第36話 海の上の道(15)

 「あのさ」

 浮き輪のほうに抜き手を切って行こうとする咲恵に、みちるは声をかけた。咲恵さきえが振り向く。

 「明日のゴールの筒島つつしまってところ、いま、ちょっと見てこようと思うんだけど、だめかな」

 「だめだね」

 すぐに返ってきた咲恵のことばは冷たい。言いかたがいままでとぜんぜん違う。

 みちるはどきっとした。

 咲恵は続ける。

 「筒島つつしま様は神様なの。だからさ、必要もないのに近づいちゃだめなんだよ。行くのは、明日の筒島参りとか、筒島様に行っていいって認められているときだけ」

 「え……でも……えっ?」

 突然、島に「様」がついて、それを言う咲恵の調子が冷たくなり、みちるは、とまどう。

 心細くなった。

 咲恵は大きく息をしてから、言った。

 「みちる、インターネットで探してたでしょ、相瀬あいせって海女の伝説」

 さっきの冷たい声ではなくなっている。でも声はまだ硬い。

 「うん……」

 「仲間の海女を助けるために、相瀬が人食い海蛇を退治した、って話」

 「それは知ってる」

 みちるは咲恵との話をつなごうとする。

 「あれさ……それで海蛇を殺したから、その玉藻姫たまもひめ様の災難が起こっちゃったって話があるんだよね。しかもその場所がさ、その筒島の近くだったっていうんだ。それとさ」

 相瀬は立ち泳ぎしながら、軽く頭を振った。

 「お母さんが死んだの、やっぱり筒島の下なんだよね。あそこはふだん近寄らないから、あわびがたくさんいるって思ったんだろうね。だからさ」

 「そう……っか」

 みちるは頬をゆるめた。

 どうして頬が弛んだのかわからない。

 そんなのは迷信かも知れない。でも、咲恵が言うなら、信じたほうがいいとみちるは思う。

 咲恵は海の底に投げていたコンクリートブロックを引き上げた。ブロックを浮き輪に縛りつけて、浮き輪を引っぱる。

 最初は咲恵一人で引っぱろうとした。みちるがだまってロープのもう片端をつかむ。

 咲恵は、黙って、ローブをみちるの腰に巻いてくれた。

 「足引っかけないように気をつけるんだよ。いま、足の指くじいたりしたら、明日、筒島様のところまで行くどころじゃなくなるからね」

 「うん」

 咲恵とみちるは、浮き輪を引っぱりながら、並んで平泳ぎで泳ぐ。

 咲恵が言う。

 「筒島様は浜の守り神様だけど、神様の考えることはわたしたちにはわからないよ。もしかしたら、わたしたちにとっていいことが、神様にとっては悪いことかも知れないしさ。神様にとっていいことが、わたしたちにはとってもよくないことかも知れないし」

 言って、みちるのほうを見て、こんどは笑った。

 「でも、みちるは気に入ってもらえるんじゃないかな、その神様に。わたし、そう思う」

 優しい声だった。

 みちるは、平泳ぎしながら、咲恵にわかるように頷いて見せた。

 二人は、いま、そのプラチナの道を岸に向かって泳いでいる。

 月を背にして。

 もし、この道の向こうに、咲恵の言う死者の魂の国があるとしたら、それとは反対方向に。

 生きている者たちのくにを目指して。

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