きみと笑う時間が好きなんだ

橘花かがみ

きみと笑う時間が好きなんだ


 私との時間を苦痛に思われたくなくて愚痴をやめた。


 悪口とか文句とか弱音もなるべく言わないようにしたら、しゃべれる話題が半分くらいになってしまって、自分の性格の悪さにぞっとしたけど。


 定番アイスの期間限定フレーバーとか、SNSで見かけた美味しそうなフルーツ大福の店とか、新しく買ってもらったイヤリングとか、朝お兄ちゃんの髪の毛が爆発してて、アイロンで直すの手伝ったけどすごく手強かったとか。とにかくポジティブなネタを探しては、斎くんに話して一緒に笑った。斎くんはいつも笑顔で楽しそうで、私を明るい方へ引っ張っていってくれる。


 引っ込み思案で人付き合いが苦手な私に、いつも付き合ってくれる斎くんの、負担を少しでも減らしたかった。ずっと仲良くしてほしいけど、私は昔から斎くんを頼ってばかりだから、いつか愛想を尽かされちゃいそうで。これくらいしかできないのが情けないけど。


「斎くん、斎くん」


 私の席の前の椅子を引いて、スマホをいじりながら横向きに腰かけた斎くんに、私はこそこそ話しかけた。


 四時間目の授業が終わって昼休みに入った教室は、クラスメイトたちが仲の良いグループで好きに集まってわいわいと騒いでいる。斎くんは私の机の端にお弁当の巾着を置くと、そばに肘を突いて私の方へ首を傾けた。


「なに?」

「あの、わざとじゃないんだけど、この間……」


 二組の狭山さんと、話してるとこを見たの。


 斎くんはその一言だけで用件がわかったらしく、「あー」と何とも言えない顔になった。ごめんね、と小さく呟き、そっと右脚を持ち上げて左脚に乗せる。


「もしかして、志音のとこに来た?」

「うん。仲良さそうだから、付き合ってるのかって聞いてきた。幼なじみだって答えたら、それならもう一つって、斎くんが……」


 チラ、と斎くんの格好に目を落とす。今日は小花柄のブラウスとスキニーパンツだった。斎くんは慣れた様子で、面倒くさそうに巾着を開ける。


「俺は女の子が好きだよ」

「だよね。斎くん、かわいい格好したいだけだもんね」


 うちの高校は私服だ。制服の中学時代、先生たちと散々やりあってジャージ登校に落ち着いた斎くんがここを志望したのはそれが大きかったようで、テスト前になると「やっぱり止めておけばよかったか……」と嫌そうな顔をしながら猛勉強している。勉強に関しては、私が斎くんの役に立てる数少ない一つかもしれない。


 っと、話がそれた。


「狭山さん、断っちゃったの?」

「断ったよ。俺自由でいたいから」


 斎くんは桜モチーフのかわいいお弁当箱を取り出し、カパッと蓋を外した。私もコンビニ袋からメロンパンと烏龍茶をつかむ。


「付き合ったら志音とはあんまりしゃべんないでほしいって言われてさ。斎にとってはただの幼なじみかもしれないけど、私にとっては彼女より仲の良い女の子だから不安になるって」

「それはそうじゃないかなぁ」


 狭山さんだって、私と斎くんが付き合っていると思って告白する前に確認しに来たのだ。斎くんはファッションやメイクに詳しいからか、女友達のようにクラスの女子たちの会話に混ざっているときがあるけど、れっきとした男の子だもん。女子の私と一緒にいれば、当然彼女さんは不安だと思う。


「志音は友達じゃん。小三くらいから仲良くしてんのに、付き合ったからって志音を切ってポッと出の彼女を優先しろって言われても無理」

「斎くん、言い方」


 みんな、付き合いの長さなんて関係ないくらい好きだったり、大切にしたい人と付き合うんだから。たぶん。私は恋とか苦手で、よくわからないけど。


 昔は、恋にそれなりの憧れがあった。好きな人の視線一つにドキドキしたり、ささいな言葉で喜んだりへこんだり、振り向いてもらうためにたくさん努力したり。好きってどういう気持ちなんだろう、どんなに幸せなことなんだろう、って。いつか私も誰かを好きになって、そんな気持ちを味わうのかなと思っていた。


 中学校に上がってしばらくした頃、クラスメイトの一人から告白された。ほとんど話したことがなかった人だったからびっくりしたけど、うれしかった。どうしようって斎くんに相談して、悩んで悩んで、断ることにした。


 私はその人を知らなかったし、勇気を出して告白してくれた人に、好きじゃないのに付き合うのは不誠実だと思ったから。人気のない廊下の隅っこに来てもらって、本音を話してお断りした。それで終わりだと思ってた。


