第48話 最初のリベンジ


 柏木さんが持ち掛けた勝負に選手たちはゲラゲラと笑った。


「"おいおい、短距離走の決勝で日本人なんて見たことがないぜ~?"」

「"前回の大会ではアメリカが表彰台を独占したんだ、その選手がここには3人揃ってる"」

「"短距離なら運が良ければ勝てると思ったか? 残念ながら陸上に奇跡はない、実力の勝負だ"」


 柏木さんはそんな嘲笑を心地よい秋風でも感じるかの様に聞き流して俺に話す。


「山本、勝手に決めてすまないな。怪我だけはしないように」


「い、いやいやいやっ! 勝つのは無理ですよ!? だって、俺が痩せる前の足の速さ覚えてます!? 中学生の平均くらいでしたよね!?」


「女子中学生のな。でも、もしかしたらあいつらの方が遅いかもしれないぞ? あはは」


 柏木さんはそう言って、笑いながら俺の肩を叩いた。


 そうだ、別に勝てなくても良い。

 きっとこれは勝負することに意味がある。


 柏木さんは侮辱された。

 思えば、柏木さんはずっと今と同じような目で見られることが多かったのだと思う。


 俺が太っていて馬鹿にされるのと同じように、柏木さんもきっと今みたいに大人の世界で女子供だからと周囲に舐められて、見下されて、暴力的な態度を向けられてきた。


 俺が走ることでそんな柏木さんの気高さを守りたい。

 そのためだけに、俺は彼らにリベンジをしたいと思った。


「"分かりました、勝負を引き受けます!"」


 俺がそう言うと、選手たちはまた大笑いする。


 コーチと思わしき人はため息をひとつ吐くと、選手たちに言った。


「"誰でも良い、早く相手をしてやれ。時間が惜しいんだ"」


 柏木さんは腕を組んでラムネシガレットを咥えながらそんな彼らを挑発する。


「"全員まとめてかかってこい。山本は命に関わる大病を克服して今ここに立っている。今更お前らなんかが敵うもんか"」


「"……だそうだ。良かったな、俺らでも勝ち目があるかもしれないぞ"」


 アメリカ人っぽい皮肉を聞いて、選手たちは長い溜息を吐く。

 ダラダラと100mトラックのスタート位置まで歩いて行った。


 まぁ、どうせ勝てないし何人いても……ね。

 いや、精一杯頑張りますが。


 コーチと思わしき男性がスターターピストルを持って、声を上げる。


「on your mark(位置について)」


 そんな指示を受けて、選手たちは肩幅より少し腕を広げて両指を地面に付き、前足側は膝を立てる。

 そして少し下がったところにうしろ足の膝を伸ばして置き、腰を上げて静止した。


 一方の俺は立ったままサッと左腕を前にだして右足を引き、走る前の構えを取る。


 俺を見て、コーチと思わしき男性は不思議そうな顔をした。


「"……どうした? 早く位置につけ"」


「"えっと、すみません。これで大丈夫です、クラウチングスタートなんてしたことないので……多分転びます"」


 そう言うと、プッと何人かの選手から笑いが漏れ出た。


 しかし俺の隣にいる選手は額に太い血管を浮かべて、俺にささやく。


「"俺はよぉ、そういうふざけ半分で走る奴が一番嫌いなんだよ……俺の最速の走りで叩き潰してやるから覚悟しとけ"」


 初めて、英語なんて分からなければ良かったと後悔した瞬間だった。

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