時の織物

鳥尾巻

第1話

 あなたの物語を聞かせてください。


 会ったばかりの私の物語を聞かせてくださいとは可笑しな話だと思う。

 白く何もない広い空間にある糸車と機織り機の前に座った男を眺める。簡素な白い麻の服を着て、長い銀髪を緩く結い背中に垂らしている。

 一見すると若者のようにも見えるが、長い長い年月を経てかなりのよわいを重ねた老人のようにも見える不思議な印象の男だ。

 傍らの籠に積まれた色とりどりの糸の山に気付き、じっと見ていると、彼は手招きして中から一本の糸巻を取り出した。青く落ち着いた色合いの何の変哲もない細い糸。


「例えばこれはある英雄の物語。貧しい村に生まれ、苦労しながら身を立て家族を守り穏やかに一生を終えました」


「それのどこが英雄的だと言うのですか?」


「華々しい活躍をするだけが英雄ではありません。これは個人の物語。時の経糸たていとに織り込めば、市井の人々のささやかな物語も英雄譚になり得るのです。誰もが特別な糸なのですよ」


 手繰り出した青い糸を、長さを測るように両の指の間に渡しながら彼は微笑んだ。だがそんな説明では納得できる訳もない。私は首を傾げた。


「でも時世に合わなければ埋もれてしまう糸もあるのでは?」


「絡み合う時と運命によってはそれもありましょう。全体を通して見れば目立つ糸は使い勝手が悪い」


「織物にはどんな意味があるのですか?」


「意味などありません。この世の営みの全てが美しい。ただ織るだけです。一つ間違えれば完成しない大きな織物の一本があなたの物語です。あなたの糸がのちの模様を決めていくのです」


「そうは言ってもどこにどんな糸を織り込むのかは織り手、つまりあなたの意匠デザイン次第でしょう?」


 半ばむきになって言い募る私に彼は静かに尋ねた。


「英雄になりたがった方は大勢いましたが、あなたもそうですか?時の経糸の中では誰もが自分の役割を果たし、平等ですよ」


「それは……」


「今日はあなたが最後です。さあ、物語を聞かせてください。どんな話でも、どんな望みでもいいのです。あなたの糸は何色ですか?然るべき時に然るべき場所に織り込みましょう。きっと素晴らしい織物になるはずです」


 いつのまにか白い空間は狭まり、辺りには薄っすらと灰色の靄が立ち込めている。

 私は困ってしまった。語るべき物語など持っていない。何かになりたいという望みもない。

 そう正直に告げると、彼は黙って糸を紡ぎ始めた。言の葉を捉えた指先からは、透明な糸が生まれた。艶やかな糸はどんどん紡がれあっという間に一本の糸巻に収まる。


「珍しい糸が出来ましたね。きっとどの時世どの色の糸にも合うでしょう。人々に寄り添い、運命を変える不確定要素になるでしょう」


 そんな糸を『天糸てんし』というのだと、彼は言った――。

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