第37話 昔の物語(1)

 みちるが「筒島つつしままいり」に挑むということは、その日の放課後までだれにも伝えられなかった。

 早めに予告したら、いじめっ子たちがどこでどんなじゃまをしてくるかわからないから。

 みちるは「だいじょうぶじゃない?」と言ったのだが、咲恵さきえは「用心しよう」とずっと言い続けた。

 どう予告するかはまかせておいてと咲恵が言っていたので、みちるは何もしなかった。

 それに、だれにも口をきいてもらえない身で、しかも転校生で

「筒島参りをやります」

と言っても、ただぽかぁんとされるだけかも知れない。

 でも、六時間目が終わり、毎日の最後のホームルームの時間も終わって、みんなが帰り支度を始めたときには、みちるは、どうなっているんだろう、と思った。

 思いながらも、自分の帰り支度をする。

 咲恵の指示の通り、水着もバスタオルももう持ってきてある。

 「筒島参り」の支度したくはできている。できているけれど。

 だれも見ていないところで筒島まで行ったって、それで「筒島参り」成立になるのだろうか。

 そんなことを考えて、荷物をかばんに入れていると、いきなり教壇のほうでどすどすという乱暴な足音がした。

 びくっとして顔を上げる。

 咲恵だった。

 海の上だとあんなにすいすいと動く咲恵が、どうしてここではこんなにどすどすしてるんだろう?

 それに、咲恵の制服姿は初めて見た。

 なんだか慣れていない様子で、かわいらしい。

 一年生のように初々ういういしい!

 上級生なのに。

 「みなさんっ!」

 教卓に力いっぱい手をついて、力いっぱいにりきんだことばで、咲恵は教室に呼びかけた。

 力が入ると、かえって、ふだんのざらついた声ではなくてもっとよく通る声になるらしい。

 みんなはぽかぁんとしている。

 当然だろう。いきなり上級生が一人でどすどす乗りこんできて、しかもいきなり「みなさんっ!」とは。

 咲恵は、教卓の両端を握って大声で続ける。

 「今日は十七夜です。旧暦の十七日の夜です。国立天文台暦計算室のホームページによれば、この市での日没の時刻は六時五六分、月の出の時刻は八時五四分!」

 みんなはまだぽかぁんとしている。

 みちるもあっけにとられていた。

 咲恵はさっそく日没・月の出時間なんか調べたんだ。ネットで。みちるはそんなことの調べかたすら知らないというのに。

 日没も月の出も天体の現象だから、よく考えれば天文台のページに出ているのはあたりまえだが、そんな発想はいままでしたことがない。それ以前に、国立天文台って何だろう。国立の天文台があるなんて、そんなことは初めて聞いた。

 「そしてっ!」

 咲恵が身を乗り出す。

 海で見る咲恵さんと違うな、と思うけれど、これはこれで、何か、けんめいで、けなげで、やっぱりかわいらしい。

 「今晩、このクラスの桑江くわえみちるさんが、筒島参りに挑みますっ!」

 教室はしずまりかえった。それまで帰り支度でざわついていた教室の動きがぴたっと止まる。

 しかたがなかった。みちるは顔を前に上げ、あごを引いて、咲恵のほうを見た。

 「うそだろ」

 緊張感のない短い声を立てたのは、あの久本ひさもと更志郎こうしろうの「取り巻き」の一人、出畑でばた武登たけとだ。足の怪我か何かがどうなったのかはみちるは知らない。

 教室はまだしずまりかえっている。

 房子ふさこがみちるを意味ありげに振り向いた。

 笑って、武登のいる方向には見えないようにして、右手でガッツポーズをして見せてくれる。

 みちるも笑顔で頷いてこたえた。

 「出発は唐子浜からこはまから七時です! 見届けたいひとは、その時間までに唐子浜に集まってください。十人くらいまでなら、ボートを用意します。じゃ、みちる!」

 咲恵に呼ばれ、みちるはおとなしく教壇まで言った。もちろん、泳ぎの道具一式の入ったかばんを持ってだ。

 教壇でみんなに一礼する。

 みんなはまだぽかぁんとしていた。


 *国立天文台はもちろん実在します! 詳しくは『ファイン・ガール』をご覧ください。

https://kakuyomu.jp/works/16816700429067286906

 ……宣伝でした。

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