第38話 ラムネ・シガレット
「食うか?」
そう言って、柏木さんは俺にラムネシガレットを一本渡した。
ちなみに食べる以外の選択肢はない。
今回も俺が答える前に口に突っ込まれてしまった。
俺は今日、この3か月間すべてのトレーニングをやり遂げて病院の屋上で柏木さんと夜空を見上げていた。
あとは水が抜ける薬を飲んで一晩経てば大変身、というわけである。
夜風に綺麗な髪と白衣をなびかせて、ラムネシガレットを吹かしながら柏木さんは語り出す。
「それにしても、遠坂らしいな。こんなに高額な入院費、トレーニング費用を払ってまでお前に治療を受けさせるとはな。治験とはいえ免除されているのは薬代だけだ」
「あはは、でも俺は断ったんです。これは立て替えてもらっているだけなんで俺が支払うんですよ」
「そうなのか、立派だが目が飛び出るほどの金額だぞ? お前が働いて返すとなるといったい何年かかるやら」
「うぐっ……日本に帰ったらどうやって返済するか考えないとなぁ……。やっぱり蓮司さんに甘えさせてもらった方が良かったのかも……でも、さすがになぁ……」
これから自分の身に降りかかるであろう請求金額で頭を悩ませる。
せめて彩夏にはお金など気にせず好きな人生を歩ませてやりたい。
蓮司さんのことを思い出し、ふと柏木さんのことが気になった。
「そういえば、柏木さんはどうして医薬品開発者や医者になったんですか? しかも飛び級までしてわざわざ症例の少ない肥大症の新薬の開発を……信じられないですが、まだ俺と同い歳なんですよね?」
「お前相手に今更取り繕う必要もないな。残念ながら、私は遠坂みたいに立派な医者じゃない。多くの苦しんでいる患者を助けたいなんていうのは建前で本当にただ自分の願望を叶える為なんだ」
「柏木さんの願望……新薬の日本での承認ですよね?」
柏木さんは夜空を見上げながら咥えていたラムネシガレットをポリポリとかみ砕いていった。
「少し長くなるが、聞くか?」
「ぜひとも、お願いします!」
「なに、くだらない話だ。肩の力を抜いて聞いてくれ」
柏木さんは語ってくれた。
柏木さんの、これまでの人生のお話を……
「私の家系は時代遅れな慣習が残っていてな。とにかく男子が優遇されるんだ。私は3人目の末っ子だったが、目をかけられているのは上の2人の兄達だけだった」
「私の父は医者、母は看護師だ。2人の息子たちも医者にさせようと英才教育を施していたよ。私は女性だからな、問題を起こさないように育ってどこかに嫁いでさえくれればいいという考えが透けて見えていた」
「愛情の反対は無関心だなんていうだろう。私はそれを肌で実感したよ。父も母も私には取り繕ったような笑顔で接してきてな。我儘も聞いてくれた。毎回、『だから、もう手をかけさせないでくれ』とでも言うようにな」
「だが、結果として一番早く優秀な医者になったのはほったらかしにされていたこの私だ。兄たちをブチ抜いて、しかも今や両親よりも高名な医者であり、アメリカの医薬品開発者でもある。どうだい、痛快なサクセスストーリーだろう?」
柏木さんはクククと笑うと、また新しいラムネシガレットを取り出した。
それを夜空にかざしながら続ける。
俺は引き続き、黙ったまま話を聞いた。
「……こうなったのは、私の人生を一変させるキッカケがあったんだ。私は運命の人に出会った」
「その日はとある渓流に家族で遊びに来ていたんだ。たとえ私のお願いでも両親が付き合ってくれるはずもない。兄二人がテストで良い成績を取ったご褒美だった、私だっていつも満点を取っていたのにな」
「そこでも変わらなかった。父親も母親も兄たちがふざけ合って遊んでいるのを微笑ましそうに見ていて、私は居ない者のように扱われたよ」
「私は、親の興味を引ける方法を考えた。子供だったからな、考え方が単純で何か親を困らせてやればいいと思ったんだ。きっと、非行に走る青少年たちもこのような境遇に置かれているのだろう」
「私は脱ぎ捨ててあった親の上着からタバコとライターをくすねた。そしてこっそりと近くの茂みに身を隠した。すぐに両親が私が居ないことに気が付いて探しに来て、タバコを吸っている私を叱ってくれると思ったんだ。そうして、私はようやく愛を感じることができるからな」
「しかし、身を隠すまでは上手くできたものの。馬鹿な私は火の付け方が分からなくてな、タバコを咥えもせずに着火しようと頑張っていたよ」
「そんなに遠くには隠れていない、5分もすれば私の名を呼ぶ両親の声が聞こえてくるはずだが。すでに30分は火の着かないタバコと格闘していることに気が付いた」
「私は両親の様子を見に行ったよ、そこには変わらず遊んでいる兄たちを見ながら二人の医者としての将来を楽しそうに語る両親の姿があった。私が居ないことになど気が付かずにな」
「その時に私の不安は確信に変わったんだ。きっと、私は両親にとって要らない存在なのだと。だから、消えてしまおうと思った。ちょうど渓流に来ているし、川に身を投げて、死んでしまおうと考えたんだ」
「唯一の心残りはタバコに火を着けられなかったことだ。流れの速い川のそばで私はその心残りを無くそうとまたタバコを手に持って必死に着火しようと努力した。もう身体など大事にする必要はないから、思いっきり吸ってやろうと思ってたよ」
「そんな時だったな。一人の少年が私を見つけて声をかけてきた『そんなモノ、吸っちゃダメだ』ってな」
