第56話 月が昇るまでに(9)

 あの急流を乗り切ったあと、水は穏やかだった。筒島つつしまの姿もこれまでよりずっと大きく感じられている。

 ずっと沖を通り過ぎているのは、貨物船だろうか、漁船だろうか。

 その上を光を点滅させながら動いているのはたぶん国際線の飛行機だろう。

 沖には、この浜とは縁のない人たちがいる。

 浜の人たちの世界と、浜と縁のない人たちの世界との境界線にあるのが、たぶん、この浜ではこの筒島なのだ。

 その境界線上を、みちるは泳ぎ続ける。

 島はもっと遠くでもいいと思った。もっと泳いでいたい。きっと咲恵さきえさんはどこまででもついて来てくれるだろう。

 でもそうは言っていられない。これはタイムトライアルなのだ。月が昇るまでに着かないと失敗だ。

 気を引き締めたとき、後ろの船で

「きゃあ」

という悲鳴がした。見ると、あの高地たかち兵司へいじがボートの上に立ち上がっている。ボートが大きく揺れているのがわかる。委員長の長谷川はせがわ澄名すみな

「座って! 高地君! 座って!」

と言っている。それなのに、高地兵司は、胸を張って

「く、わ、え、さーん! あと少しだよー! がんばってー!」

などと叫んでいる。

「座りなさい!」

 澄名が絶叫するように言って、やっと高地兵司は座った。座りかたが雑なのでまたボートが揺れる。

 みちるは身をひるがえした。

 見たのだ。

 高地兵司がそんなバカなことをしてみんなの目を引きつけているあいだに、天才少年久本ひさもと更志郎こうしろうが海面に銀色の何かをそっと置いたのを。

 それが何かはすぐにわかった。

 あの新星杯しんせいはいというコンテストの課題のロボットだ。

 こんなところでそれを何に使うかはわかりきっていた。そして、みちるが出発する前の、あの更志郎の久しぶりの機嫌のよさ……。

 前に見たホームページの記事も頭をかすめる。

 たしか、この更志郎のひいおじいちゃんは、戦争中、駆逐艦乗りで、しかも「魚雷戦の名手」だった。

 魚雷という兵器がどんなものかみちるはよく知らないけれど、つまりは、船にぶつけて船を沈める道具だろう。

 更志郎はあのロボットで魚雷を作った。それがいまみちるに迫ってくる!

 しかも、いまどこを動いてきているか、振り返って見ても、見えない。

 まさか爆薬は積んでいないだろうけど、何かいやな仕掛けがあることはわかりきっている。ぶつかりたくはない。

 どうすればいい?

 みちるはとっさに大きく息を吸うと海に潜った。

 あのロボットのコンクールで使う水の深さは五十センチだと言っていた。

 だったらあれは五十センチより深いところには潜れない。

 潜っているあいだに行き過ぎてくれることをみちるは願った。

 しばらく経って、浮き上がろうとして水面を見上げ、みちるははっとした。

 みちるのすぐ上あたりに、あの三十センチぐらいの魚型のものが浮いている。

 浮いているのではない。少しずつ動いている。

 みちるの動きに合わせて。

 すぐには信じられなかった。だが、ロボットは、みちるが遅れると後ろに、前に行くと前に、動いている。たしかにみちるについて来ているのだ。正確に。

 なぜ?

 更志郎の天才ぶりに屈服したと言ってもいいといまは思った。アメリカ軍とか自衛隊とかが使っているミサイルは目標を自分で追跡することができるという。更志郎はそれと同じ仕組みを作ることができるのか?

 しかも、みちるが筒島まいりをすると宣言してから三時間のあいだに。

 だめだ。咲恵さきえは言っていた。水に潜ると考える力が鈍ると。

 まだ息はもつ。でもこのままならばやがて息が切れる。

 咲恵に助けを求めよう。咲恵ならば、もしかすると、この魚雷と巧く戦ってくれるかも知れない。

 ふと、相瀬あいせの伝説が頭に浮かんだ。

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