第81話 お料理作戦その6
「"うぅ……美味しい! 美味しいよ、流伽君っ!"」
「"蓮司さん、そんな大げさに涙まで流して喜ばなくても……"」
リリアちゃんが電話をかけて、駆けつけてきたのは蓮司さんだった。
いつもは身だしなみが整っているのに今日は髪がボサボサで目の下にクマがある。
「"大げさじゃないよ! アメリカは大味な食べ物が多くてホームシックになりかけてたんだ! まさかアメリカの郊外でこんなにちゃんとしたお寿司が食べられるなんて!"」
とても嬉しそうに、お寿司の残りを全て食べてくれそうな蓮司さん。
蓮司さんの分の切り分けたブラウニーを持ってきて、柏木さんは卓上のケトルでお湯を沸かしながら語る。
「"まぁ、サウスビーデンは少し田舎だからな。私は静かで気に入っているが、日本の料理はサンタニアまで行かないと食べられないだろう"」
「"それにしても、流伽君も人が悪いな。こんなに美味しいお寿司を私に内緒で振舞うなんて"」
「"あはは、すみません。今日のお寿司の評判が良かったら蓮司さんにも振舞おうと思っていたんです"」
「"それに、遠坂はこっちに来てからもずっと忙しそうにしてるだろ? 流伽は気を使ったんだよ"」
俺の考えを見透かしていた柏木さんはそう言って、全員分の紅茶を淹れてくれた。
とても良い香りだ、多分アメリカの有名なメーカーのモノだろう。
紅茶好きな足代先輩の為にお土産として買って帰ろうと決意する。
リリアちゃんは一口紅茶を飲むと、不機嫌な表情で蓮司さんを睨んだ。
「"……全く、本当に馬鹿よね。そんなに働く必要なんてないじゃない。今日は日曜日なんだから、残りは一日休みなさい"」
「"ありがとう、リリア。でも、私が好きでやっていることだ。こんなにおいしい料理が食べられたならまだまだ頑張れそうだしね"」
「"蓮司さんってアメリカに長く居たみたいでしたから、日本食でホームシックになるなんて思いませんでした"」
俺がそう言うと、蓮司さんは笑う。
「"今まではそんなことなかったんだが、実は君が日本を出た頃から千絵理が料理を始めてな。焦げた玉子焼きやしょっぱすぎる味噌汁を飲んでいたら今更、その味が恋しくなってしまったんだ。それにしても……どうして急に料理なんて始めたんだろうな"」
「"あはは……。な、なんででしょうね……"」
学校で俺のお弁当を毎日悔しそうな表情で食べていた千絵理を思い出す。
きっと、俺にリベンジでもするために料理の練習をしているのだろう。
「"柏木、ブラウニーはまだ残ってるんでしょ? もっと食べたいわ!"」
たった今、ブラウニーを完食したリリアちゃんがそう言って柏木さんに物欲しそうな視線を向けた。
「"そうだな……じゃあ、ブラウニーに添える生クリームを作ろう。そうすればもっと美味しくなるぞ"」
「"なにそれ、素敵! じゃあ、私は良い子で待っているわ!"」
「"何言ってるんだ。リリアが作るんだよ。ほら、こっちに来い"」
「"え~、私。お料理なんてしたことないんだけど……"」
「"混ぜるだけだから大丈夫だ。勝手に隠し味を入れたりしなければな"」
駄々をこねていたリリアちゃんはしぶしぶキッチンに向かった。
「流伽君、ちょっと良いかい?」
直後、蓮司さんが日本語で俺に話しかける
「彼女と一緒に食事を取ってくれているようだね。担当医として礼を言うよ」
彼女とはリリアちゃんのことだろう。
リリアちゃんには聞かれたくないのだろうか、名前を出さずに感謝された。
日本語なので自分の名前さえ出てこなければリリアちゃんも分からないはずだ。
「いえ、俺は本当に一緒に食事をしているだけなので。大したことは……」
「彼女は誰とも仲良くなろうとしないんだ。だから、凄い事だよ。誇って良い」
と言っても、同人誌を読ませることを交換条件に仕方がなく付き合ってもらっているだけなのだが。
しかも、やや刺激的な内容の……。
蓮司さんは少し真面目な表情で話を続けた。
「ところで、さっきブラウニーを食べる時、彼女は左腕でフォークを使っていたが。もしかして最近はずっと……?」
「……へ? はい、まぁ。2週間くらい前に右手からフォークを落としたんです。それからは左手で食べてますね」
「……そうか、彼女のことをよく見てくれているな。本当にありがとう」
「あの、それが何か――」
「"――ちょっと~、日本語で何話してるのよ! 山本も手伝いなさいよ! 出来ても食べさせないわよ!"」