「私は『大きなお世話だ。放っておいてくれ』と冷たく言ったが。少年は私の隣にしゃがみこんで、ポケットから駄菓子を取り出した」
「タバコみたいな形の、ラムネシガレットだった」
「『こっちの方が美味しいから、こっちにしなよ』って言ってな。タバコを取り上げると、私の口に勝手にそれを突っ込んだんだ」
「爽やかな甘いラムネの味が口の中に広がると、ポロポロと涙がこぼれた。少年は『美味しいでしょ? タバコを吸うとそういうのも不味くなっちゃうんだよ』なんて無邪気に笑って……私がどんなに思い詰めていたかも知らないで」
「だが、私はその時初めて愛を感じたよ。そして分かったんだ、何も両親に固執する必要はないってな。愛は誰にだってあげられるモノだし、誰からでも受け取れるモノなんだって」
「そして、少年はこう言った。『俺は
「涙が止まらない私に彼は話を続けた。『だからその……大切にして欲しいんだ。せっかくの健康な身体なんだから。勝手で悪いけど、お願いだから俺の分まで健康に楽しく長生きして欲しい』」
「私が思いとどまるには十分だったよ」
「その直後、上流から子供が流れて来てな。小さな女の子が溺れていた。彼は『留美!』と叫ぶと迷わず飛び込んで彼女を助けようとその身体を抱きしめた」
「私は大慌てで陸を走り、長い木の棒を見つけて少年に差し出した。彼は渓流の岩から彼女を守る為に身体中が傷だらけになっていたよ。特に額を深く切ってしまったようだった」
「少年は木の棒を掴んで彼女を抱きかかえたまま陸に上がったが、彼女の意識はなかった。少年は頭から血を流しながら必死に心臓マッサージと人工呼吸をしていた。きっと学校で習ったことをちゃんと覚えていたんだろう。今となっては私は両親を呼んでくるべきだったのだろうが、その時は私が呼んでも両親が来てくれるなんて全く考えなくてな。私も隣で泣きながら祈っていたよ」
「そして、大きな咳と共に彼女は水を吐き出して呼吸を始めた。少年は意識を取り戻した彼女を抱きしめて、それから私の手を握って感謝してくれた。そのまま、名前も聞けずに別れてしまったがな」
「その時、私は初めて何かになりたいと思ったんだ。彼のように、私も誰かの命を救えるヒーローになりたいってな。両親とは関係のない、生きる目標ができたんだ」
「私は何としてでも彼を肥大症から助けたいと思った。私は幼いながらも肥大症について調べて治療方法を模索した。アメリカに治療薬があると聞いて必死で勉強し、飛び級でアメリカの薬学科に進学したがその治療薬は不完全でな。私が開発しなおしてお前に飲ませたというワケだ」
「そういうわけで、今の私はここに居る。本当に最高の人生だよ。彼に出会わなかったら、このラムネシガレットを渡してもらえなかったなら。きっと私は生きていないだろう、あるいは今も親に愛されることを夢見て抜け殻のような生活を送っていたはずさ」
話し終えると、柏木さんは笑いながらラムネシガレットを咥えた。
「だから、悪いが私は本当にお前を利用させてもらっているだけなんだ。私はこの新薬の承認を日本に降ろして、あの名も知らぬ優しくて勇敢な少年の肥大症を治してやりたくてこんなことをしている。会えなくても構わない、どこかで治ってさえくれれば……それが私の願望なんだ。気分を悪くさせたならすまない」
「…………」
「だが、お前の頑張りも本当に私の胸を打ったよ。はは、泣いたのなんてあの日以来だったしな。お前は頑張ってくれた、不可能も可能にしてみせた。こんな私なんかの為にな」
「…………」
柏木さんのお話を聞いて、俺は絶句してしまっていた。
まさか……いや、絶対にそうだ。
柏木さんは何やら少し頬を染めて咳ばらいをした。
「も、もしお前さえ良ければだがな……。日本での新薬の認可が下りた後、私と」
「――あの、それってひょっとして宮城県の岩倉渓流での出来事ですか? 小学1年生の時の……」
俺が口を挟むと、柏木さんは俺の顔を見て瞳を丸くする。
「……は? いや、お前……何で知って……」
俺は指で前髪を少し上げて、額の傷を見せる。
あの時、留美を助ける時に岩で切った傷の跡だ。
「ま、まさか……」
柏木さんは小刻みに震えつつ、顔を真っ赤にして咥えていたラムネシガレットを落とした。
◇◇◇
――後日。
遠坂家。
「蓮司様、柏木様からお手紙が届きました」
「うむ、ありがとう。どうせ請求書だろう。燃やして捨てておいてくれ」
「それは蓮司様の手でお願いいたしますね」
遠坂蓮司は冗談を言いつつ家政婦から受け取った手紙を開く。
「これは将来的に山本君が支払うことになるが……流石に半額くらいにはしておいてやろうか。アメリカは物価も日本とは比べ物にならん」
「それでも大金だとは思いますが……とりあえずいくらなのか見てみましょうか」
そして、同封されていた請求書を開き、
2人はその内容に目を丸くした。
『請求費用0ドル。10年前にすでに支払い済み』
『――1本のラムネシガレットによって』
――――――――――――――
【業務連絡】
ラストシーンはアメリカの実話、コップ一杯のミルクのオマージュです。
今回のお話は第22話後半で留美が話していた思い出話と繋がっています!
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