人形祭り
北見崇史
人形祭り
三月が近くなってきたので、ひな人形が欲しいと思った。ひな壇はあり合わせの材料を加工して自分で作れるが、我が家には肝心のひな人形がない。
俺は小さな設備会社に勤めている配管工だが、正社員じゃない。日給月給なので給料が安いんだ。切り詰めても毎日の生活は苦しい。だから買うとしても、新品のものは値が張るので無理だ。
そうするとリサイクルや中古ということになるのだが、なるべく傷んでなく、見栄えがいいものが欲しい。なにかと不景気なこのご時世だ。探せば、どこかに程度の良い中古品があるはずだと思う。
幼稚園児の娘がいる。
誰もが思うことだけど、自分の子供はすごく可愛い。母親よりも俺になついてくれて、アパートに帰ると、いつも玄関で出迎えてくれる。女房いわく、階段をのぼる足音でわかるらしい。
作業着のまま帰宅するので、雨が降ったり穴を掘った日などはけっこう汚れているのだが、娘はかまわず抱きついてくる。なにが楽しいのか、太ももにしがみ付いて、満面の笑顔で見上げながらキャッキャと笑うんだ。
狭いアパートだし、生活するだけで精いっぱいなので、今までひな壇やひな人形のようなぜいたく品を買ってやれなかった。もとが貧困家庭育ちの女房は辛抱することに慣れていて、子供のための行事にお金をかけるという発想がない。
「リサイクルショップを探せば、どこかに安いひな人形があるさ」
無駄な金は使いたくないと渋る女房を、俺はなんとか説得することにした。
「今度の日曜日に、チャリで探してみるよ」
我が家には自家用車がない。この街は都市ではないので交通の便が悪く、市内の店をくまなく探すのには相当の距離をかせがなければならない。
当然、女房はバスや電車の交通費のことを心配するわけだから、その必要がないことを明確にする必要があった。
「だから、ひな壇は俺が作るよ。道具は会社から借りて、材料も板とコンパネはいくらでもあるから」
設備会社だが、たびたび解体などの仕事もやるので、廃材は余るほどある。ひな壇なんて、コンパネと電動ドライバーがあれば午前中で作ることができる。金はかからない。
それでも女房は、今月の電気代が高くなっているとか、お米が足りないとか、ひな祭りとは関係のないことをぐちぐちと言った。母親のこすっからい態度は毎度のことなので、娘は気にせずにアニメを視て歌っていた。将来のアイドル候補は、アイドルアニメが好きなんだ。
俺の実家は、高校生の時に親父がリストラされるまでは中流の生活をしていた。姉も妹もいない一人っ子なので、ひな人形を見ることはなかったが、五月人形は飾られていた。
父親が奮発して買ってくれたピカピカの鎧兜は、なかなか立派なものだった。子供心にも誇らしかったことをよく憶えている。
だから、娘にもそういう思い出を持たせてあげたい。貧乏のあまり、他人の家の人形を羨ましがる子供にしたくないと思った。
そんなわけで、ひな人形を探して休日に自転車をこいでいる。いろんな中古店を見たが、そもそもひな人形自体がなかった。季節的に出回ってもよさそうなのだが、縁起物なので、あんがい手放しにくいのかもしれない。
あたりが暗くなってきた。時計を見ると、すでに夕方を過ぎている。休日の我が家は晩めしが早い。遅れると女房の機嫌が悪くなるので、ぐずぐずしてはいられなかった。
運の悪いことに、途中で自転車のタイヤがパンクしてしまった。急ぐときにかぎってトラブルが起こってしまう。俺の人生ではよくあることだ。マーフィーの何とかだろうか。しかたがないので押しながら歩いている。すると、アパートまであと十分くらいのところで、顔見知りが向こうからやってきた。
サダオだった。こいつとはガキの頃からの腐れ縁で、友だちといっていい。住んでいる場所も近くだ。やつは古い一軒家で、母親と一緒に暮らしている。職業はいちおう不詳だといっておく。
要するに無職のニートだ。いつまでも親のスネを齧っていることは反省したほうがいいと思う。そのことを話すと激怒するので、会話の際は触れないように心がけている。さっそく声をかけた。
「よう、サダオ、元気か」
背中を丸めてタバコを口に運び、少し吸っては吐き出す動作を何度も繰り返していた。貧乏臭い以前に、その動作があやしくて、心ある市民ならば目を合わせようとしないだろう。どう見ても挙動不審だ。通り魔とかをやらかしても不思議ではない。
「ああ、おまえこそ元気かよ。最近、あんまし顔見せねえじゃんか。つか、なにしてんだ。散歩か」
「ひな人形を買おうと思って、あちこち見て回ったんだ」
「おまえに、ひな人形を買う金なんてねえだろう」
失礼な言い方だが、こいつは俺の経済状況をよく知っている。貧乏なりにニートのおまえよりはよっぽど金は持っているが、と言いかけたが止めた。口の悪いヤツだけでも数少ない知り合いの一人なんだ。
「せっかくの桃の節句だから、ひな壇は飾りたいだろう。まあ、金はないんだけどもな、
はは」
「はあ? おまえみたいな、むさっくるしい男がひな祭りとか笑うぜ、へっ」
半分ほど吸い終えたタバコを捨てて、忙しそうに次の一本へ点火する。スパスパとやるが、煙のほとんどが肺に届かず口の周りを燻しているだけだ。
「あ、そうだ、思い出したよ。人形なら森屋のじいさんのとこにあったぞ。売れねえし、人形だから捨てるに忍びないって、処分に困ってたけどな。あんがい、タダでくれるかもしんねえぞ」
それは良い情報だ。無料ということはないと思うけど、そうとうに値引きしてくれそうな感じがする。女房に嫌味を言われずにすむし、俺の懐も痛まない。これは春から縁起がいい。
「うん、さっそく行ってみるよ。ありがとう」
「ケッ」
サダオは不機嫌そうな顔でどこかへ行ってしまった。足元を見ると、吸い殻が三本も落ちていた。いちおう、拾っておいた。コンビニのゴミ箱にでも捨てておくとしよう。
森屋のじいさんは、川向いのあばら家で古物商をしている。古物といっても価値のある物品は見当たらず、ほとんどガラクタばかりだ。もう90歳を超えている店主は、店の前に椅子を出して、商売というよりも日向ぼっこに精を出している。
森屋商店まで自転車を押していくと、さすがに疲れた。昼間に遠くまで出かけてさんざん自転車をこいだので、足のふくらはぎがパンパンになっている。
店主のじいさんは、汚れた椅子に座ってやはり日向ぼっこしていた。皺だらけの顔に朱色の夕陽が薄く貼りついている。
店の前には商品が乱雑に放り出されていた。昭和時代のレジスター、両目が黒塗りされたダルマ、動物の置物や人形が多数、なぜか船の錨まであった。どれもが薄汚れて、あるいは錆びついていて、その一帯は妙にかび臭かった。病弱が通りかかっただけで肺炎になりそうな空気だ。不潔なので、ハエやブヨがブンブンと飛び交っている。
「じいちゃん、ひな人形を売ってるって聞いたんだけど」
この商店を、俺は小さい頃から知っていた。小学校の帰りによく立ち寄ったものだ。当時は、ガラクタ古物のほかにも駄菓子や中古ゲームのソフトが売っていて、それなりに客がきていた。まだじいさんの奥さんが生きていて、楽しく店を切り盛りしていた頃だ。
