第21話 再会(11)

 「でも、でもさ、あの久本ひさもと君、そんなクラス中を動かせるの? クラス委員でもないのに」

 「うん」

 咲恵さきえは頷いた。

 井戸のような穴の底からは、波が噴き上げていないときも、ごうごうと潮が渦巻く音が響いてくるのに気がつく。しばらくして咲恵が続けた。

 「お父さんが市議会の偉い人、しかも、本人は、いまあの中学校のプライドを一人で背負ってるようなものだもの。そのなんとかいうコンテストの関係のひとなら、どこのひとでも名まえ知ってるらしいよ、北海道でも沖縄でも。アメリカからなんか教えて欲しいってメールが来たって自慢してたこともある。アメリカに留学しませんかって言われたって自慢して回ってたこともあるよ。何にしても、全国に名まえを知られているなんて、うちの中学校であの子だけだよ。それはたいしたもんだよね」

 咲恵は、つつましく縮めていた足を投げ出して言った。

 「そんなのだから取り巻きみたいな男子も多い。あのルックスだから女子にも人気あるしね」

 たしかにそうだった。あの天真爛漫てんしんらんまんそうな表情から、咲恵が言うような邪悪な性格を読み取ることなんてできるわけがない。

 みちるは、咲恵に、もう一つ聞いてみることにした。

 「咲恵さん、更志郎こうしろう君と何かあったの?」

 「何かあったら困るから、わたしがあいつを避けてるの」

 咲恵は言って笑う。笑う動きが、隣に寄り添っているみちるに伝わってくる。

 「あいつの家、わたしの家のかたきみたいなもんなんだよね、なぜか」

 「敵」とは時代がかった言いかたが出てきた。

 そういえば、「ここで相瀬の名まえが出るとは、あんたもこの浜の人になったね」と言っていた。それと関係があるのだろうか?

 きいてみる。

 「何かあったの?」

 「うん。あいつのお父さん、市議会の何かの偉い人になってるでしょ」

 「うん」

 「わたしのお母さん、そいつにみちると同じことやられたんだ。ああやって溺れかけさせたあと、砂浜に連れて行って、砂浜に顔突っこませてお尻をバットで殴ったりするの。みちるだってあのままにしてたら同じことをされてたと思う」

 みちるは息を呑んだ。咲恵はみちるを振り向いて少し首を傾けた。

 いままでと同じように笑っていたけれど、少しすまなさそうにして。

 「ごめんね、みちるがそんな目にってるの、もっと早く気づけばよかったのに」

 「あ、いいえいいえ」

 みちるは照れたようにして首を振った。

 「あんなふうになったの、つい最近だから」

 それで、みちるは、あらためて咲恵の顔を見た。

 上と下から弱い外の明かりに照らされて、咲恵の顔は青白く見える。

 でも、それは、青い空と青い海を通して入ってきた光だからに違いない。

 みちるが言う。

 「でも、咲恵さんのお母さんは、ああいうのをどうやって乗り切ったの?」

 咲恵は息を吸いこんで、ひと呼吸置いてから言った。

 「方法があるんだ。あの学校の、だれにもバカにさせないようになる方法が」

 もうひと呼吸おく。

 「そうなると、なんとかコンクールで全国大会とか、そんなのでは手が出せないぐらいになる」

 みちるは嬉しくなった。とっさに喜びの声も出せないくらいに。

 それで、かどうか、急に言いかたがていねいになる。

 「それ、なんですか?」

 「うん……」

 咲恵はすぐには答えなかった。唇を閉じて、みちるの顔を覗きこむ。

 「あのさ、話のつづきは、場所変えてやらない? ここでずっと横にくっついて話しててもいいけどさ」

 そう言うと、咲恵は、左手をみちるの左腕まで回し、みちるの体を自分の体に軽く引っつけた。

 咲恵の体は、柔らかく、温かく、そしてちょっと熱っぽくて。

 みちるは、胸がきゅっとして、軽く目を閉じた。

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