第80話 お料理作戦その5

 

「"もう満腹だ。"ご馳走様」


 柏木さんはそう言って、手と口元をナプキンで拭くと満足そうにお茶を飲む。


 俺がお寿司を握ったそばから、優雅に次々と柏木さんの口元に運ばれていく様子は作っていてとても気持ちの良いものだった。


 夏祭りデートで柏木さんの手は握れなかったけど、代わりに寿司は握ることができたので大きな一歩と言えよう。


「"あ、あんた……どんだけ食べるのよ"」


 隣の席でお茶を飲んでいたリリアちゃんは呆れた表情で柏木さんを見ていた。

 結局、4人前くらいは涼しい顔で食べきってしまった。


 柏木さんはそのクールな外見に似合わず意外と食いしん坊のようだ。


「"文字通り山本の手料理だしな、美味しくて手が止まらなかったよ。ほら、山本も作ってばかりじゃなくて自分でも食べてくれ"」


「"あはは、実はお二人が来る前に試食しすぎて……俺も十分食べているんですよね"」


「"そうなのか、そういえば私の料理ももうできているはずだな。持ってくるから待っていてくれ"」


 そういって、柏木さんはキッチンに小走りで向かう。


 ミトンを手にはめた柏木さんがオーブンから取り出し持って来たのは……黒い塊だった。

 リリアちゃんは訝し気な目でそれを見つめる。


「"……もしかして、柏木って料理下手? 丸焦げじゃない"」


 そのダークマターを見て、明らかに失敗したと判断したのだろう。

 辛辣なリリアちゃんの言葉に、しかし柏木さんは得意げな表情だった。


「"ほら、あ~ん"」


「"ちょっと!? なにするのよ――むぐぐっ!?"」


 柏木さんは黒い塊の一部をちぎって、リリアちゃんの口の中に押し込む。

 絵面だけ見たら、なかなかに尊い空間が広がっていた。


 黒い塊を口内に押し込まれたリリアちゃんは瞳を輝かせた。


「"甘~い! しっとりしてて、すっごく美味しいわ!"」


「"ひょっとして……ブラウニーですか?"」


 俺の質問に柏木さんはうなづいた。


「"あぁ、私は甘いお菓子しか作れん。いつも自分で作って食べているだけだからな"」


「"お菓子作りを料理って言って良いのかしら……?"」


「"だけど、ちょうどデザートになるので良かったです!"」


 柏木さんが切り分けてくれたブラウニーをお皿に盛りつけて、席に座ると俺も口に運ぶ。


「"あっ、本当に凄く美味しいですねっ!"」


 お世辞ではなく、本当に今まで食べたブラウニーの中で一番美味しかった。

 俺の反応を見て、柏木さんは得意げに腕を組む。


「"本場のブラウニーは違うだろう? 日本のはどちらかというとパンに近いからな"」


「"はい! すっごく濃厚で、ねっとりとしているんですね! 後で作り方を教えてくれますか? 俺、料理が大好きなので!"」


「"あぁ、もちろんだ。そうだ、後でリリアも一緒に作ろう。自分で作るお菓子も美味しいぞ"」


「"えぇ~、私、食べる方が得意だな~"」


「"そんなことを言う子には、このブラウニーは食べさせられないな"」


 柏木さんはイタズラっ子のような笑みを浮かべてリリアちゃんからお皿を取り上げる。


「"あ~! わ、分かったから! 私も作るから、そのブラウニーは食べさせて! 一口だけ食べさせてから取り上げるなんて酷い拷問よ! ジュネーブ条約に違反するわ!"」


 美少女2人の姉妹のようなやり取りは、今食べているブラウニーよりも甘く、尊みで俺の心が満たされた。

 なんていうか……ごちそうさまです。


「"それにしても、お寿司のネタが残ってしまったな"」


 自分でもブラウニーを食べながら柏木さんは呟く。

 お腹がいっぱいだと言っていたが、やはり甘い物は別腹らしい。


「"そうですね。すみません、張り切りすぎてしまって……残ったお刺身は保存が効くように漬けにして冷凍しておきますか? 竜田揚げや照り焼き、アヒージョやフライにすると後日でも、おいしく頂けると思いますよ"」


 俺がそう言うと、リリアちゃんが手を真っすぐ伸ばして制止した。


「"……ちょっと待ってなさい。もう一人、腹ペコの奴を呼ぶから。どうせ今もロクに食事も取らないで病院で研究してるわ"」


 リリアちゃんはそう言うと、携帯を取り出して誰かに電話をかけた。


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