蓮司さんに質問の理由を聞きだす前に、俺はリリアちゃんに呼ばれる。
「"ほら、流伽君。リリアに呼ばれているよ"」
「"そ、そうですね! 行ってきます!"」
俺がキッチンを見ると、ほとんど固まっていない生クリームの入ったボウルに泡だて器を突っ込んでヘトヘトになっているリリアちゃんがいた。
「"これ、どれだけかき混ぜれば良いのよ~。もう腕が限界よ! 山本がやりなさい!"」
「"確かに、小学生の女の子が手回しで生クリームを作るのはかなり大変かも"」
「"あぁ、自動で生クリームを混ぜてくれるミキサーがあるぞ"」
柏木さんがなんて事のない表情で言うと、リリアちゃんは眉間に皺を寄せた。
「"……ちょっと待って? 私は一体なんでこんなに頑張ってかき混ぜさせられたの?"」
「"まぁ、良い経験だと思ってな。すぐに機械に頼るのも良くない。山本、そこの棚から取ってくれるか?"」
俺は柏木さんに言われた場所から生クリームのミキサーを取り出す。
スイッチを入れると、二本の泡だて器が自動で回転しだした。
「"凄い! ちょっと、私にやらせなさいよ! これならすぐに生クリームもできそうだわ!"」
リリアちゃんは俺からミキサーを奪い取り、上機嫌で振りかざした。
「"ちょっと待って! 最初は低速で、徐々に早くしていかないと」
「"そんなんじゃ時間がかかっちゃうじゃない! 最初っからフルパワーでいくわよ!"」
「"山本の言う通りだ。少なくとも、ミキサーを先にクリームに入れてから回さないとクリームが――」
早く生クリームのブラウニーを食べたかったのだろう。
話を聞かないリリアちゃんがフルパワーのミキサーをボウルに突っ込んだ瞬間、案の定、生クリームは周囲に飛び散った。
俺の顔もリリアちゃんの顔も柏木さんの顔も生クリームまみれになってしまい、お互いに顔を見合わせる。
そして、こらえきれずに噴き出した。
「"ぷっ……あははは! ちょっと山本、何よその真っ白な顔! 柏木も、それなら白衣を着る必要がないんじゃない!?"」
「"リリアちゃんも、鼻の頭に生クリームに塊が付いてるよ! トナカイみたい!"」
「"というか、リリアのせいだろうが! このこの!"」
「"ちょっと~、やめてよ、クリームを付けないで! 山本ももっと白くしてあげる!"」
「"わっぷ、ダ、ダメだよ! 食べ物を粗末にしちゃ!"」
ひとしきりみんなで大笑いすると、柏木さんは俺の頬に付いた生クリームを指ですくい、口に運んだ。
そして、満足そうに頷く。
「"蓮司、悪いがお湯を沸かしてくれるか? クリームだらけで私とリリアは動けん"」
「"もちろんだ。流伽君も二人と一緒に入ってきちゃいなさい"」
「"いやいやっ! 俺はそんなにクリームが付いてないので、タオルで拭き取れば大丈夫ですよ!"」
「"何よ、意気地がないわね~"」
髪まで生クリームだらけになっているリリアちゃんに煽られる。
生クリームまみれの柏木さんを見ただけで俺の心は限界を迎えているので無理です。
結局、二人がお風呂に入っている間に俺と蓮司さんでキッチンを片付けることになった。
「今日は本当に良い息抜きになったよ」
壁に付着した生クリームを拭きながら、蓮司さんは笑う。
「蓮司さん。本当に忙しそうですもんね」
「君から採取した筋繊維のおかげで研究がはかどってね。正直、行き詰っていた研究がようやく進んだんだ。嬉しい悲鳴ってやつさ」
「お役に立っているなら嬉しいです。今日は、リリアちゃんと仲良くなる為にこうしてお料理を振舞ってみたのですが……少しは上手くいきましたかね?」
「あはは、それなら問題ないよ」
蓮司さんは自分のスマホを操作すると、その画面を俺に見せてくれた。
「今日、これを見ただけで疲れが吹き飛んでしまった。リリアや柏木君がこんなに笑っているのを見るのは初めてだ。山本君、きっと君のおかげだよ」
そこには、俺と柏木さんとリリアちゃんが生クリームだらけで笑い合う様子が一枚の写真に収められていた。
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【業務連絡】
明日はハロウィン特別編を投稿します!(何事もなければ)
引き続き、よろしくお願いいたします!
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