第55話 月が昇るまでに(8)

 流れを横切ってしまえばいいのだ。

 あの右側の岬を越えて、遺跡のある浜の沖のほうに出れば、この流れはない。

 昨日、遺跡のある浜の海はとても穏やかだった。今日よりも大潮に近いのに。

 ならば、今日も同じ穏やかな海があるはずだ。

 この流れは、無理をしてでも、さっさと横切ってしまったほうがいい。

 みちるは抜き手を切った。クロールと同じ泳ぎかただが、足の使いかたが平泳ぎと同じなのと、顔を上げたまま泳ぐところが違う。咲恵さきえに教えてもらったのだけど、そのときはすぐに疲れて長く続けられなかった。でも、いまはこの泳ぎかたで乗り切るのがいちばんいいと思った。

 右の腕を水面の上に出したときに、肩の横に強い痛みが走った。った。つづいて左手も。しかし、ここで手が攣ったら、流されてしまう! 筒島つつしままいりに失敗するくらいはいいけれど、悪くするとずっと先まで流されるだろう。そうすると太平洋で行方不明だ。ほんとうに死者たちの国に行ってしまう。

 がんばろう!

 腕全体に力を入れて、抜いて、抜き手を続ける。また肩と腕に痛みが走る。なんとかごまかして続ける。

 この流れの幅はどれくらいだろう? 七十五メートルはないのではないかと思う。だったら、去年、前の学校のプールで、クロールで、しかも全力で泳ぎ切ったことがある。

 できないはずがない!

 そう思って、これまで疲れることを考えてゆっくりだった抜き手のペースを思い切って上げた。遺跡の湾が近づいてくる。

 もう少し!

 そう思ったとき、みちるは穏やかな海面を全力で抜き手で泳いでいた。

 筒島が左前に見える。

 みちるは足を蹴って両脚を水面に上げた。

 水面に仰向けに寝る。それで激しく息をする。ここまで詰めていた息の分をいくらかでも取り戻す。

 心臓の鼓動は最大限に近いところで打っているようだ。しかし息が落ち着いたところでみちるは立ち泳ぎに切り替えた。手足のだるさは残っているが、このままでいると体が冷えてしまいそうだった。そうするとかえって筋肉が攣るという。

 直線を行くのがいちばん近いとしたら、大きく遠回りしたことになる。だが、たぶん、これが筒島参りの正解ルートなのだ。

 もういちど、咲恵のいる場所を確かめてみる。

 やっと見つけた。遠く、まだ右の岬の浜側にいた。つまりこの急流の向こう側だ。

 咲恵はこの急流のことを知っていて、みちるがどこに泳ぐかを見ていたのだ。

 意地が悪い。

 昨日、咲恵は、隣の湾から筒島まで行ってみようというみちるの提案を、筒島は神様の島だから、と言って許さなかった。

 たしかにそれはそうなのだろう。その相瀬の海蛇退治も言い伝えにあるのだろうし、咲恵のお母さんのこともほんとうだろう。

 だが、たぶん、もう一つ理由があった。

 つまり、あそこからここを見に来れば、いやでもこの急流に気づいてしまう。

 この急流があることは、筒島参りに成功した少女たちだけの秘密なのだろう。すくなくとも、これから挑戦する子には覚られてはいけないことなのだ。

 咲恵も抜き手を切って急流を渡り始めた。あの咲恵ですら流されているのが見てわかる。

 ここから筒島は左前の方角だ。

 みちるは穏やかな水を平泳ぎで泳ぎ始めた。

 千菜美ちなみ先生の操る船が咲恵の後ろから急流に入った。揉まれるように大きく揺れているのが見ていてわかった。

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