繁盛とはいかないまでも、活気があって賑やかだった。子供たちが多かったっけ。奥さんが、その当時ですでに婆さんだったけど、得体の知れない揚げ菓子を作ってくれたんだよな。それが甘くて美味くて、放課後が待ち遠しかった。
「人間なんて売ってねえ」
「人間じゃなくて、人形だよ。ひな人形」
さすがに90歳をこえると耳が悪くなっているか。サダオの言っていたことが疑わしくなってきた。
「ああ人形ならあるぞ」
いや、前言撤回。じいさんは、まだ呆けてはいないようだ。
「あんまし、いい状態じゃないんだがな」
よっこらっしょって言って、店の奥に引っ込んでしまった。そのままついて行っていいものか迷っていると、三十秒ほどで戻ってきた。
「これだけどよ」
じいさんが左右それぞれの手に持っているのは、合わせて二体の人形である。しかし、俺の記憶にある一般的なひな人形に比べると違和感があった。
「これって、ひな人形だよね」
「違うな」
「え、ちがうの」
じいさんが、近くにある台にその二体の人形を載せた。俺と並んでじっくりと見つめる。
「内裏雛に似せて作ってるけど、まったくの別物だ。着ているもんが、やけにしみったれてるだろうよ」
たしかに、衣服が地味過ぎだ。ひな人形は内裏雛の結婚式だから派手な衣装が目を引くのだけど、この人形たちが身にまとっているのは、麻袋のような、やや黄ばんだ灰色の着物だ。色使いが単調で地味過ぎる。色がない人形というのは、なんとも貧相に見えた。
「どういう人形なのか由来は知らんが、古いもんらしい」
「どれくらい古いんだよ」
「知らんなあ」
「知らないのか」
そういえば、昔からこのじいさんはとぼけていたな。ばあさんがいなければ、ずっと前に店を潰していただろう。
男人形をじっくりと見る。頭に烏帽子や冠がないし手に笏を持っていない。着物はみすぼらしく、そもそも色使いがまったく違う。だけど、顔はそれなりに凛々しくて品がある感じがするんだ。
女人形は十二単衣ではないし髪飾りの一つもないけど、あの厚みのある特徴的な髪型は同じだ。顔だけを遠くから見れば、ひな人形に見えなくもない。これを買うのは微妙だぞ。
「まあ、もってけよ。いらんから、タダでいいぞ」
無料という言葉に、俺はとことん弱い。ひな人形を買おうと思っていたので、今月の酒代は諦めていたが、お金がかからないのなら儲けものだ。ひな祭りには美味い酒が必須アイテムだからだ。
「見かけは悪いが、なに、衣服だけ着せ替えればいいんだ。おめえが自分で作れよ。どうせヒマだろう」
暇ではないけど、仕事から帰ったらチマチマ作ればいい。俺は男のくせに裁縫が得意だったりするし、女房に手伝わせるのもありだ。二体だけだから、すぐにそれらしくできるだろう。
「うん、もらっていくよ。ほんとに金はいらないのか」
「ああ、こいつらがいると落ち着かなくてな。ずいぶん前から気になってたんだ、そういえば、死んだばあさんも気にしてたなあ」
俺は二体の人形をタダで譲り受けた。自転車の前のカゴに一体を、もう一体を後ろに括り付けて家に帰った。
「さてと」
金をかけずに人形を手に入れたわけだが、ひな人形ではないので中途半端な感じが否めない。コピー商品の出来損ないだと思うが、とにかくきれいな服を作ってひな人形としよう。見栄えさえよければ、娘も満足してくれると思う。
その日は人形を枕元に置いた。こいつらは端正な顔立ちをしているが、どことなく翳があるというか表情が暗いというか、あらためて見ると不気味な印象だった。
こんなものを頭の傍に置いたら変な夢を見るのではないかと不安になった。なかなか寝つけなくて、焼酎をストレートであおって、ようやく眠りへと落ちることができた。そして予想通り、とても気味の悪い夢を見てしまった。
まるで血のような赤い水が流れる小川の辺で、あの二体の人形が絡み合っていた。時刻は真夜中なのだろう。背景は、そこに溺れて窒息してしまいそうなほどの分厚い闇だ。真っ暗なのだが、川の水が赤すぎて周囲を仄かに照らしている。薄赤色の闇の中で、真っ赤な川のせせらぎを聞きながら、あの人形たちが性交に励んでいた。
偽物の作り物たちが織りなす、とても淫靡な光景だった。下手なポルノよりもなまめかしく妖しくて、赤さが際立っている分だけ、エロスに臨場感があった。そんな気を起こしてはいけないのに、おもわず欲情してしまった。
すこし前に寂れた温泉街でストリップを見たのだが、あの時も裸の女と客の男が朱色のライトに照らされて乱れていた。そういう行為を生で見るのは初めてだったので、すごく興奮したことをおぼえている。柔らかな女体から漏れ出る吐息と、やたらと濃い柑橘系の香水が絡みついて、えも言われぬ欲情が心を焦がした。あの色欲な高まりを、朱色に包まれた二体の人形からも感じるのだ。
ハッとして目が覚めた。あまりにも赤裸々な夢だったので、起きてからも鼓動の高まりが止まなかった。まだ真夜中が継続しているのか、目の前が真っ暗だ。だけど瞼の裏側にこびりついている色が目にまできているのか、視界がほんのり赤くもやっていた。何モノかの気配を感じたので、首を左右に振って探ってみた。
「なにもないか」
俺の部屋は本棚もなければタンスも机もない。目立つ物といえば、枕元に置いた例の二体の人形ぐらいだ。まさか人形がガンを飛ばしてくるわけないので、感じた気味悪さは気のせいだったのだろう。悪い夢を見たせいかもしれない。こいつらをどこか違う場所に置いておけばよかったのだが、我が家は狭苦しいアパートであるので、人形を移そうとも空き部屋がなかった。
「とりあえず、寝かせておくか」
どうしても人形たちに見られている気がしたので、伏せておこうと思った。時計で時刻を確認すると、まだ真夜中を過ぎていなかった。また悪い夢を見て睡眠不足になったら、明日の仕事に差し支える。まず俺は、女の人形を手に取った。
「うわあ」
触ったとたん、ぬるりとした感触があった。人形が湿っている。しかも、なんだか人肌に生ぬるい。
「なんだこれ、気持ち悪いなあ」
部屋が暗いので、ヘッドライトの光を当ててみた。白濁して妙に糸をひく汁が、俺の手に付いていた。もちろん人形を触ったからであり、反射的にニオイを嗅いでしまった。
「うっ」
なんだか淫靡な匂いが鼻をついた。俺は夢の光景を思い出した。朱色に包まれた闇の中で、人形たちが交わっていた。どちらのかはわからないが、これはあの時の体液なのだろうか。
いや、そんなことはあり得ない。きっと部屋の湿気で水滴ができて、人形の汚れと混じりあってこのようになったのだ。匂いも、俺は常日頃から欲求不満気味な男で、あらぬ妄想をしてしまったのだろう。とにかく人形たちを部屋の隅に置いて、それらが下を向くように倒しておいた。これで見られているという感覚はなくなり、安心して眠ることができる。