 その人は、嫌いじゃないなら付き合えばいいと言った。付き合っているうちに好きになるかもしれないし、絶対後悔させないからって。告白したのになんで断るのとなじるように言われた。食い下がられると思わなくて、私はその剣幕に怖くなって、あとはよく覚えていない。怖いとか、やめてとか言ったのかな。怒ったその人に突き飛ばされて、目が覚めたときは保健室で、隣で斎くんが泣いていた。


 あれ以来、男の子は苦手だ。怖いし、大きくて力が強くて、怒らせたら痛いから。斎くんに心配させちゃうし。


「うーん」


 私はともかく、斎くんには斎くん自身を大切にしてくれる彼女とか、できてほしいんだけど。明るくておしゃれで優しい斎くんが、ずっと私のフォローばかりじゃ申し訳ない。


 メロンパンを頬張りながら、私はギュッと眉間にしわを寄せて考え込んだ。


「私より付き合いの長い彼女……?」

「志音より前に会っただけとかNGだからね」

「厳しいよ」


 私たちは親友と言ってもいい関係性だ。私と斎くんの関係を知っていて、私の存在に特別不安を感じないだろう友達は二人くらいいるけど、どっちも彼氏持ちだし。


「斎くんの理想の彼女は?」

「俺に彼女持たせたいわけ?」


 斎くんはちょっと不満そうに、その大きな手には短そうな箸で卵焼きをつまんだ。


「なあに、好きなやつでもできたの。俺邪魔者?」

「私はいないよ。でも、斎くんはいつかできるかもしれないじゃない?」


 卵焼きを一口で食べて、斎くんは溜息をつく。


「志音もそんな話をするように……」

「別にいいでしょ」


 じ、と斎くんを睨みつけると、斎くんはふてくされたように目をそらして、ぼそっと答えた。


「……自分がつらいときに、人を慰められる人」

「優しい人?」

「ざっくり言い換えんな」

「ご、ごめんなさい」


 結構本気の口調だった。慌てて謝れば斎くんは表情を和らげて、「脅かしてごめん」とお弁当へ視線を落とす。唇を真一文字に引き結んだ斎くんは深刻そうで、何か考えているようだった。


 私は首を横に振る。斎くんが反省することじゃない。


「大丈夫。斎くんは何の理由もなく怒る人じゃないってわかってるから。その、斎くんがそこまでこだわりのある条件だと思わなくて……ごめんね」


「いや、いいんだ。俺こそごめん。ちょっと考えたけど大して変わんなかった。俺が悪い。怖がらせた」

「平気だよ」


 確かに、斎くんを怒らせて、この関係が終わってしまうかもしれないことは怖かったけど。本気で反省してへこんでいるふうの斎くんに、私は「えっと」と空気を変えようと口を開いた。こういうとき、昔は黙り込んじゃってたから、これでもずいぶん上手くなったんだ。


「斎くんの理想って、誰かモデルがいるの?」

「……まあ」


 斎くんはか細い声で頷いた。心なしか少し頬が赤くなっている。へえ!


「そうなんだ。全然知らなかった」

「あんま話したくないんだよ。情けないから……」

「え、どの辺が?」


 どんなときでも人に寄り添える人ってことでしょ? 素敵な理想だと思うけど。


「全部」


 斎くんは誤魔化すように、大きく口を開けて白米を放り込んだ。私はパチパチと瞬きして首をひねる。やっぱりよくわからない。


 不思議に思いながら、烏龍茶を飲もうとペットボトルをつかむ。キャップを開けようと思ったら、手が滑って上手くいかない。


「私は斎くんを情けないなんて思ったことないよ」

「ありがと。でも俺がそう思うんだよ」


 斎くんは私の手からペットボトルを奪うと、バキッと簡単に開けて烏龍茶を机に置いた。


「はい」

「ありがとう……」


 うわあ、ペットボトル一つ自分で開けられない私って……。


 申し訳なくて、気分が落ち込む。斎くんは特に何とも思っていないようだけど、切実に握力がほしい。


 せっかく開けてもらったのに飲みもせず、手を握ったり開いたりしている私に、斎くんは怪訝そうにした。


「どしたの」

「ゴリラになりたい」

「は? やだ」


 さっきよりよっぽど強い即答だった。


「志音がゴリラとか、絶対嫌なんだけど。かわいくない。一緒に学校も行けないじゃん。てかなんでゴリラ?」


 真顔の斎くんに、親に手紙の出し忘れを叱られたときのような気分になり、私はしおしおとうなだれる。自然と眉が下がり、作った握り拳を悲しく見つめた。


「強くなれるかと思って……」


 斎くんはひらひらと手を振って一蹴する。


「ない。別に強くなくていいから。いくらなんでも目標ゴリラはゴツすぎる。筋トレとか興味あったっけ?」

「ないけど、こんなよわよわ筋力じゃ生活に支障を来す」


 というか、もう来している。「ほら」と小さくて頼りない自分の手を突き出せば、斎くんは一度箸を置き、眉根を寄せてその手を取った。ペタペタとあちこち触った後、神妙な面持ちで私を見やる。


