21
「ええっ? 今から弥彦山へ、ですか?」
ずるっ。
主任があからさまにズッコケる。
「なんでやねん!」なぜか関西弁だった。「私と、恋人として付き合わないか、って言ってるんだよ!」
俺はしばらく目をパチクリさせていた。彼女の言葉の意味を理解するのに、やけに時間がかかったような気がした。そして、ようやく俺の意識の中に、彼女のセリフが発した衝撃波が到達し、全てを吹き飛ばした。
「え、えぇぇぇー!」
俺は思わず悲鳴のような声を上げてしまう。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。主任、不倫するつもりなんですか?」
「不倫? まさか」
「いや、でも、主任は結婚してますよね?」
「……」
主任はそれに応えず、ただ、ニタァ、と、いつか見たような少し嫌な感じの笑顔を浮かべ、左手を持ち上げて見せる。俺はすぐに異状に気付く。
薬指の、指輪が……消えた?
「実は今日、ようやく最後の調停が終わってな。速攻で市役所に
「え、えぇぇぇー!」
俺の悲鳴、第二弾。
「な、なんでそんなことに……」
「よくある話さ」主任は、ふん、と鼻を鳴らし、吐き捨てるように言う。「向こうの浮気。相手は大学の教え子だとさ。まだ二十歳そこそこの、な。プリにはっきり言われたよ。『あんたみたいなババアよりも、あたしの方がずっと彼を悦ばせてあげられる』ってさ。さすがに頭に来たんで、弁護士入れて思いっきり慰謝料ふんだくってやったがな」
プリって……今検索したら、某掲示板サイトの不倫板方言で、旦那の浮気相手のことなんだな……薄々気づいてはいたが、やっぱ主任、かなりの「ねらー」みたいだ……
「いいかい、ヨシユキ君。博士号持ってて大学の教員やってるようなヤツでもな、人間のクズってのはいるものなんだ。というわけで、この話はこれで終わり」
「は、はい……」
「それで、だ。話を戻すが、私と君が付き合うことになれば、まず、それぞれに向いていたあの三人の矛先が、一気に私に向くことになるわけだ。そう、私が彼女たちの共通の敵になれば、彼女たちの関係もそれぞれ修復でき、以前のようにまとまることもできるだろう。で、君は本命の女性と付き合える。そして、私は離婚で出来た心の隙間を埋めることができる」
「……」
俺は言葉を失ったまま、茫然と主任を見つめていた。彼女は得意満面で続ける。
「な? 一石三鳥だよ。全てが見事に解決する。まさに『たったひとつの冴えたやりかた』じゃないか」
「……いや、でも……それ、主任にあの三人の恨みが集中する、ってことになりますよね?」
「それがどうした? 言っただろ? 恨まれるのは慣れてる、ってな」
「……」
ヤバい。やっぱこの人、めちゃくちゃかっこいい……
「で、でも、主任、主任はそもそも俺のこと……本当に好きなんですか? 好きでもないのに、八方丸く収まるからって、それだけで俺と付き合うつもりなんじゃないんですか?」
「全く……本当に君ってヤツは、女心ってものが分かってないんだな」
主任が少し、とろんとした目になる。俺はゾクリとする。
ヤバい……女の顔だ。主任が女の顔になってる……初めて見た……
「私だって……君のことは、男性としても……意識はしてたんだぞ。特に、あのアスカくんの一件以来、な。あの時の君は、本当にかっこよかった。あの三人も、あんな感じで心を持ってかれたんだな、と思った。まさにあの時、フラグが立ったんだ。だからと言っても当時の私は一応既婚者だったから、その気持ちを抑え込んでいたのだがな。考えてみれば、もう抑え込む必要はなくなったわけだ」
まさか、主任の口から「フラグが立った」なんて言葉が出てくるとは……だけどあの時、俺はそんなことは考えもしなかった。そもそも、既婚者の主任にフラグが立つはずがない、と最初から思い込んでいた。だが……世の中、本当にわからないものだ。
「さて、それでだな、ヨシユキ君」主任がニヤニヤしながら言う。「君はさっき、『主任が独身だったら……』とかなんとか言ったな。で、独身の私としては、その続きをぜひとも聞かせてもらいたい、と思っているんだが……」
「結婚を申し込みます!」俺は思わず即答する。
「……!」主任は、鳩が豆をバルカン砲で食らった顔になる。
「いきなり、ど真ん中に剛速球を投げ込んで来たな」
「俺、しゃれた言葉で女性を口説いたりするの、無理ですから。それしか出来ません」
「そうか……君らしいな。だが、一つ忘れていることが、あるんじゃないか?」
「え?」
「君はもうすぐ、無職になるんだぞ」
「……!!!」
俺のテンションが、絶対零度にまで一気に急降下する。
そうだった。忘れていた……俺、プロポーズなんか、とても出来る立場じゃねえ……
がっくりとうなだれた俺を見て、主任はなぜか笑い出す。
「なあ、ヨシユキ君。私の扶養に入るか?」
「え?」
「シタ(不倫を
「えぇっ? 旦那さん、いや、『元』旦那さん、大学の先生ですよね?」
「非常勤の、な。あいつは、なまじ
「……」
「そういうわけで、君が専業主夫してくれれば、私もかなり助かるんだがな。そうだ、今回の不採用も、寿退社ってことにすれば、君も辞めるのに恰好が付くじゃないか」
「……」
専業主夫……
自他ともに認める社畜だった、この俺が、寿退社して専業主夫……
全く想像ができなかった。
しかし。
「どうだ。これもグッドアイディアと思わないか? ん?」
そう言って屈託なく笑う主任を見ていると、俺も、なんだかそれも悪くないかも、と思えてくるのだった。
(終)
リアル「異世界ハーレム」の世界 Phantom Cat @pxl12160
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