好きな花を選べない問題

「好きな花は?」という質問を見る度に思います。「選べねぇ……」と。


 いえ、好きな傾向はあると思うんです。そう考えればこの花が好き……いや、でもこっちも好き、これも良い……などと思ってる内に選べねぇという結論が出る。花には各々の良さがありますからね。季節、生息地、飾り方、花言葉、伝説、咲き方、枯れ方、活用方法……花一つに数多の情報とエモが付随しているのです。選べないにもほどがある。

 何より、私は全ての花に共通している点、咲いて枯れるという姿が好きなので、結局みんな好きなんだよなという終点に辿り着いてしまうわけです。加えて、咲く姿より枯れゆく姿の方が好きなので、結局みんな同じなのです。そこがいい。


 花といえば、人と密接な関係を築いてもいますね。と言っても、人間が一方的に築いているだけですが……ここにも花を好きな理由があります。人間の鏡のような役割をしている、人間の欲望をうっすら映し出す。そういう役目を負わされがちなところが好きです。

 摘み取られて活けられる、不要な部分を剪定される、枯れない内の綺麗な姿を保存される、枯れても保存される。こういうところに人間の傲慢さが透けて見えるようで、ニコニコしてしまうわけです。もちろん、花を大事にするという人の責任もあるので、そうやって向き合う姿勢が見えると笑顔になってしまいます。


 野原で伸び伸びと咲く花、そこから摘み取られてしまって花瓶に生けられる花。前者は強く凛然と咲き誇る姿を見ていたいけれど、後者は萎れ枯れていく姿を見ていたくなるという違いもありますね。野原の花は周囲と一緒に枯れていくから風景の一部として客観視できるけど、花瓶に活けられた花は人の領域へ連れてこられてしまったから、枯れていく姿まで見届けるべきだと思っているからなのでしょうか……この辺りも自創作に取り込めるようになりたいですね。


 選べないと頭を抱えることになる「好きな花」ですが、先んじて思い浮かんでくるメンツは桔梗、蓮、白木蓮なので、おそらくこの辺りが好きなんだろうなと思います。と書いておいて、これもこれもと後からたくさん出てきてしまったので、やっぱり花は選べませんね。活け方とかも選べません。みんな違ってみんな良い。それぞれ咲いて枯れる様が美しい。何なら花が咲かない植物だって良い。生い茂る緑も寂しい枯れ草も趣深くて良いものです。


 ところで、花って葉や茎や根という他の部位と合わさって植物というものを形成するのに、他の部位より圧倒的に注目される部分でもありますよね。まさに花形、といった感じですが、そうやって綺麗で目立つところだけが愛でられがちなところも好きです。目立つのは何も人間に合わせたわけではなく、花粉を運んでもらうための立派な戦略、というところも好きですね。美しく目立つものが、ただそれだけであるわけがない。自然界のよく出来た仕組みも感じ取れる二面性がたまりません。


 ……妙ですね、花が好きという話ならもっと可愛らしくなるはずなのですが、どうしてこうなってしまったのか。まあそれが自分の好みと注目点なので、致し方ありませんね。

 これからも人間のそばで、人間のいない場所で、人間がいた痕跡のある場所で息づく花を愛でていきたいですね。いつも人間の心を豊にしてくれてありがとう。これからも色んなところで咲き誇りそして枯れてくれ……。

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ただ思いを壁打ちするだけの好きなもの語り 葉霜雁景 @skhb-3725

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