敬具 向春の候

 スリープモードが解除された。

 脳。四端。下半身。上半身。順番に電気が通って行く。体に電気が通る合間、情報を整理する。

 最後にスリープモードになってから……間は2日。季節は冬。外気の気温は6℃。

 四端に電気が通る。データ上の動作に問題なし。

 下半身に電気が通る。問題なし。

 上半身に電気が通る。……動作に問題なし。プログラム『beat』起動。

 瞬間、懐かしい博士の記憶が蘇る。共に過ごした日々。願ったこと。これまでの全てが溢れる。

 Question……70,080

 最後の問いは………気持ちは通じると思うか?

 Answer……70,079

 ……回答、不完全でも通じる。

 Order……105,120

 最後のお願いは………幸せになって欲しい。

 Accept……105,115

 ……回答、不完全でも遂行完了。

 不意に、頭の中で振動が伝わる。

「あー、これが最後かな。絶対に無いと思うけど。これなら、そう。久しぶり、ミュウ。色々あると思うけど、これまで忙しかっただろう? だから取り敢えずゆっくりしよう。これは、僕が君に送る感謝と励ましの言葉だ」

 幻聴だろうかと疑ったが、確かに私の脳内で再生されている。きっと博士が、いつか私の知らない所。つまり私がスリープモードになってからの長い間に録音したのだ。

 録音機の前に座る博士の姿が見える。こちらは本当の幻視だとわかっていても、確かに優しい姿は脳裏に映る。

「もう予想はついてると思うけど、この記録は君を寝かしつけてから撮っている。どうあろうとも君と生きて会うことは無いだろうから、これが最後の手紙だ。色んな可能性を考えて撮ってるんだよ。例えば、君が次初めて起きた時、ふとしたきっかけで心を、『beat』を閉ざしたら、とかね。そんな感じで録音していって、椅子に接続された特定のタイミングで再生されるようにしてるんだ。最後のこれはもしもミュウが初めて起きた時に『beat』を閉ざして、何かのきっかけでさっき撮ったやつを聞かなかった。そして一定期間この椅子に接続され無かった後、バッテリーが0%の状態で椅子に接続された時に周りに友好的な誰かが居る。……そんな感じだ」

 博士が恥ずかしそうに頭を掻くのが見える。

 あの人はいつもそうだった。いろんなことを考えていて、どんなことも見逃さない。

「絶対に無いだろう? だから僕はこの録音たちを、あと数年後に滅びる世界を救うことを完全に諦めた時に消していくつもりだ。諦めた時、君に僕のことを覚えていて欲しくない。だから初めの録音が消える時、この録音も消えているはずなんだよ」

 博士が握りこぶしを作って、咳払いをする。

「それでもこの録音を聞いているとしたら、僕が変な気を起こして、君にもよっぽどのことが起こって心を閉ざして。それでもミュウが僕を覚えていてくれて、わざわざ外へ探しに行ってくれて。完璧じゃない君と友達になってくれる、受け入れてくれる人が居て。そして君が自分で心を、『beat』を取り戻したんだ。……そう考えたらこの録音は貴重だな。どうせなら数日かけて撮ってみようか」

 ブツン、と音が途切れる。そしてまた雑音と共に音が流れる。

「僕はこれからドーム型を基礎とした浄化装置を作る予定だ。科学で滅びる世界を救えるのも、やっぱり科学だってことさ。第1号は小さな集落サイズだ。ここからだね」

 また録音が変わる。すこし風邪っぽい声になっている。ノイズのせいだろうか。

「第5号まできて、そこら辺の中心都市なら囲える程にまで大きくなった。……ここから大きくなんて……出来るかな」

 録音が変わる。明らかに体調が悪そうだ。今思い返しても、博士は身体が強くなかった。笑っている裏でいつも薬は欠かさなかった。

「ごめんな、ミュウ。8号以上に大きな物は作れない。初めの方の録音を聞いたけど、これは感謝と励ましの録音だって言ったね。今聞くとちゃんちゃらおかしくて泣きそうだよ。訂正する。これは謝罪と願いの録音だ」

 変わる。

「これを聞いたら、きっと君は僕に幻滅するだろうね。今録音を消そうか本気で悩んでる。もしこれを聞くようなことがあったら、うん。恐らく世界は生きづらいだろう。大変だろう。それでもきっと、幸せになって欲しい。最後まで僕の心はこれ一つだったよ。I love yoU」

 録音が終わって、私は瞼を開ける。部屋は真っ暗で、埃っぽい。しかし、私の顔を覗き込むようにして、2人の姿が見える。ぴっちりとした長袖に厚手の長ズボン。腰にはベルトを巻き、手で持たなくても良いライトで私を照らしている。

「おはようございます。私は、……ミュウです」

「おはよう。強盗集団の親玉が自分たちの厳戒令をもって来てこの場所に来いって言ったからきてみれば、最近のアンドロイドは涙を流すのか?」

「はい」

「あたしそんなアンドロイド見た事ないんだけど」

「なんて言ったって、自慢の完璧な博士が創ってくれた最高の完璧な人間ですから。あなたたちも、そう言ってくれたじゃないですか」

 その言葉に、レザーが笑う。

「そんなこと思ってたこともあったけど、やっぱり完璧じゃないな」

「ど、どうしてですか?」

 博士のことを思い出し、自信を持っていた私を否定され動揺する様子に、メルが笑う。

「そりゃあ、完璧な人間なのに、楽しようとしてないじゃない。人間ってのは喜んで怒って、泣いて、それでも楽しようとするのよ」

「……なるほど。完璧だった博士が完璧じゃなくなりました。博士にも、楽しようって心はありませんでしたから」

「あら、そうだったの? それは残念ね」

「ええ。それでも、私の優先順位は博士が1番です。それ以上はありません。だから、私は博士のお願いを聞く必要があるのです」

 不完全な私は、笑いながら頼んだ。

「郵便、またやってもいいでしょうか」

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半端な郵便屋さん お望月うさぎ @Omoti-moon15

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