします」
私がそう口にし終わった時には、私は囲まれていた。新しい弟と呼ぶべき子たちと新しい妹と呼ぶべき子たちに。
「舞白ちゃん!よろしく!」
「舞白姉ちゃんどこから来たのー?」
「舞白お姉ちゃんゲーム好き?」
この時点で、たかだか八年しか生きていない私は自分の現実を受け入れることで精一杯だったし、大事な家族を失った直後に、また新しい家族だとか新しい家だとか言われても受け止められるものではない、はずだった。
そういうものではないと思っていた。
だが、実際には良い意味でその思いは、決意は砕かれる形となった。
私に群がる子たちを見るとどうしても重ねてしまう。弟と。
私のことを、小さい頃から知るかのように当たり前に「舞白姉ちゃん」などと呼ぶこの子らに、少なからず私は、時野舞白は救われたのだろう。
その日は私の歓迎会ということで、みんなでご飯を作ったり、ゲームをしたり、どこにでもあるような、いわゆる普通のパーティが開かれた。
学校に通っていた子どもたちもちらほら帰ってきては、それぞれ私と軽く自己紹介をし合ってパーティの準備に混じっていた。
みんなが当たり前に私を受け入れているこの状況が果たして正しいのかどうかは置いておいて。
私が十人全員と顔を合わせた頃合いで、夕食を食べる時間となった。
ご飯の味はほんの少しだけ懐かしく感じた。
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