第34話 海の上の道(13)

 「でさぁ」

 咲恵さきえが続ける。

 「そんなふうに仕事が調子よく行ってたある日のことなんだけどさ、溺れちゃったんだ」

 「え?」

 みちるは咲恵のほうに顔を向けようとして、慌てて水を飲みかけた。

 咲恵は言ったではないか。人間は溺れるようにはできてないって。

 泳ぐのが得意だったはずの咲恵のお母さんが、溺れるはずがない、と思う。

 「あのさ」

 咲恵がことばを整えているのがわかった。

 「大きいあわびをたくさんとって欲しいって言われて、漁協のひとはむちゃだって言ったんだよね。でも、お母さん、だいじょうぶです、あてがあります、って言って、船で沖に行って。それでそれきり戻ってこなかった。あとで船だけ見つかって、調べてみるとさ、鮑を入れる網の袋みたいなのを腰につけてるんだよね、それが岩のところに絡まっちゃって、それで浮き上がれなくなったんだ。潜ってるあいだに潮の流れが変わって、思いもしないところが引っかかっちゃったんだよ、たぶん。そんなの、陸地でなら、引っかかったって、すぐほどけるんだよね、それぐらい。でも、息詰めて潜ってるから、やっぱり酸素少ないからもの考えられないしさぁ、しかも海面の下五メートルとかだから、当然、あせるしさぁ、そうやってばたばたしてるうちに、いっぱい水飲んじゃって。……むごい死にかただと思うよ」

 咲恵は大きくため息をつく。

 暗い空には、明るい星のあいだを埋めるように、細かい星も小さく輝きだしている。

 みちるはおそるおそるきいてみた。

 「それで、咲恵さんは、海に入るのが怖くなくなったの?」

 「ぜんぜん」

 咲恵の答えはそっけない。

 「だって、そういう死にかたじゃないとしたら、病院のベッドとか布団とか、ともかく寝るとこで死ぬじゃない? それで、自分の家族とかが布団の中で死んだからって、自分も一晩ごとに布団に入るのが怖いとか言ってたら、どうしようもなくなるじゃない? だから、おんなじようにさ、自分の家族が海で死んだからって、海に入るのを怖がってたら、どうしようもないって」

 いや、それはだいぶん違う。

 違うんじゃないかな?

 「って、漁協のひとが言ってたジョークなんだけど」

 「ああ」

 それならば、わかる。

 咲恵はまじめに続けた。

 「でも、そのとき思った。海女漁ってさ、ほんとは何人かでやるもんなんだよ。家族だとか、海女さん何人かで仲間になったりとかしてさ。だから、一人がそんなことになっても、そのときは仲間が気がつく。それで助ける。でもお母さんは一人だった。もしわたしがお母さんのそばについてたらさ、なんとかできたんだよ」

 咲恵の声は低くて、どちらかというと濁った感じの声だ。でも、このときの咲恵の声は、しっかりしていて、しかも澄みとおっていた。咲恵自身の声ではないようだと思い、でも、それは錯覚だとみちるはすぐに打ち消した。

 咲恵は長く息をつく。続ける。

 「だから、わたしは一人前の海女になるためにはどうすればいいか、それを探り当てようとした。学校に行ったほうがいいのかどうかって考えたよ。学校に行かなくなったとき、村のひとたちはみんな反対した。いまも反対してる。でも、海女になるためには、泳ぐのに慣れること、お母さんが出ったような緊急事態でも落ち着いていられること、そして、ここの海のことをもっとよく知ることがまずだいじだって思った。だから、海に出ないときには学校に行く、って自分のルール作って、やってみたんだけど、まーあ、だめだったね。学校行ったらずっと寝てたもん!」

 授業で習ったはずのことが身についてないわけだ。

 咲恵も笑った。

 「でさ、ほんとはわたしだって、海鼠なまこなんて苦手だったんだよ。だからさ、最初に会ったとき、みちるがさ、海鼠見て吹っ飛んだのはよくわかるんだ」

 「そうだったんだ」

 みちるは安心した。海の近くで生きてきた少女でも、やっぱりあれは気もち悪いのだと。

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