第59話 月が昇るまでに(12)

 小さい島だ。島のまんなかに盛り上がった岩は大きいけれど、平地はほんのわずかしかない。

 しかし、そこには、荒れた芝生のような貧相なものだけれども、草地もある。

 ほこらはもう壊れそうになり、鳥居は傾いていた。

 いつ据えつけられたものなのだろう。

 後ろの海、鳥居の正面の海は、たしかに潮が渦を巻いている。ほかの時間ならここからでも上陸できるのかも知れないが、いまの時間、ここから上がるのは無理そうだ。

 みちるは鳥居の前に立ち、神様に向き合う。

 ふと隣に人の気配を感じる。

 それと、目の縁がオレンジ色に染まった感じも。

 咲恵さきえだった。

 ふっ、と笑顔を作ってくれる。

 どうしようか。

 抱きついて、抱き合って喜びを分かち合おうか。

 潮が打ち寄せ続け、その音がごうごうと覆う。しかも海の上ではほとんど感じなかった風が不規則に吹き抜け、濡れて重い髪を、みちるの髪も咲恵の髪も吹き流しているこの場所で。

 だが、二人がうるんだ目を交わしていたそのとき、場違いな声がそのしずけさをぶちこわした。

 「いんちきだ!」

 あの悪家老の子孫の声だ。大声で喚いている。

 「椿井つばい桑江くわえが泳ぐのを助けたんだ。いんちきだ! ぼくは見たぞ! だからこの勝負は無効だ!」

 みちるに怒りが湧かなかったのは、下腹に力を入れると、せっかく忘れている筋肉のだるさを思い出してしまうからだろうか。

 咲恵さきえも同じらしい。軽く笑って、後ろを向く。

 千菜美ちなみ先生のボートが、島に、みちるが上陸したあたりに近づいていた。

 咲恵が手を上げて、左に、左にと指図する。

 右に行けばあの急流に入ってしまうからだろう。

 それに合わせて千菜美先生がボートの位置を直している。

 千菜美先生は相手にしているが、更志郎は相手にしない。咲恵も、みちるも。

 「無効だ! 無効だ! ぼくは見たぞ! 無効だぁ!」

 久本更志郎は主張し続ける。舳先へさきの委員長の長谷川はせがわ澄名すみなが振り返った。

 「じゃ、久本ひさもと君にきくけど、泳いでいる桑江さんを、椿井さんがどうやって助けるの?」

 「え?」

 更志郎はふいの質問に答えることができなかった。

 「どうやって、って。具体的に言ってみてよ」

 「そんな! それは、ぼくには……」

 澄名は顔を上げた。

 「じゃあ、ほかに椿井先輩が桑江さんを助けたところを見た人、いる?」

 最初はだれも手を上げない。

 しばらくして、顔を見合わせていた出畑でばた武登たけと高地たかち兵司へいじが手を上げた。

 左手を。

 二人とも左利きではない。

 なぜ左手?

 「ああっ!」

 大げさな声を立てて、高地兵司の後ろに座っていた大角おおすみ房子ふさこが兵司の右手を握る。

 ぐい、と引っぱり上げる。

 「なんだよ?」

 「握ってるもの、見せさいよっ」

 「なんでもないよ」

 ばちっ、と手首をひねって、房子はそれを取り上げた。

 へえ、房子ってこんな荒っぽいことできるんだ。覚えておこう。

 取り上げたのはこぶしにちょうど握れるくらいの大きさの石だった。

 房子がそれを高く掲げて見せる。見て、出畑武登が慌てて自分の右手を尻の下に隠そうとした。

 だが、だめだった。前に座っていた、ちょっと大柄な三年生の女子生徒が、その手首を押さえ、手のなかに持っていたものを取り上げる

 そこで取り上げたものを、三年生の女子生徒は委員長の長谷川澄名に渡す。

 やっぱり同じくらいの大きさの石だ。

 「ふぅん」

 澄名はつまらなそうに言って、それを海にほうり投げた。

 この二人は前に溺れかけたみちるに石を投げたことがある。みんな見ていた。

 どこかで機会があればみちるにこの石を投げつけるつもりだったと、みんなすぐにわかったはずだ。

 きまりわるさが漂う。

 みちるにしたって、いまさら何をどう言っていいか、わからない。

 咲恵も

「はっ」

と声を立ててため息をつき、みちるの顔を笑って見た。

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