第17話 再会(7)

 「……」

 水のなかで悲鳴を上げようとして動きが止まる。その口と鼻を、分厚い手のひらがぴしっと押さえた。

 同時に、みちるの体はぴゅっと横になびいた。

 何がどうなったのかわからない。ようやくわかってみると、だれかに口をふさがれたまま、みちるは水の深いところをすごい勢いで運ばれていた。

 最初はこれもあのいじめ男子どものしわざだと思った。

 だが様子が違う。

 どちらに向かっているかはわからない。でも、みちるは沖のほうに向かっていると直感した。

 その通りだ。前に粗い目の網が見えてきた。遊泳区画を示すフェンスだ。

 みちるはそのフェンスの下を軽々とくぐり抜けた。

 ということは、ここは、水面の下、何メートルぐらいのところなのだろう。

 自分の胸の下あたりに手を回してその体をしっかりと抱き、その体を運んでくれているのはだれなのだろう?

 顔は見えない。

 ふと思い出した。

 魚より速く泳いだ。

 どこまででも泳いだ。

 仲間が大きな海蛇に襲われたときには、身一つでその海蛇と戦って仕留めた。

 フェンスを越えると、みちるの体は右へと運ばれた。岩にぶつかりそうになる。岩からは白くてきれいな糸のようなものがいっぱい伸びて、潮にたゆたっているのがちらっと見えた。

 一面に小さい花が咲いているようだ。

 ここまで来て、みちるの体はぐっと高いところに引き上げられた。ぐっと上がって、少し止まって、またぐっと上がる。そしてがぱっと頭が水から出る。

 みちるは激しく息をした。息が苦しいのをすっかり忘れていた。水を両手できながら、胸と顔を激しく前後させながら息をついた。

 何度も息をして、やっと自分がいる場所に気づく。

 それは赤黒い色の岩の陰だった。

 下がどうなっているかわからない。足がつかないことだけはたしかだ。

 はっ、と気づいて、後ろを振り向く。

 丸い顔で、肩より下まで髪を伸ばした少女がいた。

 自分と同じくらいで、オレンジ色の水着を着ている。

 「相瀬あいせっ!」

 ……のわけがない。相瀬は、いたとしても昔の人だ。

 「あ、あ、い、いや、咲恵さきえさんっ!」

 どうしてこの人のことをいままで忘れていたのだろうと思う。

 咲恵は、日陰でも、上気して少し赤くなっているとわかる頬で、笑った。

 「ここで相瀬の名まえが出るとは、あんたもこの浜の人になったね」

 美しいとは言えない、ざらざらした声で咲恵が言う。でも、何かほんわかした柔らかい声だった。

 みちるは涙がこみ上げてきた。

 この浜の人になった。そのつもりでいた。それなのに……。

 「泣くのはあと!」

 咲恵はうって変わって厳しい声で言った。

 「ここ、遊泳区域を出たばっかりのところだから、ここで声立てると、あいつらに聞こえちゃう」

 そうだ。自分は追われていたのだ。みちるは息を呑む。

 「どうするの?」

 小さい声でたずねる。声は震えていた。咲恵ははっきりした言いかたで説明する。

 「いまのとおんなじのをこれから五回繰り返す。五回めで安全なところに着く。できる?」

 「うん」

 できるかどうかわからなかったけれど、戻っていじめられるよりは咲恵といっしょのほうがいい。

 「耳抜きはできる?」

 咲恵にきかれた。みちるはわからない。

 「何?」

 「耳がつんとしたときに、鼻とか喉の奥のほうを開いて、空気を出したり入れたりするの」

 「ああ」

 水泳ではやったことがないけれど、高いビルにエレベーターで上ったとき、耳が詰まったように感じたときには、そういうことをやったように思う。

 「たぶん」

 「じゃ、いっぱいに息を吐いて、それから息を吸いこんで……行くよ!」

 みちるがすうっと息を吸いこむと、咲恵は乱暴にみちるの胴に手を回した。

 そのまま水の底へとみちるの体は運ばれた。少し潜ったところから、みちる一人ではとても出せないような速さでみちるの体は運ばれる。みちるは一人では水に潜ることさえできないのに。

 底は砂だ。みちるが運ばれているのよりもまだ深いところだ。

 岸の黒い岩は、やっぱりいっぱいの白い短い糸のようなものに彩られていた。

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