人形の視線を気にすることなく熟睡することができて、起きた時には、お日様がけっこう高くまでのぼっていた。昨夜は散々だったなと思いながら上体を起こして、すぐに凍りついてしまった。
なんと、あの二体の人形が枕元にいるではないか。いかにも人形らしく行儀良く座って、俺のほうを向いている。たしか部屋の隅によけて、さらに寝かせておいたはずなのだが、これは一体どういうことなのだ。寝ぼけて自分で戻したのだろうか。いや、そんな器用なことなどできない。
そうか、きっと娘がイタズラしたのだろう。なにせ、いま時期は珍しいものを見ると、やたらと触らずにはいられない年頃だ。むやみに叱ったりせずに、折を見てやんわりと言い聞かせておくか。女房にも伝えておかなければならないと思った。
その日は、午後から人形に着せる生地を調達しに出かけた。カラフルできれいな仕上げにしたかった。かといって値段の高い生地を買うのは躊躇われる。女房にイヤな顔されそうだし、そんな金があるならば娘にオモチャでも買ってやったほうがいいのでは、とも考えてしまう。出費はできるだけ抑えることが大事だ。
アパートの近くには生地を売っている店がない。少し離れた場所にあるショッピングモールまで行かなければならないが、俺には考えがあった。店で買わずに、タダで手に入れる方法があるのだ。
俺の部屋から少しばかり歩くと、一軒のゴミ屋敷がある。ここら辺ではわりと有名で、家主は頭のネジがぶっ飛んでしまった孤独なじいさんらしい。
どうやって集めたのか知れないが、とにかくゴミの量がハンパじゃないんだ。少し古めの一軒家で敷地もそこそこ広いのだが、ゴミが家を取り囲むバリアのようにうず高く積もっている。門の前などは、そこに門があるのかどうかも確認できなくなっていた。あげくに歩道にまでこぼれ落ちている始末だ。
近所からの苦情で役所の人が何度も注意しに行っているらしいが、じいさんは聞く耳を持たない。逆にくってかかる始末だ。法的に強制撤去とはいかないらしく、付近の人たちのイライラの種になっている。暑い日には生ごみの熟成された臭気がむわっと立ち昇り、無数の黒い妖精たちがブンブンと飛び交っていた。ネズミやゴキブリも大量発生している。
そのゴミ山の一角に布地というか生地というか、布製品の切れ端が大量に積み上げられている箇所があった。家の正門からは正反対の裏路地に面し、その向こうは古寺の塀だ。滅多に人が通らす、だから見つかりにくい場所となる。
路地にただ積まれているだけなので、上の生地はたいがいに汚れていて、いかにもゴミ屋敷を構成するアイテムといった景色だ。ちらっと見ると衣服類らしいが、近くから確認すると実は違う。まだ加工されていない生地の山なんだ。おそらく、倒産した縫製工場からかっぱらってきたのだろう。
「よし、こいつをもらってこうかな」
ゴミ山表層の生地は、長年の雨風に晒されてしまい、いいあんばいに汚れている。なので、布っ切れをモグラのようにかけ分けて、下へ下へと掘り進んだ。そうして、清潔で見栄えのするものだけを選び出した。ハサミを持参しているので、頃合いの大きさに切って汚れと折り目が付かないように丸めた。服を着せる人形は二体しかないので、量はそれほど必要ない。色を何種類かもらえればいい。
途中、足元を猫ほどもあるネズミが通過したり、宝石のように煌びやかなゴミムシが何匹もいた。毎度毎度、ここは驚かされることが多い。
「おまえ、こんなとこでなにやってるんだよ」
チャリンコの前カゴに今日の収穫物を積み込んでいると、後ろから声をかけられた。聞きなれた声なので、誰が来たのかすぐにわかった。
「なんだ、サダオか」
背を丸めてせわしなくタバコを吸うその男は、今回もサダオだ。とくにのぞんだわけでもないのに、このところよく遭ってしまう。ゴミ屋敷の前でこいつと一緒だと、なんだかこっちまで貧乏な感じに見られてしまいそうだ。
「この家に金になるもんなんざねえぞ。ほじくるだけ無駄ってもんだ。それよりよう、鶴見川の河口でアナジャコ獲れてんだ。いっしょに行かねえか。アサリもあるってよ。ちょっと遠いんで、おまえのチャリにのせてくれや」
ヤニで黄色く汚れた歯を見せつけながら言う。吸っていたタバコをアスファルトに押しつけて揉み消し、元は飴玉が入っていたアルミ缶に入れた。シケモクとして再利用するのだ。最近のタバコはバカ高い。無職で金がないサダオは、じつに節約上手だ。
俺は人形の衣装づくりをしなければならないので、こいつを相手にしている暇はない。だから、あさっての方向を見てやり過ごそうとした。
「なんだ、この布っ切れは」
俺がなかなか返事をしないので、サダオは手持ち無沙汰だ。会話のきっかけを作ろうと、カゴの中身を物色する。仕方がない。少しだったら付き合ってやるか。
「人形に着せる生地を集めてんだよ。店で買ってもいいんだけど、ここにあるので十分にこと足りるからな」
「人形って、この前言ってたひな人形か」
「ああそうだよ。サダオが教えてくれたから、森屋商店で買ってきたんだ。ひな人形じゃなかったけれどもな」
本当はタダでもらったのだが、正直に申告する必要もないだろう。こいつに恩を感じたくはないし、そうなったら人生終わりのような気がする。
「おまえ、ほんとうに買ったんか、金もねえくせに」
癪に障ることをまた言われてしまった。たしかに我が家は裕福とは言い難いが、ニートよりは百倍マシだろう。おまえに人の懐具合をとやかく言う資格はない、と胸ぐらでもつかんでやりたかったが、ゴミ屋敷の前でゴミのような生活をしている人間とケンカしても虚しいだけだ。
「娘が喜ぶからな。父親として、できることはしてあげたいんだ」
「は~ん」
小ばかにした顔が俺を見ていた。身寄りは年金暮らしの母親だけで、女房も子供もいない中年男に、養うべき家族を背負っている者の心境を理解できないだろう。そうやって見下した態度をとるのは、己が少しでも高みにいると虚勢を張りたいだけだ。まったくもって、卑しい奴だ。
「まあ、なんだ。そこまで言うなら好きにすればいいや。だけどよう、あんましみじめなことすんなや」
この忠告は的を得ている。
たしかに、ひな祭りの準備をゴミ屋敷のゴミ山から漁るというのは、せっかくのお祝い事を穢してしまう気もする。女房や娘が見ていたら、きっと心を痛めるだろう。
「モクがなくなりそうだから、帰るわ」
新たなシケモクに火をつけて、相変わらずの貧乏くさい猫背で行ってしまった。タバコの残り臭とゴミ屋敷からの異臭が混じって、気分が悪かった。
サダオに言われたことが気になってしまった。チャリンコのカゴに積んだ布切れをいったん取り出して、もとあった場所に戻そうかと悩んだ。だけど生地を買うとけっこう高いし、その分をケーキや娘のプレゼントに費やしたほうがいいと思いなおした。所詮、一日しか飾らないものだからな。
ただ、底のほうに埋もれていた生地が汚れてないとはいえ、ゴミ屋敷特有の悪臭が沁み込んでいて、顔を近づけるとムッとしたゴミ臭が湧いてくる。だから、いつも利用しているコインランドリーに立ち寄って洗濯することにした。
