第54話 月が昇るまでに(7)

 息が苦しい! 流される!

 川のような流れにみちるの体は斜めに流されている。

 水が力強い。おどるようだ。さっきの海水浴場の続きの水とは種類が違う。

 平泳ぎではだめだ。とっさに犬かきのような泳ぎかたになる。

 咲恵さきえさんはどこ?

 咲恵が今どこでどうしているか、たしかめる余裕もない。

 筒島つつしまへ向かう道から見て、横へと流されている。

 咲恵さん!

 呼ぼうとした。声を出そうとして口を開けたら、海水が勢いよく波を作って口のなかに飛びこんだ。

 はっとした。

 いま咲恵を呼んではだめだ。助けをもらったということで失格になる。

 かわりに、あの相瀬あいせ以来、この浜にいたはずの海女たちの姿がちらっと目に浮かんだ。

 時代が変わっても、筒島参りの条件は同じはずだ。

 みんなこれを乗り切ったんだ。

 たしかにみちるは非力だ。手も足も細い。

 でも、昔の海女たちのなかには、もっと痩せたひと、もっと力のない女の子もいたのではないか。

 しかも、江戸時代の海女さんたちは、いまみちるが着ているような水着なんか持っていない。たぶん、もっと水の抵抗の大きい服を着て、ここを乗り切ったのだ。

 あの玉藻姫たまもひめのような小さな女の子もいたのかもしれない。

 犬かきを続ける。でも、泳ぎかたを緩やかに、そして大きくする。その流れに逆らうように泳いでいる。

 それでも流される。流され続けると筒島つつしまには着かない。

 わかった!

 どうしてこの筒島参りが十七夜なのか?

 それも、日が沈んで、月が昇るまでなのか?

 引き潮、満ち潮はどうして起こるのだろう?

 理科の教科書に載っていた、太陽と月と潮の満ち引きの図、それと、大潮と小潮の説明図が、ぱっと浮かんだ。

 満ち潮は月や太陽が海の水を上から引っぱるから、そのあたりに海の水が集まってきて起こる。引き潮は逆で、月や太陽は海の水を横から引っぱるから、水をほかのところに持って行かれて起こる。いまは日の入りで、月の出の前だから、海の水は横から引っぱられている。引き潮のはずだ。

 しかも、満月の夜は大潮で、月と太陽が両方から海の水を引っぱるから、満ち引きの差が激しい。いまはその次の次の夜だ。まだ大潮の勢いが残っている。

 みちるは左右を見た。

 この潮は、いまは咲恵の「プライベートビーチ」になっている、遺跡のある浜から来ている。日本列島のこのあたりは暖流だから、海の水は大きく言うと南から北に流れているはずだ。遺跡があるのは南だ。つまり、海の水は、大きく見れば、あの遺跡のある湾から、こちらがわに流れ出るはずだ。

 行く先は?

 北側、つまり、遺跡とは反対側の岬の先だろう。この左側の岬は、遺跡のある浜のほうの岬よりも先に突き出ている。

 遺跡の浜から来る引き潮の流れは、右側の岬の先から左側の岬を結ぶ線の外側を流れる。ところが、そこには筒島がある。そのあいだで流れは狭まり、それだけ流れは激しくなる。

 十七夜の夜ならば、いつでも条件は同じはずだ。

 そうだ。これがあるから、筒島参りがトライアルになるのだ。

 まっすぐ泳いでいたら、この流れに流されてしまう。流れに逆らって泳いでも、体力は消耗するし、体力がもっても時間切れになってしまう。

 ここで失敗した子が、いっぱいいたはずだ。

 どうすればいい?

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