藤帯
小昼。
藤棚の下で散歩する夫婦の仲睦まじい様子を眺めていると、後ろから占い師に話しかけられて振り向こうとしたが先に横に来られたので、視線は二人に向けたままにした。
「赤い糸は無事に結ばれたようですね」
「はい、母上」
殿さまの母親こと占い師は殿さまを見上げた。
ずいぶんと背丈は大きくなったが、顔立ちがまだ幼く見えるのは親だからだろうか。
「民に篤い情を向けるのはとてもいいことですが、日に日に深めさせるから今回のような騒動が起こったのですよ」
高野だけではなく乃藤もだれにも言えない恋心を抱いていて日に日に膨れ上がった結果、この二人が暴走するはずだったのだが、民を強く想う殿さまが無自覚に二人の暴走する恋心を引き受けた結果、今回の騒動が起こってしまったのだ。
最初は無料の宿を手に入れたと思っていた。
乃藤は言った。
早く仕事を見つけてここから出て行ってやろう。
口を開けばほとんど仕事が見つかるまで、仕事が見つかるまでだけ。
『あなたは私には基本的に無口なのに。同じ日に家に来た養子の悠志さんには城や町でのあなたのことを話したり、悠志さんには寺子屋や剣術、料理教室、家での話を詳しく尋ねましたね。悠志さんが私に話しかけたらやることがあると言って席を離れました。料理も掃除も洗濯も買い物も学術も行儀作法も。さすがは男一人で育てると豪語するくらいですから。何でもかんでも手際よくすませました。私は、そんなに何でもかんでもできません。最初は楽だと思っていましたよ。仕事探しにだけ集中できました。けれど、だんだん悔しくなって。私。世話をされるだけの存在だって。だんだん自分が役立たずに思えてきて。家事が苦手なのはしょうがないですからせめて、仕事だけでもあなたに勝ちたいって思いました。あなたの家にお世話になってから一年ほど経ってから、本当は藤の蔓で織る帯作りの仕事を見つけて働くことが決まっていたんですけど、上に行くまでは伝えないでおこうと決めてたんです。のぼりつめてやろうって。その時が来たら、離婚届けをつきつけてやろうって決めたんです。私。一店舗任せられるまでになったんですよ。堂々と家を離れられる。あなたからも。でも。どうしてでしょうね。いつからか。きっと。あなたの料理で私の胃袋を掴まれた時でしょうか』
乃藤はそっと腹の上をなでて、優しく微笑んだ。
『あなたの手料理をもっと食べたいし、あなたに私の下手な料理を食べてほしい。並んでお皿洗いしたいし、洗濯も掃除も買い物もしたい。あなたの話を聞きたいし、私の話も聞いてほしい。何も持たないで、散歩をしたい。話さなくてもいい。散歩した先で何か買えたらいいし、買えなくてもいい。春も、夏も、秋も、冬も。一日いちにちを大切に過ごしたい。あなたと悠志さんと一緒に』
乃藤は離婚届けを握りしめたまま無言でいる高野に、胸元にしまっておいた婚姻届けを見せた。
『私もこれからは家事を手伝います。あなたみたいに上手じゃないけれど。頑張ります。仕事も頑張ります。でも頑張りすぎは心身共によくないので時々は、三人で何もしない日を作りましょう。あとは。三人で決めるとして。大事なことを一つ』
乃藤は目元にも肩にも力を入れて、真剣なまなざしを高野に向けた。
『高野さんが好きです。結婚してください』
『父上』
まんじりともせず乃藤を見つめ続ける高野の太ももを悠志は軽く小突いた。
途端。高野は顔を驚くくらい真っ赤にさせて、大声で言ったのだ。
拙者も乃藤さんが好きです。結婚してください。と。
そうして二人は、離婚届けを、次に婚姻届けを出して、正真正銘の夫婦になったのだ。
がっはっは。
殿さまは少しだけ声を落として笑い声をあげた。
「いいのですよ。民が幸せになるのならば、わしがどうなろうと」
「あなたがどうにかなったら心配する人が大勢いるとわかったのに、ですか?」
「はい。心配させるのは、嫌ですけど。すごく。ですが、同じことがあってもわしは嫌じゃありません。赤い糸を結びたくて必死に頑張っている民の力になれるのですから。ただ力になれたのかどうかは疑問ですけど」
「あなた自身の赤い糸も結ばないといけないんですけどね」
「いえ、どうやらわしの赤い糸は国の民全員に結ばれているみたいなのですよ。わしが強引に結びつけただけでしょうが」
それは赤い糸ではないですよ。
占い師は訂正しようとしたが。止めた。
とっても素敵な笑顔だったから。
嬉しくて、嬉しくて、今にもほら。涙がこぼれ落ちそうなくらい。
(本当に赤い糸かもしれませんし)
占い師は殿さまから視線を移して高野と乃藤と、そして藤棚を見た。
もしかしたら。
三人だけが原因ではないのかもしれない。
(人の想いの強さか、藤のいたずらか、助けようとする力か)
どれにしても、すべてにしてもまた、今回のような騒動は起こるような気がした。
(2022.5.25)
藤帯 藤泉都理 @fujitori
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