乾燥機を使わなければならず、600円の出費はさすがに痛かったが、悪臭がする人形など娘の眼前に披露できない。部屋の中も臭くなるし、呆れた女房が口をきいてくれなくなる。
彼女は機嫌が悪くなると無口になって、さらに目も合わせようとしなくなってしまう。そうすると俺は長い間、時には何か月も誰とも話さない状態が続くことになってしまうのだ。生涯独身のサダオにはわからないと思うが、家族関係を存続させるには、日々の気づかいが欠かせない。
アパートに帰ると、すぐに人形に着せる服を作り始めた。平安貴族風の豪奢なものを目指して切ったり縫ったりして、時間が経つのも忘れて夢中になった。
この二体は、どうやらひな人形ではないらしいが、出自はどうであれそれらしい派手な衣装を着せれば代理にはなるだろう。一日だけだし、その日が過ぎれば押し入れの奥にでも押し込んでおけばいいさ。
夜中になってようやく衣装が出来上がったので、さっそく着せてやることにした。男の人形から元の衣服を剥ぎ取ろうとしたが、なんだかうまくいかない。粗末なつくりの着物のくせに、ぴったりと密着している。いま着せられている衣装は使わないので、ハサミで切ってもよかったのだが、そうすることが悪いことのような気がした。あれこれやりながら、なんとか脱がすことができた。
「ひゃっ、なんだこれは」
驚いて、声をあげてしまった。人形の身体があまりにも悲惨な状態だったからだ。
「腐ってんのか」
人形の素材が何なのかは知らないが、腐っているのだと思った。火傷で肌全体がひどく化膿しているように見えた。粘っこくて汚らしい腐れ汁が、衣服の裏地にしみこんでいる。
膿んだ傷にガーゼを当てて、一晩経ってから剥がしたような感じだ。ムリに脱がしたものだから ベロベロとした汁が糸を引いていた。苦痛を感じているのか、男人形の表情がこわばっているようにも見えた。
「臭いなあ」
しかも、ひどい臭いだ。チーズが腐ったような、あるいは腹を下した時の糞便のような悪臭が、むわっと沸き上がってきて、一瞬吐きそうになった。
やはり、材質が腐敗している。これは洗ったほうがいいだろうと思い、台所に行って蛇口の下に人形を置いた。水を直接ぶっかけるのは気が引けたが、この臭いは耐えられそうにない。女房や娘も、よほど嫌がるだろう。しっかり流さなければと、蛇口のハンドルを回した瞬間だった。
わしゃわしゃわしゃーーーーー、と人形が突然動き出して、俺の手に絡みついてきた。
「うわうわ、ああああ、わああ」
親指が折られるんじゃないかと思えるほどの強烈な力だった。掴んでいるというよりも、必死にしがみ付いているといった印象だ。その理由はすぐにわかった。俺が水をかけているからだ。ケロイド症みたいな身体に、冷たい水は硬質の刃なのだろう。耐えがたき苦痛と、そのことを強いている者への怒りが伝わってきた。
「な、なんだ。うわあ」
パニックになってしまい、どうしたらいいかわからなくなった。水を止めればよかったのだが、焦っているので人形にばかり気持ちが寄ってしまう。動物ならいざ知らず、どうして作り物が動くのだと、たいして良くもない頭で必死に考えたが、納得のいく結論を得ることができなかった。
「はなせ」
こいつは、小さいくせして尋常じゃない力だった。ひょっとして電池で動いているのではと思ったが、それにしては電気仕掛けにありがちな直線的な動作ではない。あきらかに、生きているという意志を感じるんだ。
「ちくしょう」
毛が抜けきったドブネズミに抱き着かれているようで、気色悪くて仕方がない。膿だらけのヌルヌル粘々が、とてもイヤな感触なんだ。しかも、手のひらに突起が当たっているような気がする。まさか毒針でも生やしているのではと心配になった。
男人形は左手にしがみ付いているので、空いている右手で引きはがそうとしたが、ヌルっと滑るので掴みにくい。あまり力を入れすぎると、表面の肉みたいのが剥がれてしまうのではないかと躊躇してしまう。それでも何とか引き剥がして、それをキッチンの洗い場に置いた。
「なんじゃいこれは」
思わず叫んでしまった。だって、こんなの見たこともないし、ありえないことだろう。
男根なんだ。
この男人形にはペニスがあって、それが勢いよく屹立しているではないか。全身が腐っている痛ましい身体で、それだけは怪我もなく妙に生々しい肌色を伴って、なにかの情動を主張するようにおっ勃ってるんだ。
ハッとした。
足元に何かいる。ネズミでも出たのかと思ったが違った。もう一体の女人形が、立ち始めたばかりの赤ん坊みたいな危なっかしい足取りで歩いているではないか。
バタバタバタと、洗い場の中で男人形が跳ねていた。イキの良い鯛でも捌こうとしているのかと錯覚してしまう。あるいは身体に爆竹でも巻き付けていたのか。とにかく、うるさいほどに暴れていた。
水がかけられたままなので、しぶきが俺の顔にも飛んできた。とても冷たく感じて、なるほどこれを全身に浴び続けたらさぞや痛いだろうと納得し、いそいで蛇口を回して水を止めた。
左足のふくらはぎが痛かった。なんだと思って見ると、女人形がしがみ付いている。しかも、そいつが登ってくるんだ。顔を真上に向けて、なんだか笑っているような表情でよじ登ってくる。
「わあ」
女人形が登ってくるほどに、俺の全身に戦慄が走った。気色悪さと、なぜこんなことになっているのかわけがわからなくて、頭の中がひどく混乱している。何かをしなければと思ったが、身体を動かすことに抵抗を感じた。少しでも揺れると、太ももにいるやつが反射的によくないことを仕出かすのではないかと想像してしまう。
浅い呼吸を何度か繰り返しているうちに、そいつは首元まで登ってきた。その小ささからは予想できない力強さで、俺の襟首をグイっと引っ張った。
「な、なんだ」
その強引さに引き寄せられるままに顔が近づいた。すると、女人形が俺の頬を撫でながら耳元で囁いた。何と言ったのか、聞いた瞬間に忘れた。そうしなければ、俺の精神はすぐに崩壊しただろう。
女人形の顔が俺と向き合った。そいつは憎たらしいほどニンマリすると、バッタのように跳んだ。ドンッ、と洗い場のステンレスが凹む勢いで着地すると、男人形が陰茎を逞しく屹立させながら女人形に抱き着いた。艶めかしい喘ぎ声が聞こえたように思う。気づくと、それも素っ裸になっていた。
女人形の裸体は平凡だった。火傷も傷痕もなく、ごくごく普通の状態であり、ありふれた人形の素肌といえた。男人形がひどかったので、さぞかし気持ちの悪いことになっているのだと想像したが、そうでなくてホッとした。
台所の洗い場の中で、二体の人形が絡み合っていた。くんずほぐれつの性行為を始めている。見ていることが憚られるほどの、いやらしい内容だった。ここに娘がいなくてほんとうによかった。子供には、とても見せられない行為だからだ。
「はっ」として目覚めた。
真っ暗だった。なぜ闇の中にいるのかわからず焦ったが、すぐに思いついた。
