第51話 月が昇るまでに(4)
みちるの背後では、波が打ち寄せては引いていく。湾のいちばん奥だけあって、大きな波は来ない。
みちるの
「敵」に近い側からいうと、
久本更志郎はいないのだろうかと思っていたら、学校のかばんのほかにもう一つかばんを持って、
「待って!」
などと大声を出しながら砂浜を走ってきた。
この子がこんなところを見せるのは珍しい。しかも、海でみちるに逃げられた事件以来、更志郎はずっと元気のない顔をしていた。
いまは、最初に会ったときと同じ、紅顔の美少年だ。ちょこんちょこんと走る姿もかわいらしい。
最初の関係に戻れたかな、と思ってしまうぐらいだ。ただし、あの「足でも手でもたたき折ってしまえ」という絶叫をきいていなければ、だけれど。
更志郎が来て、合わせて十一人が、浜の奥の側に横一列に並び、波打ち際を背に並んでいる
咲恵が言った。
「日は暮れました。いま七時二分。この場所の天文学上の日没時間も過ぎています」
厳かな声だった。これまでみちるは咲恵が声を作ると笑いそうになっていたけれど――それに「天文学上の」なんて!――、今回は少しもおかしくならない。
「何を偉そうに」
出畑武登が、ひとに聞こえるようにつぶやく。
全員に無視される。
久本更志郎すらにこにこしながら無視した。
だいいち、言っている出畑武登が、左足をまだ包帯で巻いているのが痛々しい。ひとを笑いものにできる状況ではなかった。
「いまから、
咲恵が「桑江さん」と呼んだのは初めてではないだろうか。
言われて、タオルケットをはずし、背中でまとめてから手に持つ。畳んで、千菜美先生に渡す。
これまで蒸し蒸ししていたタオルケットの下に吹きこんだ風は、冷たくさえ感じられた。
いま、みちるは、紺色の水着を着た身一つだ。
十一人のまんなかあたりに向かって、一つお辞儀をする。
更志郎の反応は見なかった。
波打ち際にしゃがんで、海水を体にかける。咲恵も、少し遅れて、同じ動作を始める。
「さあ、乗ってください」
千菜美先生が促す。
みんなが譲り合った結果、まず委員長の長谷川澄名が
みちるは波打ち際にしゃがみこみ、波のほうをずっと見ている。
高地兵司がおどけて大きく手を振って見せたけれど、武登がははっと短く笑い声を立てただけで、みちるも咲恵も、ほかのみんなも無視する。更志郎も無視した。更志郎はみちるのほうも見ないで、寄せてくる海の波をおとなしく見つめている。
どうしてこの子はいきなりこんなにけなげになってしまったのだろうか。
少し大きい波が来た。これが迎えだと思う。
そう決める。
その波が砂浜に崩れそうになったとき、みちるはその波をかき分け、水の上に浮かんだ。
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