第19話 再会(9)

 「ここ、狭いからさ。波の動きが激しくて」

 言ったそばから、後ろの井戸のような穴から轟音ごうおんとともに波しぶきが噴き上がる。

 その岩の穴のなかから自分たちは上がってきたのだ。

 信じられない。

 自分がここにいる以上、そう信じるしかないけれど、それでも感覚が受けつけない。

 みちるは、岩の上にお尻をついて座り、息を整えた。

 まだ体が重い。ふと、自分はいつもこんな重い体をひっぱって歩いていたのか、と思う。

 息が落ち着いてきた。

 そこは、いま咲恵さきえとみちるが上ってきた下の岩穴と、斜め上の二つの方向から光が漏れる場所だった。上と下から照らされているのがふしぎな感じを生み出していた。

 暗い場所だけど、目が慣れれば、その場所の様子はだいたいわかった。

 上の高さは学校の天井よりもずっと高い。広さは、みちるが家で使っている部屋と同じくらいのようだった。

 二人が上がってきた井戸のような岩穴に向かって、いくつか段ができている。咲恵はその段の一つに腰掛けていた。

 慣れれば、咲恵の水着のオレンジ色も見えた。

 自分のは、学校の水着なので紺色だから、この暗いところでは見えにくいかな、と思う。

 自分の近くを、エビを平たくしたような虫がっているのがわかった。前ならば暗いところでこんなのに会ったら悲鳴を上げていたと思う。

 でも、さっき、海水浴場でいじめられて、悲鳴はもう上げ尽くした。

 みちるは重い体を立たせて咲恵の横に行った。咲恵が少し横にずれて場所をあけてくれた。

 「ここ、どこなんですか?」

 みちるがきく。咲恵は息をついた。

 「あんた、みちるって言ったよね? 桑江くわえみちるって」

 みちるはだまって頷いた。さっき「く、わ、え、さん」と男子生徒に呼びかけられたことがふっと頭を過ぎる。

 咲恵が続ける。

 「みちると最初に会ったところのすぐ裏だよ。ほら、コンクリートの階段があって、そこでわたしが海鼠なまこを見せて、みちるが飛んで逃げた」

 「ああ、うん」

 頭の中で、男子生徒のいやらしい声は海鼠のぬめっとした姿にとってかわられた。みちるは眉を寄せて顔を伏せる。

 「それで、ここに来る途中、砂が岸辺から海の底に流れてるみたいになったところがあったでしょ? あれが、あの場所だから」

 「ああ」

 そうか。岸辺から見れば岩の隙間だったけれど、下から見れば砂が盛り上がっている場所に見えるのか。

 海から見ると、ずいぶん違って見えると思う。

 でも、裏、とは何なのだろう?

 咲恵が続ける。

 「あのすぐ後ろに洞穴があってさ、あっちからはトンネルみたいな水中の洞穴でつながってるんだ。わたしたちはそこを通ってここに来た。陸の上ではつながってないから、ここで声立てても向こうには聞こえない」

 「え?」

 みちるは驚いた。

 「だったら、いまのところを通らないと出られない?」

 「いまのところ?」

 「だから、その……」

 そう振り返ったところに、またその井戸のようなところから海の水が噴き上がる。みちるは身震いした。

 ここから出ないといけないとしたら、咲恵にはかんたんでも、みちるには出られるかどうかわからない。まだ自分の力では潜れないのだ。

 来たときと同じように、咲恵は自分を抱きつかせて、ここを出てくれるだろうか。

 咲恵はふうっと息を漏らして笑顔を作った。

 「だいじょうぶ。反対側には出口がある。でも、そっちは村じゃないほうだから、ここで声出しても聞かれる心配はない」

 洞窟だからみごとにエコーがかかる。そこに、井戸のようになっている水中の洞穴から、波が噴き上げたり、また引いていったりする音が重なる。咲恵の声はそれにまぎれて自分を包みこんでくれているように思う。

 また喉のところにむせびがこみ上げてきた。でも、そのまま泣くと、また咲恵に止められるかも知れない。

 「泣いていいですか?」

 泣き声が漏れる前に、みちるは咲恵にきいていた。

 「うんっ!」

 咲恵は満面の笑顔で答えてくれた。

 最初の三声ぐらいはむせびが漏れていた。でも、その次は、抑えきれなかった。

 大きな泣き声が漏れた。さっきの体の重さの感じとはまた違う、体から力の抜ける感じがした。

 みちるは体を傾けると、最初は咲恵の肩に自分の肩を寄せ、そのうち、咲恵の大きい胸にすがりつき、最後には咲恵の膝に両手で抱きついて、みちるは大泣きしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る