そうか、俺は寝ていたんだ。ゴミ屋敷で人形に着せる布切れを物色し、サダオに嫌味を言われて帰ってきた。そして我知らず寝入ってしまったんだ。頭の傍にあった時計を見ると、夜光の針が午前一時半を示していた。疲れてしまって、布団にも入らず畳の上にゴロ寝をしたようだ。
部屋の隅を見た。人形たちは行儀よく並んで畳の上に座っている。なんだかきれいだなあと思ったら、衣装が替わっていた。あのズタ袋のようなくすんだ色の服ではなくて、赤や黄色や紫が良く映えている豪奢な着物になっていた。まるで時代劇のお殿様やお姫様のような見栄えだ。部屋の照明は点けていない。暗闇なのによく見えているのは不思議なことだ。
俺は部屋に帰ってきて、ゴミ屋敷から拾ってきた布切れで衣服を作り、人形たちに着せていたんだ。戻ってから寝るまでの記憶が飛ぶほどにぐっすりと寝ていたということは、一生懸命が過ぎたようだ。
裁縫はやり始めると熱中してしまうし、そうなると時間の経過など気にならなくなる。ふだんの生活で集中力を使うなんてことは滅多にないから、たまに頑張りすぎると寝落ちしまうのだ。人形たちが台所の洗い場でたわむれていたのは、夢の中での出来事だろう。疲れていると夢見が良くないからな。
そんなことを考えていると、キリキリとかコキコキコキとか、妙な音がしてきた。なんだろうか。照明を点けようとして立ち上がった時、ふと下を見た。
女人形の胸のところが膨らんでいるのがわかった。しかも着物が動いているではないか。せっかく着せた衣装の内側にゴキブリでも入って、うごめいているのだと思った。
何かが出てきた。ああ、違う、ぜんぜん違う。虫なんかじゃないぞ。
女人形のふところから這い出してきたのは人形じゃないか。それも子供だ。いや、赤ちゃんか。とにかく小さくて細い。それが気色悪く動いていた。
痩せすぎだろう。なんでこんなに細いんだ。
ふつう、赤ん坊ってもっとふくよかで、丸っこいものだ。でも女人形から這い出してきたのは。赤子の骸骨に少しばかりの肉が貼りついているだけの、なんだか得体の知れないモノだ。それが、いやそいつらが、何匹も出てくる。次から次へと、まるでアリの巣穴に指を突っ込んでほじくり返したようだ。
それに、さっきから響くこの音は何なんだ。ある意味では小気味よいのだが、痛みを連想させるような鋭い断続音であって、とてもイヤな感じがする。どうやら、女人形のふところから湧きだしてきた赤子たちから鳴っているようだ。ためしに、真っ暗な畳の上を動き回る一体を手に取ってみた。
ああ、これは酷いな。骨が折れているじゃないか。アバラや腕の骨があちこち折れていて、頭蓋骨までもヒビが走っている。耳障りな音の正体は、こいつらが動くたびに身体中の骨が折れるからだ。
後ろが唐突に明るくなった。照明が点いたわけではない。テレビの画面が勝手に点灯したのだ。使わなくなってからだいぶ経っているが、まだ生きていたようだ。
「これは」
ブラウン管から洩れ出る灯りが朱色に広がっている。画面に映し出されている内容が、赤に関連する場面であることがわかり、なんだか気味が悪くて、そこを凝視しないほうがいいのではないかと思った。しかし、振り向いてしまったのでもう遅い。俺は見なければならない。
テレビ画面の中で繰り広げられている光景には既視感があった。俺が小学生の時だ。博物館か図書館か、はたまた映画館であったか場所は定かではない。案外、お寺に飾られた蒔絵だったか。ただし、内容はよく憶えている。心の柔らかな壁面に、ガリガリと傷をつけられたからだ。
地獄の光景だった。痛みと苦しみの権化である鬼たちが、亡者たちなぶり殺しにしていた。いや違う。そこはあの世の果てなので、どんなに過酷な拷問を受けても死ぬことはない。
巨大なノコギリを股の間に当てられている人がいた。痩せてはいるが、下腹だけはポコンとつき出ている。どこぞの大陸の栄養失調な子供みたいだ。フンドシ一枚の姿が、なんとも哀れに見えた。
大ノコギリの両端に鬼がいた。諦めきった男のしょんぼり顔がこちらを見ている。目線がどうにも卑しくて、生きているときに為してきた所業の悪辣さを想像してしまう。
角の生えた者たちが、両側からノコギリをひき始めた。絶叫は、機械仕掛けの音量となって排出された。とても受け入れられないので、テレビのつまみを小さいほうにするが、壊れてしまったのか調整ができない。こんな呪わしい音を、女房や娘に聴かれてはマズいと思った。
「おおーい、耳をふさげ、この声を聴いちゃダメだ。ぜったいにダメだ」
怒鳴るように言ってしまった。返事がないのは、俺の言い方に女房が怒ってしまったからだろう。
他の亡者たちの有り様も、悲惨に尽きた。
全身をハンマーのような道具でくまなく叩き潰されたり、ナタのようなもので切り刻まれている。硬質な石台の上で、鬼たちは骨や肉を頃合いの部位に捌いていた。その間、苦悶に満ち満ちた叫喚はおさまることがなかった。
火炎に焼かれている亡者の呻きもまた、悲痛の極みだ。太い丸太に肛門から口までをくし刺しにされて、轟轟と音を立てる炎に焼かれていた。鳥の丸焼きのように回すので、亡者は全身くまなく焼け爛れていた。
焼きゴテを鼻の穴に突っ込まれ、グリグリされているのは痩せたおばさんだ。だらりと垂れ下がった乳房が老婆みたいで、ほかの亡者と同じく下腹が突き出ていた。焼きゴテは真っ赤に火照っているので、その赤さが鼻の皮膚から透けて見えた。生肉が焼けるニオイが鼻をつく。焼けているはずなのに、ひどく生臭かった。
「おい、この臭いを嗅ぐなよ。鼻がもげるぞ」
地獄の真髄を、まだ幼い娘の五感に当てるわけにはいかない。こんなの、ちょっと嗅いだだけで心が爛れてしまうではないか。
突然、画面に色がなくなった。一面に白と黒のゴマが、ザザーッと波打つ。砂の嵐だ。最近では見なくなったが、深夜の放送が終わるとこんな画面になる。とにかく地獄の光景が止んだので、ホっと息をついた。あの凄惨な場面を視聴し続けるのは精神的によくない。まして、女房と娘が見たらどうなることやら。
安心していたら、ザザーっと唸っていた画面が急に静かになった。ブラウン管の中央に小さなシミのような模様がある。一瞬後、カメラでズームするように、それが大きくなってきた。
なんだ、と思っていたら、男女二人のお人形が画面いっぱいに並んで座っているではないか。あの人形たちだ。俺がこしらえてやったきれいな着物をまとっているが、どこか陰鬱で不吉な匂いがする。
「ああ、なんてことだ」
理由はすぐに分かった。人形たちの頭が鋭く膨らんでいる。二つの角が生えていた。
画面は引き始めている。二体の人形が小さくなり、周囲の状況が見えてきた。
地獄の鬼たちが宴会をしていた。全身に亡者の返り血を浴びて、血だらけになった鬼たちがいた。皆、胡座をかいて座り、得体の知れないドロッとした液体を飲んでいる。
そうか、これは地獄の結婚式だ。あの二体の人形は鬼の王と王妃を模しているのだ。婚姻の儀式にまねかれた鬼たちが、宴会をやっている絵面だ。俺が貰ってきたのは、ひな人形ではなく、鬼人形だった。女の子の節句などでは断じてない。地獄の節句だ。血みどろの祝いなのだ。