「別によくない?」

「よくない。ちゃんと見てよ全然違うじゃん」

「俺と比べてもね……」


 斎くんは、私の手より一回りは大きい自分の手を見ながらあきれ顔だ。


 斎くんの手は、私みたいにふにふにしてなくて、硬くて少し骨ばっている。あとすべすべ。誕生日に斎くんからハンドクリームをもらったけど、持ち歩くのを忘れて結果よくサボってしまうから、斎くんの手の方がつやつやだ。ちょっと後ろめたい。


 物言いたげな斎くんに何か言われる前に、私はすいっと手を引いて、足元のリュックのポケットを探った。……よかった、今日は入ってる。


 言い訳するように目の前でハンドクリームを手に塗り込むと、斎くんは満足そうに箸を持ち直した。


「よかった」


 ぽつりとささやかれた言葉に動揺する。


「ん? え、二日に一回はちゃんとやってるよっ?」


 ハンドクリームを一度使ったくらいでそんなに安心させるほど、教えを守れない問題児だと思われていたのか。焦った私が慌てて弁明すると、斎くんは忠告するようにスッと目を細める。


「それはもっとやって」

「ごめんなさい」


 墓穴を掘った。


 斎くんは「許す」と芝居がかった態度で頷くと、お弁当のコロッケを銀カップの中でひっくり返した。底に溜まったソースがしなっとした衣にからむ。


「そうじゃなくて、志音が。前はもっといろいろ話してたはずなのに、最近悩みとか愚痴とか聞かないなーって思ってたの。もしかしたら気軽に言えないほど悩んでんのかなとか、俺に頼らなくなったのかなとか、ごちゃごちゃ考えてて」


 それだけ。と、斎くんはコロッケを口に放り込んだ。


 斎くんは何でもないように言ったけれど、静かな口調が逆に寂しそうで、私はぎょっとした。


「だけど今日、強くなりたい、って悩み? 聞けて。勝手だけど、ちょっと安心した」


 斎くんがくすりと少し笑う。さっき聞いたばかりの言葉が不意に脳裏に蘇った。


『なあに、好きなやつでもできたの。俺邪魔者?』


 あれは、斎くんがひそかに抱えていた不安が飛び出した言葉だったのかもしれない。


 大失敗だ。これ以上斎くんに負担をかけまいと思った私の愚痴禁止運動で、むしろ心配させてしまうとは思わなかった。


「ち、違うよ、それは」


 こっちを振り向いた斎くんに、必死に事情を説明する。


「愚痴、やめてたの。聞いてて楽しくないでしょ? 斎くんが私としゃべるの嫌になったらやだなと思って、ネガティブなことは言わないって決めただけで、大きな悩みとかじゃなくて」


 斎くんは目を丸くした。


「え、そうだったの?」


 ぽかんとして数秒、斎くんは片手で口元を押さえて「マジか」と顔をそむけた。


「自意識過剰じゃん……つら……」


 忘れて、穴があったら入りたい、と頭を抱える斎くんは、羞恥心でいっぱいの様子。私の変化に気づいて、言えないほどの悩みがあるのかもしれないと心配しながら普段通りにふるまってくれた斎くんに、恥ずかしがるところなんてないと思うけど。そんなことないって言っても、また『俺はそう思う』んだろうし。


「私は、心配してくれてうれしかったよ」


 にこっと笑って自分の気持ちを伝えると、斎くんがゆるゆると顔を上げた。目が合って、斎くんは意識を切り替えるように小さく息を吐き出す。


「俺も、志音としゃべるの好きだから、いろいろがんばってくれんのはうれしい。でも無理はやめて」

「無理してない。むしろ結構いい気分なんだ」


 きっと、ネガティブなことはさっさと忘れて、前向きなことを考えるようにしたからだ。明るい気持ちでいられることが多くなって、笑顔も増えたと思う。お母さんや友達にも明るくなったって言われたし。


「ふふ。私たち両思いだね」

「志音はまたそういうこと言う。だから付き合ってるって噂になるんじゃん」


 茶化すような調子で言われて、「あ」とようやく気づいた。そうだった。私との関係を誤解されてちゃ、斎くんいつまで経っても彼女できないね。


「斎くん、迷惑?」

「いい風避けになって楽」

「じゃいっか」


 私も、恋愛とか苦手だからその方がありがたい。


「これからも仲良くしてね」


 改めてお願いすると、斎くんはふっと綺麗に微笑んだ。


「もちろん。友達じゃん」

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きみと笑う時間が好きなんだ 橘花かがみ @TachibanaKagami

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