第44話 昔の物語(8)

 みちるは、そろそろぬるくなり始めたヨーグルトを飲んでから、いちばん気になっていることをきくことにした。

 「じゃ、その相良さがら讃州さんしゅうっていう家老は? 実在したんですか?」

 「これは実在」

 先生はすぐにはっきりと答えた。

 「生没せいぼつ年、あ、つまり、生まれた年も死んだ年もはっきりしてる。江戸時代初期から前になるとかなりあやふやだけど、祖先の系図もいちおうたどれるのよ」

 「あの……」

 またひと息置いてから、みちるはきいてみた。

 「最近は、悪い家老じゃなくて、いい政治家だったっていう評価もあるみたいですけど……」

 「悪いとか、いいとか、わたしたち、言えないから。その時代の人でもないのに」

 先生の答えはそっけない。みちるは重ねてきく。

 「でも、市のホームページに、最近はいい政治家だったって評価されてます、って書いてあったけど」

 「あのさ」

 咲恵さきえが話に割りこむ。割りこんでおいてから、ヨーグルトをひとくち吸う。吸ってから言う。

 「市のホームページにそう出てるのはあたりまえだと思わない? だって、市議会の偉い人の祖先なんだから」

 そういえば、あの久本ひさもと更志郎こうしろうの父親は市議会議員のまとめ役か何かだ。県会議員だったこともあると更志郎が言っていた。

 「あの久本家も、昔の当主はそうでもなかったんだけどね」

 千菜美ちなみ先生が落ち着いた声で言う。

 「明治時代の久本恭龍やすたつって当主は、祖先がこの地方に迷惑をかけた、そのつぐないをする、って言って、この地方で最初のガス会社を作って、中心街をれんが通りにして、そこにずらっとガス灯を並べたりしたんだけど。煉瓦れんがはもう跡形もないけど、街並みはいまでも岡下おかしたの駅のちょっと東のほうに残ってるわよ。そこだけ道幅が広くて、直線なの。それに、さっきから言ってる、相瀬あいせとか玉藻姫たまもひめとか、地元の伝説をていねいに書き記した『向洋こうよう史話しわ』って本も、このひとが私財をなげうって、研究者に依頼をして、あちこちで聞き取り調査をやってもらって作った本なんだから。それなのに、その先祖の易矩やすのりの悪口もいっぱい載ってる。それは、この地方の人たちが語り伝えたとおりに書く、っていう方針だったからね。でも、いまの当主は、その相良易矩は偉い人だった、っていう一点張りだから」

 「先生、なんか追い出されたって言ってませんでした?」

 咲恵が笑って言う。

 「ええ。ご先祖様の話をきかせてください、もし史料をお持ちならお見せください、って行ったら、最初は得意そうに一時間ぐらい話をしてたんだけど、わたしが質問を始めたら、まっ赤になって、怒って、歴史学者はうそしか書かん、帰れ、って追い出された。あ、もう一つ、「女のくせに、偉そうな」も言ったかな」

 千菜美先生も愉快そうに笑ったので、みちるもいっしょに笑った。

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