第35話 海の上の道(14)

 「でも、あれが手で握れないと海女になれないんだよね」

 海鼠なまこのことだ。

 「だからがんばったよ。刃物で刺すって方法もあるんだけど、それじゃさ、せっかくの海鼠に傷ついちゃうしさ、生きたまま市場とかお店とかまで行かないしさ。やっぱり掴んで取ったほうが新鮮なんだよね。で、最初は、目つぶって、ぎゅっ、とかやって。しかも、あれってさ、ぎゅっ、とかやるとよけい反発力が効いて気もち悪いんだよね。とげみたいないぼいぼがついてるしさ。それで水のなかでぎゃあーっとか絶叫して浮き上がったこともある。だからっておそるおそる掴んだら逃げちゃうしさ。ほんと慣れるまですごくいやだった。でも、なんとか慣れたんだよ。ほかにもさぁ、海胆うにとかさ、ガンガゼっていって、なんか棘の長いこわぁい海胆とかさあ、そういうのの拾いかたも、お母さんの道具使って、いろいろ考えたんだ」

 言ってから、つけ足す。

 「ガンガゼなんか怖いんだよ、棘が食いこんだら抜けないし、毒あるからさぁ」

 よほど怖いのだ、そのガンガゼという海胆は。

 咲恵さきえは笑う。

 「それで、そんなことばっかりやってて、ま、こんな女の子になっちゃいました、ってわけ」

 「すごいなぁ、咲恵さん」

 みちるは言った。正直な気もちだった。

 「そんなことないって」

 咲恵は笑った。

 顔を見ていないのでわからないけれど、それは、たぶん、照れ笑いとは違う。

 「みちるなんかさ、これだけ泳げて、勉強もできて、インターネットとかもできて、しかもインターネットで出てきた資料とか、読みこなしてるじゃない? わたし、泳げるだけだもん」

 「咲恵さんだってできるようになるよ、いろんなこと」

 気休めのように言う。でも、もちろん、気休めのつもりはなかった。

 「あ」

 咲恵が声を立てた。

 顔を上げて見ると、咲恵は、さっきまでの浮いて休んでいた体勢から、泳ぎ方を立ち泳ぎに変えている。みちるもそれに倣った。

 立ったまま泳ぐことができるなんて、みちるは、咲恵に再会するまで考えてもみなかったことだ。

 いまではあたりまえのように立ち泳ぎができる。

 で、咲恵のいまの「あ」は、何の「あ」だろう?

 「何?」

 「あれ」

 「あぁ」

 海が、ひと筋、金色と銀色の中間のような色に染まっている。遠くまで海が波立っているのがよくわかる。

 十六夜の月が出てきたのだ。

 海の上に道ができた。そう見える。

 みちるはプラチナというのを見たことがない。でも、それが金と銀の中間の色合いをもつ金属なのなら、この海の道は「プラチナ色の道」というのがいちばん似合っていると思う。

 がらにもないことを考えるものだ。

 昨日は満月の下で泳いだ。満月は明るくて、まぶしかった。でも、満月が上ったときにはまだ空が明るくて、こんな道のような光の筋には気づかなかった。

 月が昇ってくるにつれて、その細い道は幅の広い道になっていく。

 咲恵が言う。

 「わたしさ、最初にみちるにわたしのお母さんのこときかれたとき、言ったよね、天国みたいなところ、って」

 「あ……うん」

 よく覚えていない。それに、それがどうしたのだろう?

 「天国、とかさ、あんまりぴんと来ないんだよ」

 咲恵はみちるを振り向く。笑ってはいない。せわしく水を掻きながら言う。

 「お母さん、海で死んだでしょ? 海の底から天国まで行くのかな、って。それよりはさ、海の向こうに、死んだ人たちの魂が安心して暮らせる場所がある、って考えるほうが、わたし、ほんとだと思う」

 自分とほとんど同じ歳の子がそんなふうに考えているのが、みちるは意外だと思った。

 「さあ、戻ろうか」

 咲恵が言う。

 でも、みちるは考えていた。

 勝負は明日だ。ここは、村と、遺跡のある浜とのあいだを隔てる岬のすぐ下だ。

 体力にはまだ余裕がある。

 明日の勝負の場所を下見しておいてもいいんじゃないだろうか。

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