再び、画面が二体の人形のアップとなった。なぜか俺は、そこから目が離せない。見えない拘束具で固定され、さらに引っ張られるように顔が接近していく。鼻がしらがブラウン管に触れるばかりの距離になっていた。
俺の頬を撫でたのは、女の鬼人形だ。目玉でも抉り出されるのではと焦ったが、優しい接触だった。母親にでも気遣われているように心地よかった。
画面の向こうから人形の手が、そして本体までもが出てきた。ブラウン管のガラスがたたき割られた覚えはない。まるで、水面から波紋も立てずに浮かんでくるようだった。
そいつが、俺の耳元で囁くように言うんだ。子供たちがいるから、子供たちのお祭りなのだから、欲しいのだと。
「なにを」と訊き返した。
血と肉である。
「な、」
可哀そうな子供たちは、ほとんど骨でしかない。あの子たちの成長や無病息災を祝うのに、骨だけでの姿では忍びない。是非とも血と肉を付けてあげたいと言う。
「そんなの知るかっ。肉屋にでも行けよ」と言ってやった。
今度は、男の鬼人形が画面の向こうから這い出てきた。俺の、もう一方の頬に顔をくっ付けながら言い放った。
人でなければいけないと、えらく真剣な表情で迫ってきた。しかも、生きた人間の血と肉なのだということだ。
「まさか、俺を狙っているのか」
寒気がした。この鬼人形に生皮を剥がされてしまうのではないか。あの地獄の光景の中で、亡者たちと同じ残虐をされるのではないかと怖くなり、背中に刺すような戦慄が走った。
人形の子供たちが足元にいた。いかにも骨っぽい骸骨人形だ。カラカラと小気味よい音を出しながら、俺の左足のふくらはぎをまさぐるのだ。
「うわあ、痛え」
信じられないような痛みだった。慌てて足をあげようとするが、まったく動かない。凍りついたかのように身体が固まっていた。
おまえの足の血と肉を少しもらった、と鬼の男人形が言った。たしかに、俺のふくらはぎが変だ。血が出ているし、肉が剥がされていている。三センチ四方だろうか。どうりで、激痛なはずだ。
骸骨人形な子供の一体がおかしい。相変わらずの細身な体躯であるが、背骨とあばら骨に厚みを感じた。少しばかり肉がついている。骨の隙間から粘り気のない血が滴り落ちていた。
「ああー、俺のだ、俺の肉だ」
ふくらはぎの肉がえぐり取られて、子供人形はそれをまとっているのだ。
子供たちのために、もっともっと血肉が必要だと男人形がしつこい。俺の耳に顔をくっ付けて囁く。
「冗談じゃないぞ」
地獄にいくらでも亡者たちがいるだろう。鬼たちがバラバラに引き裂いた肉片がたくさんあるのに、どうして俺の肉を削ぎ落とさなければならないのだ。
「な」
現世に生きる人間の血肉でなければならないと、きらびやかな着物をまとった鬼の人形が、さっきと同じことを繰り返した。ねちゃねちゃと唾を噛みしめながら、とてもイヤらしい口調だ。
さらに、こともあろうにおまえがやれと命じられた。俺が誰かを殺して、その血と肉を集めるということだ。
「ふざけるな」
もしやらなければ、おまえだけではなく女房と娘が削ぎ落されると、生温かで糞臭い息を吹きかけられた。
「うわあ、それはだめだ」家族に手を出すのは、絶対に許容できない。俺は身体の芯が熱く火照るのを感じた。
いつの間にか、テレビが消えていた。砂嵐もなくなり、ブラウン管は押し黙ったままだ。足のふくらはぎが痛くてたまらない。急いでティッシュをあてて、粘着テープをぐるりと巻きつけた。
鬼たちの子供に誰かの血肉を供さなければならない。躊躇いは家族の命脈を立つことになる。すぐにでも行動しないと、手遅れとなってしまうのだ。
押し入れの奥からノコギリを二本引っぱり出した。
大きいのは中学生の時、技術の授業で使っていた両刃のノコギリだ。小さくて得意な形状をしているのは、金属を切る金切り鋸だ。どちらも最後に使ってからずいぶんと年月が経っている。赤茶けた錆がこびりつき、鉄臭いような生臭さがきつかった。台所に行くと出刃包丁があったので、砥石が薄くなるほど入念に砥いだ。三日月の淡い明かりに照らされて、鋭くなった部分がギラギラと輝いていた。
すぐに二階へと駆け上がった。ドアを開けて土足のまま中へと上がり込んだ。その部屋には、ひどく太った女がいた。職業不詳で、親の仕送りで生活しているらしかった。だらしないのでドアの鍵などかけていない。デブのくせに階段をドタドタと足音を鳴らしながら駆け上がるので、腹立たしいと思っていた。
タオルケット一枚を被って寝ていた。俺の存在に気づかずにイビキをかいているので、勢いをつけて顔を蹴ってやった。「ぐっへ」と海獣みたいな呻き声を吐き出した。暗闇の中、俺を見る目が白くギラついていた。
「ぎゃああ」と悲鳴をあげた。その醜い体躯に似合った、じつに汚らしい声だ。食べカスだらけの歯を見せて、ぶよぶよの顎を震わせている。
どうせこのアパートに他の住人はいない。廃屋寸前で、住んでいるのは俺と上の住人であるこの女だけだ。住宅地から離れた工場地帯のドブ川沿いに、一軒だけポツンと残されている。夜中にいくら喚こうが、誰も気づきはしない。
最初に、暴れまわらないように手足の腱をぶった切ってやった。ギャアギャアうるさいので、喉に拳を叩きつけて声帯を潰した。
「脂だらけだなあ」
分厚い脂肪で切りにくかった。さらに生きたまま切り刻まないといけないので、いくら手足の自由を奪ったとはいえ、樽のような巨体がビックビックンと大げさに爆ぜる。
魚もロクに捌いたことない俺だから、一冊の肉片を切り出すのにも時間がかかった。大量の血も必要なので、血管という血管を切りまくった。首と太ももからよく出血した。蛇口をひねったかのように止めなく出てくるんだ。
いくつかの塊に分けて自分の部屋へ持ち帰った。顔にしずくがかかるので、雨が降ってきたかと思って上を見た。
「血か」
上の階にある女の残骸からだ。肉をほとんど削ぎ落したので、出血の量が半端なかった。シャバシャバとした血だまりに、肉のカスがこびり付いた骸骨が溺れているのだ。あれだけ太っていたのだから、収穫は多かった。
男人形が微笑んでいる。テレビが点り、ブラウン管の向こうで女人形が踏ん張っていた。カエルのような姿勢で次々と骨を産み落としている。それらは、俺のふくらはぎをえぐった、あの子供たちと同じだ。
デブ女の身体では十分ではなかった。人の血肉は、人形にとってわずかのカロリーにしかならない。子供たちは相変わらず痩せこけて骸骨のようだ。男人形が手招きしながら、もっともっとほしいのだと言う。そうでなければ俺の家族が犠牲になる。娘を切り刻まなければならない。生きたまま、あの柔らかな肌に血しぶきをあげさせるという最悪が訪れてしまう。
「わあ、わあ」と喚きながら、俺は外に出て真夜中の住宅地を突き進む。河川敷までやってきた。ここには、橋の下をねぐらにしているホームレスがいる。初老の夫婦で、十年以上住み着いていた。
二人をやるには出刃包丁では物足りないと心配になったが、俺の手には切っ先がよく尖った剣先スコップがあった。夫婦は、橋の下のコンクリート台座部分に薄汚いマットレスを敷いて寝ていた。汗が凝縮して、劣化した油と混ぜ合わせたような、すえたニオイがした。
「わあ、わあ」と叫びながら、俺はスコップを振り下ろした。手ごたえというには弾力がありすぎたが、切っ先に確かな手ごたえを感じた。スコップは男の首に突き刺さっていたが、骨に当たって止まっている。血は吹き出しているが、中途半端であった。
「ぎゃあ、あ、あんた、なんだ」
横に寝ていたババアが叫んだ。暗いので顔はよく見えないが、顔中が口になっているようだ。
スコップの肩の部分に足をかけて、全体重をのせて押し込んだ。ポロっと首が胴体から離れた。すぐに、首なし死体の衣服をむしり取って裸にした。胴体から血が流れだしている。もったいないので、近くにあった洗面器をあてがった。それもすぐにいっぱいになりそうだったので、ババアに他の容器をもってこいと命じた。
すると、「ひゃあああ、ああ」と、まるで喉の器官に穴でも開いたような悲鳴をあげて、 どこかへいってしまった。
特売品である4リットル焼酎のペットボトルがあったので、中身を捨てて洗面器の血を入れた。スコップを数十回振り下ろしてホームレスを細切れにした後、リュックに入れた。骨の分は含まないので軽いはずだと思ったが、じっさいに背負うとずっしりと重かった。
部屋に帰り、リュックの肉片とペットボトルの中身を床にぶちまけた。これで足りるだろうと考えていたら甘かった。とくに鬼の女人形の機嫌は悪く、まさに鬼のような表情で、もっともっとと催促するんだ。
真っ暗だった部屋が、うっすらと白けてきた。いつの間にか常闇が明けようとしている。俺は再び外に出た。血と肉が足りない。もっともっと集めなければ、女房と娘がひどいことをされるだろう。俺は、やり遂げなければならないんだ。
自転車を立ちこぎして、森屋商店までやってきた。半世紀以上建ち続けている店は、シャッターが閉じられ続け、いい具合にサビついていた。小学生の頃は、学校帰りによく立ち寄ったものだが、数年前に婆さんが死んでから閉まったままだ。シャッターと地面との境界線から雑草がのびて、俺の背丈を超えている。
店の左側に通路があり、そこを進むと玄関になる。ガラスの引き戸を叩き壊して中に入った。店主のじいさんは電動ベッドに寝たきりなので、そこに乗って顔を思いっきり踏みつけてから、床に蹴落としてやった。
「よくも鬼の人形を売りつけやがったな。あんたのせいで、俺の家族はヤバいことになってんだ」
じいさんを引き起こして、グイグイと首を締め上げた。こいつがあの地獄人形を売りつけたせいで、女房と娘が切り刻まれるかもしれない。憎たらしくて仕方がない。手加減など不要だ。
「あんた誰よ。お父さんに何をするのっ」
ババアがやってきた。店主の女房にしては若いが、中年女というには年増すぎる。父さんと言っているから娘だろう。
「わああ、きゃあ、ぎゃああ、・・・ぎょえ」
うるさく喚きだしたので、持っていたハンマーで頭蓋の頂上を叩き割ってやった。血はあまり出なかったが、ズシリとした手ごたえはあった。まだ死んでいないので、捌くのは早いほうがいい。持参した出刃包丁で頭の皮を剥がして、それをかぶった。ヌルっとした感触が気持ち悪かったが、禿げ頭の俺には似合いだと思った。
「ああ~、ああ、おま~」
じいさんがもたれかかってきた。ボケた寝たきり老人のくせに生意気だ。ふくらはぎを蹴飛ばしたら転んだので、尻の真ん中に出刃包丁を突き刺してやった。そして全体重をかけて押していく。枯れきった体躯のわりには出血が大仰だった。洗面器があったので、それを尻にあてて血を集める。後で、ペットボトルに入れ替えて持ち帰ればいい。だいぶ前にも経験していることだ。
「くせえなあ」
じいさんの内臓は独特の臭気があった。生臭いというよりも、ケミカル臭に近い。便器に放り込まれている芳香ボールを思い出してしまった。
ババアはやせ細っていて、思ったほど肉がついていない。じいさんと合わせても、リュックサックに収まらないということはなかった。
リュックサックを背負って、森屋の家を出た。朝陽が眩しいかと思ったが、実際は夕焼けで 気分が悪くなるほどの朱色が映える夕陽だった。
「よう、久しぶりだなあ。おまえ、生きてたのか」
声をかけてきたのはサダオだ。背中を丸めて、ひっきりなしにタバコを吸い続けている。相変わらず貧乏くさくて、見ようによっては卑屈が過ぎた。
「背中に何しょってんだよ。山でもいくのか」
のんきなことを言うのが腹立たしい。もとはと言えば、こいつがじいさんから人形を買えとそそのかしたのだ。そのために俺は、こんなにも苦労しなければならないんだ。
「森屋のじいさんに、この前買った品物が不良品だって、文句言ってきたんだ」
「あのジジイ、もう何年も寝たきりだったんはずだけどな。商売なんてやってたんだな」
日が暮れるのが、ずいぶんと早く感じた。
「てか、おまえ、その髪の毛はどうしたんだ。カツラか」
サダオは視力が極端に悪い。地毛とカツラの区別もつかないんだ。
「なあ、女房が晩飯を作ってるから、うちに来ないか」
「あ?」
「だから、今晩はスキ焼きなんだ。たまには食いに来いって話だよ」
こいつは年金暮らしの母親から小銭をもらっているだけの、しょせんは貧乏人だ。ロクなものを食ってないはずで、あたたかな家庭料理には飢えているだろう。肉をつつきながら、娘の成長を語ってやろうかと思った。
「女房って、なにいってんだ。おまえ、いつ結婚したんだよ。つか、電気も水道もガスもねえ、あの廃墟アパートに女がいるのか。へっ」
せせら笑っている態度が腹立たしかった。
「女の子って、意外と成長が早いんだよ。赤ちゃんだとおもってたら、もう幼稚園の年長さんでさ」
「はあ? もしもーし。おっさんになっても童貞なおまえに女がいるとか、子供がいるとか、どこのおとぎ話なんだって」
ヤニ臭い息が気になった。家に来ても、娘の前ではタバコを吸わないように言わなければならない。
「娘の前では禁煙してくれよな。女房にどやされるし」
「なあ、ニートやりすぎて、とうとう頭がイカれちまったのか。タバコを吸うのはおまえだろうに。まあ、無理もねえか。電気もねえ、なにもねえボロアパートに住んでるんだからな」
サダオは酒飲みだけど、我が屋にはビールすらない。途中で焼酎でも買っていくか。
「泊っていくんだったら、布団を敷いとくように女房に電話しとくわ」
「電話って、おめえはケイタイを持ってねえだろう。金なくて買えないくせに。それよか、おふくろさんはどうした。ずっと姿を見せてないって噂だぞ。最後に見かけたときなんて、喘息でひでえ咳してたけど、あれよう、病院に連れて行ったのか。もう何年も前だぞ」
俺はこいつを殺さなければならない。肉をえぐって血を噴き出させ、それを鬼人形の子供たちに与えるのだ。さもなければ、ケチ症の女房もアニメ好きな娘も、あの鬼人形どもの餌食にされて地獄に引きずり落されてしまう。
歩きながら話していたので、いつの間にか俺のアパートのすぐ目の前まで来ていた。サダオは俺の頭を珍しそうに眺めていた。
「おめえ、頭から血が出てねえか」
汗だと言ってやった。運動不足がたたって、少しの距離でも汗だくになってしまうのだ。
「その足、大丈夫かよ。チャリで転んだ怪我、まだ治ってねえのか」
あたりは真っ暗で、しかも無音だ。カラスの鳴き声も、虫の呻きも聞こえてこない。胸のすくような静寂が心地よかった。
「おめえのアパートよう、相変わらず不気味すぎて寒気がする。よくこんなとこに住んでられるな。オレはいくぜ」
吸いかけのタバコを投げ捨てた。背中を見せたサダオを、俺は思いっきり蹴飛ばした。
「ゲハっ」と言って地面に転がったサダオに圧し掛かった。間髪入れずに、ナイフで足の健を切ってやった。よほど痛いのか、ギャアギャアと叫びまくるが、この辺には家が少ないので、様子を見に誰かがやってくることはなかった。
のたうち回るサダオを引きずって部屋の中に入れた。暗闇には慣れているが、今晩は月も星も出ていない、まったくの真闇だ そういえば、お盆には地獄の釜の蓋が開くと母さんがよく言ってたな。真っ暗な穴に落ちれば、真っ赤な地獄が待ち受けている。
「うう、くせえ。すげえくせえ。なんだこの部屋は、吐きそうだ」
畳に吐かれても困るので、洗面器をサダオの前に置いた。もっとも、暗くて見えないようだ。なにせ電気など、ここ数年点灯させたことがないからな。女房や娘にも不便をかけて、申し訳なく思っている。
「なんだこれ、なんだよ、これ」
サダオのやつ、ケイタイのライトで部屋の中を焙るように照らし出したんだ。
「ぎゃあ、人の頭だーっ」
居間の中央に、上の階のデブ女の首が転がっていた。といっても、切断してから数年経つので、ミイラ化して髑髏となっている。おおかた、娘が転がして遊んでいたんだろう。幼稚園の年長さんになってから、やんちゃが過ぎるからな。
「おいっ、おい、この部屋、なんだよ。骨だらけじぇねえか。人の骨だらけだ。ど、どうなってんだ。干からびたベーコンもあるぞ。山のようにあるぞ」
俺は背負っていたリュックサックを前に抱えた。口を逆さにして、サダオの前に中身をぶちまけた。
「お、おめ、なにするんだ。なんだこれ、なんよこれは。肉か、なんの肉よ。くせえぞ。酸っぱいって」
手持ちタイプの電灯がある。ゴミ屋敷をあさっていたら、電池入りのやつがあったんだ。そのスイッチを入れて天井のヒモに吊るした。小さな灯りだが、家族三人では十分すぎるんだ。
「ひょっとして、おま、これ、人肉か。まさか、人の肉か、か、かお」
畳の上にある森屋じいさんの顔を見て、サダオが言うんだ。生首を持ってきたのではない。顔の皮だけ剥ぎ取ってきたからな。
「しーっ。サダオ、静かにしろよ。娘が寝たとこなんだ」
明日は幼稚園でおひな様祭りだ。娘は楽しみにしている。
「おい、だから、おま、あたまがイカれちまったのか。ああ、クッソ、足がいてえ。くせえ。おえー」
吐きやがった。きたねえ中年男の反吐で、我が家が汚れちまったじゃないか。
「人の肉で、人形の子供たちが育つんだ。立派な鬼になるんだ」
俺は、森屋のじいさんとババアの肉塊のそばに、鬼人形の子供たちを置いた。
「人形って、なんのことだ。おまえ、なんで割り箸を集めてんだよ。つか、やっぱ、これって人肉なのか」
わあわあ喚きながら、サダオが遠ざかろうとする。畳の上を一生懸命に尻で歩くさまは滑稽だな。
「いま茶を淹れてやるから」
俺は、サダオに森屋のババアのヅラの皮をぶつけてやった。やつは、ぎゃあぎゃあ喚いてうるさかった。
「おお~い、サダオが来てんだよ。茶を持ってきてくれ」
こいつには焼酎のほうがいいのだが、酔っ払って娘に絡まれても困るので、今日はアルコール抜きにしよう。
「おまえ、だれに話してんだっ、ほかに誰かいるのかっ、おまえの母ちゃんかっ」
サダオは母に会いたいと言う。俺は隣の寝部屋に行って、真ん中の畳をひったくった。下の板は腐って抜け落ちている。そこに降りて、土臭い地面に正座している母に言った。
「母さん母さん、友だちが来てるんだ。ちょっと挨拶してくれないか」
母は年寄りで足腰も弱くなっている。立つのも補助がいるくらいだ。母を背負って居間まで連れてきた。
「ほら母さん、サダオだよ。久しぶりだろう」
「ミイラだ、ミイラじゃんか。なんだよそれ、ミイラだって。うわっ、こっちくんな。あっちいけ」
小学生のころ、サダオが家に来たことがある。母がチャンポンを作ってやったら、喜んで食ってたっけ。
「金ならやるよ、たのむからやめてくれ。ひどいことは止めてくれ。ほら、金だ、金だって。助けてくれって。オレ、なにもしてないだろっ」
テレビが点いた。分厚く湾曲したガラスに鬼たちが満ちている。さらにその向こうに、王と王妃が並んでいた。地獄の釜の蓋がもうすぐ開こうとしている。家族のために、俺はやらなければならない。
「救急車呼んでくれよ。オレのケイタイ使っていいから、呼んでくれって。足から血がとまらないんだ。死ぬほど痛いし、もう、ヤバいんだ」
骸骨のようにやせ細っていた子供たちに肉がついた。うれしいのか、子犬の集団がじゃれ合うように、盛んに動き回っている。じいさんとババアの肉が効いたようだ。俺もうれしくなって、ペットボトルに溜めていた血液を部屋中にぶちまけた。
「ぎゃあああ、ぎゃあああ、ぎゃあああ」
サダオは生きたままや剥ぎ取ることにした。手足の健を切れば、人間なんて人形のようだ。俺の好き勝手にできるんだ。
アルミ缶からまだ長さの残るタバコを取り出して、とりあえず一服した。すっかり吸い尽くす前に消して、元に戻してからナイフを握った。
サダオから、すべての肉を削ぎ落した。切っている最中に焼酎のニオイがして吐きそうになったから、むかえ酒をした。いままでの誰よりも血が多くて、足元がちょっとした池になった。せっかくの地獄の節句なので、そのままにしておいた。
ぴちゃぴちゃと音がする。目が痛くなるような鮮烈な朱色の溜まりで、鬼の男人形と女人形が戯れていた。血だらけになりながら艶めかしく交わっている。凄まじく淫靡な匂いがする。なんだか、俺は興奮していた。もっともっと肉を集めなければならないと感じた。
アパートを出て走った。暗闇の中を灯りがあるほうへと全速力で向かう。真っ赤な色をしたサイレンがうるさく追ってくるが、気にしないことにした。両方の肩には男人形と女人形が乗っている。後ろからついてくる子供たちの足音が小気味よかった。もう地獄の釜の蓋は開いているのだ。
終わり
人形祭り 北見崇史 @dvdloto
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
近況ノート
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます